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【ちょっぴりネタバレあり】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、カウンセリング映画だー!

タイトルに"ちょっぴり"と書いてあるが、こんなもん微塵もネタバレせずに話すの不可能や!

さて気を取り直して本日、1月7日の公開当日10時からの回で鑑賞してきました。

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

Youtubeでも何度も言ってますが、僕はアメコミヒーロー映画と、剣と魔法のファンタジー映画が苦手です。

がしかし、今回の最新作は最高だった!
正直、悔しい……。

てか、かつてこんなにズルい映画があっただろうか!ズルい!ズル過ぎるッ!『東京ラブストーリー』のカンチ風にいえば「ずっちーなぁ!」である。

今回はこの、ずっちーずっちースパイディ最新作をちょっぴりネタバレ有りで語ります!

■運命VS科学 今作の本質は"心の病との戦い"だ!

今作の最大のキモは「科学が人を救うこと」である。

予告の時点で明らかになっているが、今作には俺の嫌いなドクター・ストレンジ (以下:ドクスト) 御大が登場する。

先にも書いたが、僕はアメコミヒーローと剣と魔法のファンタジーが苦手だが、こいつは剣と魔法の世界観で戦う上にアメコミヒーローという、僕からすれば二重苦を背負っている問題男である。

この映画は前作『~ファー・フロム・ホーム』の最後で全世界に身バレしたピーターが、ドクストに頼んで全世界が正体を知っているという記憶を消してもらおうとします。

ドクストの全世界記憶消しの術は、ピーターのわがままで途中中断されてしまいますが、その影響で時空の歪みが生じ、あらゆる並行世界からかつてのスパイダーマン作品のヴィランがわんさか登場します。

この展開から往年ファン向けの怒涛の殺人サプライズが畳みかけて押し寄せますが、まぁそれは劇場でご堪能下さいといったところで置いといて。

ここからある葛藤がピーターに芽生えます。
それは別の並行世界でのヴィラン達は皆、望んでスーパーパワーを手に入れたのではなく、同時に心が病的なまでに拗れていて凶悪な精神疾病を負っていること。

そして、彼らはスパイダーマンとの戦いで命を落としており(必ずしも過去作ではそうではないが、そう誤認する)、それはつまり元の世界に彼らを返してしまうと間違いなく死に追いやられるという運命が待っていること。

彼らは皆、不幸な病人であり、彼らを死の運命に委ねるのではなく、すでに決定している死という未来に向けて抗い、助けることを今作のピーターは決断します。

そして何よりサイコーなのは、運命に抗う手段はなんと科学!
ピーターのエゴと、ドクストの凡ミス早とちり魔法で現れた精神病患者=ヴィランを、科学の力で治療する!まさに人間舐めんな!状態です(今日は織田裕二ネタ多し)

アメコミヒーローと剣と魔法のファンタジーが嫌いな俺は、科学は好きだぜッ!(成績は悪い!)

■「大いなる力には、大いなる責任が伴う」の真の意味

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

これはスパイダーマンという作品の主軸にある最大のテーマであり、同時に多くアメコミ作品のヒーローにも言えることです。

何よりこの言葉は、かつて"世界の警察官"とまで呼ばれたアメリカという国家が表向きに掲げてたスローガンでもある。

しかし、このシリーズに登場するどのヴィランも、皆アメリカ国民であり、親愛なる隣人に、かつて或いはそうなれるはずだった人々である。

幸か不幸か彼らは大いなる力を手に入れられたが、それに至るまでの家庭環境や経済的貧困、あらゆる環境的要因によって人間が本来持つ悪のささやきに魅了され、ヴィランへと変貌した哀しき人々である。

彼らの肉体のみならず、精神を救わなければ意味がない。
でなければ、たとえ今眼前にいる一人のグリーン・ゴブリンを殺しても、また次の新たなグリーン・ゴブリンが現れる。

07年マグワイア版『スパイダーマン3』で、ピーターはシンビオートに取りつかれ、悪しき自尊心の芽生えにより瞬間的に闇落ちしかけたりもした。

(だけど、あのダサいダンスは最高にダサくて好きだよ!トビーw)

もはや人々が力を手に入れても、その個人の心がその力に伴った精神性を宿してなければ、たちまち彼らも、僕らも、当のピーター・パーカー本人でさえも、いとも簡単にヴィラン化してしまう。

「大いなる責任」という言葉の中には、"大いなる精神性"もセットでないとならない。

今作の最大のメッセージは、ヒーローであることの本質は力ではなく、その精神性である!という原点でありながらも最も重要なことをトム・ホランドのピーター・パーカーは教えてくれます。

たとえ自分の行いが誰にも褒められず、認められず、記憶に残らないとしても、他人からの承認ではなく、自ら湧き上がる正しい心を宿し、目の前にある困難に立ち向かうこと、それこそがヒーローの本質であり、最大の在り方である。

ヒーローは誰かに認められて現れるのではなく、あなた自身が心で抱いた正義を信じた瞬間からヒーローなのです。

だからこそ、彼はスーパーパワーを駆使して戦う超人的なヒーローではなく、あくまでもNYの安全を守る"親愛なる隣人"となれるわけです。

そしてそれは誰でもなれるのだということを、この映画は主張しています。あなたも明日から身近な人々のなかで"親愛なる隣人"を目指しませんか?

え?ムリ⁉
じゃあ、ネトフリで『パニッシャー』観ましょう!
全員ブッ殺せーッ!!

ということで、今回は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』でした!

ああああああああ!クソ最高だー!
ぐやじぃぃぃぃいいいッ!!!!!!!

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