記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『スパイダーマン:NWH』が描いたのは“死”の本質と、それを乗り越える魂ではないのか?

少し前の記事でも『スパイダーマン:NWH 』( 以下『~NWH』)についてお話ししました。そちらでは今作での敵は本質的には心の病ではないか?、という内容でした。

今回はもう少し別のテーマで、今作をお話ししようと思います。

それは "死" についてです。

コミックでは色んな世界で何度も死にます。

この作品は、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の位置づけとしても、またスパイダーマンシリーズとしても、新たなターニングポイントになる作品であるのは間違いないのですが、これほどまでに孤独で、また同時にヒーローとしての本質に到達した作品はないと思います。

ここでいう孤独というのは“死”そのものであり、ヒーローの本質とは“利他的である”ことです。

この『~NWH』は主人公のピーター・パーカー自身のヒーローとしての成長を描きながらも、同時に彼自身の“死”を描いています。

その死を乗り越えてもなお利他的であり続けること、それを描いたのが今作での最大の功績であり、魅力であると思います。

(※今回の内容は完全にネタバレ有りなので、まだ今作を未鑑賞の方はご注意下さい!)

世界を救ったピーターへの代償は “死の本質”だった

「人間は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、みんなに忘れ去られた時だ。」

よく色々なところで似た言葉を見聞きしますが、これは若くして世を去った俳優、松田優作の言葉なんだそうです。

今作『~NWH』でピーターは、世界を崩壊から救う為に自分の秘密、つまり自分がスパイダーマンであることを全世界から抹消します。 

今まで自分がスパイダーマンであることを知っていた仲間や恋人は、スパイダーマンの存在は知っていても、ピーター・パーカーがその正体である記憶とその思い出を消されてしまいます。 

ピーターは友達のネッドや、恋人だったMJと目を合わせても「え…誰?」状態です(原作コミックでは、ピーターは知ってるけど、スパイダーマンだとは気づいてない状況だそうですが、そう考えると映画の方が何倍もツラい…)。 

この三人の笑顔の記憶が消え去るという悲しさときたら…

松田優作の言葉「忘れ去れた時」が二度目の死であるならば、ピーターは肉体を宿したまま一度目の死である"肉体の死"を飛び越えて、二度目の死、つまり自身が忘れ去られた世界、二度目の死が実現化した世界を生きながらにして迎えてしまったのです。

世界を救った代償は生きながらにして、死の本質的な苦しみ(=忘れ去られること)を背負わされるという結末。これほど残酷なことがあるでしょうか?

自身にはMJやネッドとの楽しかった想い出や、苦難を共にした軌跡が心に刻まれているにもかかわらず、その過去を誰とも共有できない世界を生きなければならない。

これは見方を変えれば死後の世界に近しいようにも感じます。

彼の心だけが全世界が失った記憶の中を彷徨い、今いるのは自分という存在だけが抜け落ちた世界。

それでもなお彼は、スパイダーマンであること、親愛なる隣人をやめられない。

このような残酷な世界に突き落とされた彼の心を支えるのは、一体何でしょう?なにが彼をここまで強くさせるのでしょうか?

次の章では、彼の心の中に今回の物語で宿った新たな魂について語ろうと思います。

ピーターの心に宿るのは、亡き人への想い?

今作最大の特徴であり、これからのMCUの路線を決定付けるであろう要素は、マルチバースという新展開です。

『スパイダーバース』も最高ですよね!

今作では過去のスパイダーマン作品のピーター・パーカー(トビー・マグワイアやアンドリュー・ガーフィールド)が、その他のユニバースから合流して、トム・ホランドのピーター・パーカーと共闘し、ヴィランに立ち向かいます。

ここで始めて、三人のピーターは自分の生きる
世界とは別の次元にある並行世界にも、ピーター・パーカーという人物がいて、彼らはそれぞれの方法でスパイダーマンであるという運命を生きていることが判明します。

この体験が、このピーター達へ互いにどれほどの衝撃と勇気を与えたことでしょう。

彼らはそれぞれの世界で辛い過去に直面し、傷つき、苦悩しながらも、懸命に戦い続けていたのです。

たとえこれが今回限りの奇跡的な出会いであったとしても(あくまで今のところは)、彼らの孤独な苦悩はこの事実を体験したことにより払拭され、同時に別の世界でも彼らは生き続け「どこかでスパイダーマンとして戦っているはずだ!」という心の支えになるはずです。

そしてまた、このユニバースというのも見方を変えると、死後の世界だと言えないでしょうか?

我々も親しい友人や恋人、家族を失ったとき「向こうから見守っていてほしい」という想い、幻想を抱いて心を静め、また一歩を踏み出す。

もちろん宗教観や信仰心などで、各々感じ方に差はあるでしょうが、そういった想像が心を保つカギになることは多々あります。

今回の物語で、トム・ホランドの演じるピーター・パーカーはそういった勇気とスパイダーマンとして戦い続ける意味を、ほかのユニバースからやってきた2人のピーター・パーカーから図らずも受け取ってしまった。

真にヒーローであるということは、自身の苦悩を超えた先でも利他的であれるか?という重い問いに繋がり、それが今回は死の本質(=自分の存在を忘れ去られるという事実)を受け入れられるか?ということだったわけです。

たしかに彼が生きる世界では、彼の存在は忘れ去られてしまった。

しかし彼がスパイダーマンであり、彼と同じように苦悩を背負っても、めげずに戦う他のピーター・パーカーが確かに存在する。

その事実が彼の踏み出す一歩を揺るぎないものにし、彼はまた再び傷ついてもスパイダーマンであることからは決して逃げることはない。

彼と彼らが相互に精神的な繋がりを確信し、それを通じて他のユニバースにいる"自分"に想いを抱き続ける限り、親愛なる隣人はまたいずれ我々の前に現れるのだと思います。

そして、この映画で感動した我々の心にも三人のピーター・パーカーの想いが宿り、映画館を出たあとほんの少しだけも、彼らにならって利他的に生きることを考える。

そんなきっかけになるような素晴らしい作品でした。

今回の記事の内容は、先日のYoutube配信にて更に詳しく、またNetflexのオリジナル映画『ドント・ルック・アップ』と併せて“大いなる責任”というテーマで語った内容の一部です。

そちらもご覧下されば、幸いでございます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?