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note短編小説|カメレオンの最期:後編

この記事は『カメレオンの最期』という短編小説の後編です。
前編はこちらから。

note短編小説|カメレオンの最期:前編
https://note.com/da_bun_takebtz/n/nb363b222e1f2

では、続きをお楽しみください。

【第三章】終末旅行

 志賀島の海岸と空を見つめながら、止むことがない風に打たれるアヤカ。いよいよこの世界の終わりが近づいてきたことを、まざまざと告げるように空が異様な形相を浮かべている。

 真夏はとうに過ぎたにも関わらず、いくつもの積乱雲が流れながらそびえ立ち、その陰の最深部は真っ暗闇だがたまにもの凄い轟音と共に稲光が鋭く発せられる。その合間を日の光が神々しく差し込むが、その様子には"希望"や"救済"といった印象は受け取れない。例えるなら地獄が降ってきたような空模様である。

 そんな絶望を絵に描いたような空を天気予報はどう報じているのか、気象予報士はどう説明するのか気なったが、もうどこのテレビ局もやっていない。終末世界においてもそんなことを気にしてしまうアヤカはすっかり落ち着いていた。

 あの日、男の妻を名乗る女との出会いを発端に自由への憧れを抱いたアヤカだったが、実のところ終末世界の自由旅行はほとんど退屈であった。

 両親は既に他界し実家はなくなってしまっているし、それが原因で親戚付き合いも希薄で行く当てがない。友人たちには何人か会ってはみたが、それぞれ終末の準備でみな忙しく、最後の最後で迷惑になるといけないと、どの友人のもとも早々に引き上げた。

 終末世界に自由を求めて飛び出し、人に会っては不自由を感じて離れていく。それは紛れもなく自分のカメレオン的な性分が関係しているのだと納得する。

 自分を好いてくれる男にはその好みに合わせて衣替えもできようが、それは前提として先方からのニーズがあるからに他ならない。そんな風に自分の外見も中身もコロコロ変える能力というのは、裏を返せば空気を読み、要求をいち早く察知するという神経過敏の成せる業で、要は気にしすぎる質なのである。

 この能力はアヤカへのニーズがない相手にはてんで上手く作用しなかった。ただひたすらに自分が邪魔にならないように、人様に迷惑をかけないように小声で「すみません、通ります」といった具合に他人の眼を気にし続けくたびれるのであった。

 終末の自由行動でも他人に気を使ってしまうアヤカは、最終的には「他者と関わると結局は不自由なのだ」という境地に到達した。それが自分の性格なんだからしょうがないという諦めもある。

 ある日、不倫男との出会いをきっかけづけた結婚式の主役だった友人を訪ねた。この終末世界で一人旅をしていることを告げると、この世で最も不幸な女を見るような目で見られ、その友人はそのあとアヤカに対する憐みの視線を隠し切れず、それをアヤカも察してしまい、かなり気まずい雰囲気になった。

 「すみません、そんなにご迷惑だったとは」と胸中での謝罪を述べながら早くここも退散しようと思った矢先、その友人から「なぜこんなタイミングで来たのか?」と問われ「なんとなく」とつい答えてしまった。

 世界が終わりに、なんとなく旅をしている女がやってきた。その事実に冷静な思考がつまずいて思わず二人とも笑った。その瞬間だけ全てが可笑しくて堪らなかった。「こんな状況、笑う以外にないわ」と口にしたのは友人の方からだった。

 おかしな訪問者との笑い声を聴いて、奥の引き戸から旦那も顔を出し「なに笑ってんの?」と興味津々で二人の会話に参加した。友人がわけを説明すると旦那も笑った。「久しぶりにこんなに笑えた」と去り際に二人に感謝された。

 そうだ、こんな状況はもう笑うしかない。笑う以外の方法でこの世界に対峙し、面(つら)を上げて歩む最善の方法があるだろうか。

 終末世界にさして目的のない自由旅行をしている暇人は自分だけかもしれないとアヤカは思っていたが、それがほんの少し他人の役に立ったような気がした。それだけでもう満足だった。しかしそれとセットで孤独という苦味も少々味わった。

 帰る場所、居るべき家、守りたい家族や他者がある人々への叶わぬ憧れはついに自分の人生では失われた。

 そんな憧れを強く抱いて"おままごと"で解消していた幼少期の淡い夢を想いだしアヤカは胸が締めつけられた。それを最後に友人には会っていない。もう充分満足したし、これ以上孤独感を背負いこむには疲れすぎた。

 いま最後のタバコに火を点け自身の人生で最後であり、最新の想い出をふり返る。

 あの男との顛末は思い出すには少々酷だが、思い出さずにはいられないものだった。「これをトラウマというかな」と感じながら、ふと殺人を犯した女が発したSNSの言葉を思い出した。

「人を殺したトラウマも、この世界が終わる短い間だけだと思うと気が楽だ」

【第四章】真実の空気

 よく職場の同僚や友達は「心が病んだら海を見たくなるよね」などと云っていた。

 正直アヤカは同意できなかった。海に良い思い出がない、というより海は亡き父と母を思い出させて苦手だった。

 幼少のころ家族で海岸へやってきて、父と遊んだ想い出がある。せっかくの海で水着も着ていたのに海は怖くて入れず、砂浜で公園の砂場でするような、それこそ"おままごと"をしていた。

 アヤカの中で父との数少ない良い想い出であり、ほとんど最後の想い出でもある。そのあとの記憶は、夜のニュースを観ながらタバコを片手に酒をやる丸い背中と葬式での笑顔の遺影である。アヤカが小学生になる前に父親は海で死んだ。漁師だった。

 幼かったアヤカには理解できないだろうと長らく母親は死のわけを話さなかった。

 何度か真相を訊こうと試みたが、その度に母の表情がひどく苦々しくなり、アヤカの追及を止まらせ成人するころにはその母も病で床に伏し、ついにはそのままこの世を去った。

 今生の去り際に、母は一言だけ父について明かしてくれた。

「自殺だった、わたしたちの為だった」

 そう言い残し母は逝った。そのあと母の葬式で数少ない父の知人たちからいくつかの話を伝え聞いた。

 父は多額の借金を抱えて途方に暮れていたこと、そして最後の漁へでたその日、海は大荒れで漁に出る船は一隻もなかったということ。

 そしてこれは直接アヤカに向けられた話題ではなく、参列者の古い漁師仲間のヒソヒソ話を盗み聞いたことだが、最も気掛かりだったのは父の生命保険の話だ。

 彼らの会話をつなぎ合わせると、父の死の真相のようなものが浮かび上がってくる。わたしは父の死によってもたらされた保険金を頼りに育てられた娘だったのだろうか。誰へも真相を突き付けなかったが、たぶんそうなのだと確信した。

 しかしそう考えるともう一つの恐ろしい真実が芽吹いてくる。

 「荒れる海に出ていき、もし遺体が見つからなかったら?」そうなれば父は死亡扱いにならず、失踪者ということになり保険金はすぐには支払われない。場合によっては何年もかかるのではないだろうか。

 父が船と共に帰ってこなかったことと、後に遺体が"ちゃんと上がった"事実を考えると本当に自ら家族の安寧を願い望んだ自殺だったのだろうか。

 何も話さない、話したがらない母の様子や、葬式へ参列した人々の形容しがたい静寂を帯びた表情や出で立ちを眺めていると、この小さな世界には自分という個人が手を差し伸べてはならない深く広大な闇が参列者たちの喪服の黒さと相まって潜んでいるように感じた。

 「知って辛い真実に、なんの価値があるの?」そう心で何度も云い聞かせ、アヤカは両親の歴史をそこで閉じた。

 自分の中での大切で楽しかったな記憶をおぞましい真実で塗り替えるのは恐ろしかったし、何より「あなたはそうしたほうが賢明だ」と母と葬儀へ参列した者たちが心の中でそう念じ、アヤカ自身に呼び掛けているように感じた。

 彼女は再びその場の空気を読み、カメレオンが身体の色を変化させて身を守るように自らの意志を封じたのだった。

 海はそんな父親や母親を思い出させ、そしてなにより真実に向き合わなかった自分の弱さを突き付ける。だから苦手だった。だがこの終末世界でアヤカが終着点として選択したのは海であった。

 世界の終わりに同伴してくれる他人がいない自分が最後に向き合うのは自分でないといけない気がしたのだ。同時にこの自分と向き合うという儀式はもっと早く人生のどこかのタイミングでやっておくべきだったかもしれないと、後悔も抱えていた。

 この全てが終わる直前の世界ではどんなことにも多少の後悔が付きまとう。

 この一言がもう最後なのだという会話、このしぐさや景色を見るのがもう最後なのかという記憶、その一つ一つに稀少さともったいなさとが入り混じった苦味を帯びてくる。そんな苦味を少しでも和らげたい、そしてそうするためにはもっとも深く濃い苦味を取り出して解消するほかないのだとアヤカは自分に腹を括った。

 その最大の苦味の根源がアヤカにとっては、自分と向き合うという儀式であった。そのための海であり、それは思いのほか辛く自傷行為ともいえるほどだった。

 地獄の空模様の下で、心をじりじりと焦がすような思いをしている最中、背後から聞き覚えのある声がアヤカの名前を呼んだ。あの不倫男だった。

【最終章】自由のために?

 仰天して眼を丸めていると「びっくりした顔も可愛いね」などと呑気に返してくる。

 「寂しかったでしょ?」とでも言いたそうな表情でヘラヘラ顔の男に絶句し、そして微塵も嬉しくなかった。世界の終わりがまだ気楽だったころは、この軽薄さも気を紛らわすにはちょうど良かったが、今はとてもそうは思えない。

 人生最後の時間にこんな男と鉢合わせる運のなさと、この男に束の間ではあったがうつつを抜かしていた自身の愚かしさにむしろ腹立たしくもあった。

 どうしてここにいるのか、なぜ自分の居場所が分かったのか慌て口調で男に問いただす。

 男は「偶然だ」と最初は取り繕ったが、しつこく追及するとGPSの発信機で場所を特定したのだと告白した。

 男の妻が浮気調査を依頼した探偵の物らしく、密かにアヤカのラパンに取り付けられており、その情報を頼りにやってきたのだった。

 男は愛用のタバコであるマルボロメンソールに火を点け、弁明じみた口調で語り続ける。

 アヤカと妻が会ったその日から一切の連絡が付かなくなり心配だったこと、夫婦の間の関係は既に終わっていてそこには愛がなくなっていたこと、自分がそんな家庭でいかに孤独だったのか、そして自分の気持ちが遊びではなく本当の愛なのだという演説。

 その演説の大半は男の独善的な主観でしかなかった。たった一度しか会わなかったが、男の妻は彼との関係を終わっていたとも語らなかったし、終わらそうともしていなかった。なによりも彼女自身が家族という状態を諦めきれていないのは明らかだった。この男がおべんちゃらを発するほど、アヤカのなかで男の株は下がり続けた。

 世界の終わりまでもう時間がないというのに、あまりにも長く語り続けるので「一体この人はどういう神経でいまを生きているのだろう」と苛立ちと疑念がアヤカの頭を支配し、どうすればこの状況から抜けられるかを模索し始めていた。

 「で、結局あなたは何がしたいの?どうしたいわけ?」アヤカがぶっきらぼうに問う。今まで見せたことのないアヤカの態度に男は戸惑いながらも「愛する人の隣で最後を迎えたい」などと、今さら優しい口調で放った。

 絶句した。冗談じゃない。いくら口調が優しくとも私はそれを望んでいないし、何としてでも避けたいことだとアヤカは思った。私はこのまま一人で終わりたい。

 でもこの男は何となくそんなことを云う気がしていた。そして世界の終わりでなければその言葉はそれなりに喜ばしい言葉だったように思う。気が付けばそんな感覚はもうとっくの昔に消え失せていて、懐かしいとも愛おしいとも思わなかった。

 「なんの因果でこうなったのか」と心で疑念が湧き上がったが、すぐに回答が出た。彼のせいではもちろんなく、これも他の誰でもない自分のカメレオン的な性分が招いた結末なのだ。

 相手の要望によって姿形を変えるアヤカは、気づかないうちに男のこころを絡めとってしまい、男は見事にその擬態に魅了されたのだ。この地球最後の瞬間にアヤカのもとにやってきた男はいまも尚、その瞳から彼女目がけて"好き好き光線"を放っている。

 こんな男と世界の最後の瞬間を過ごすのは御免だと強く感じたが、どうにかして追い払ったり、突き放そうと思ってもその手段や正当性を見いだせないでいた。ただ単に「世界の終わりをひとりで過ごしたいから、イヤ!」という正直な一言を切り出せないでいた。

 そして全面的に拒絶した態度をいきなりとると、何やら強引に暴力に訴えられるのではないかという不安もあった。

 どうしたものかと頭を抱えたアヤカだったが、ふいに思い出し男の妻や子供はどうしたのかと訪ねた。男の眼差しから"好き好き光線"が消え、表情も強張り、その場の温度が冷たくなった気がした。「地雷だったか?」そうアヤカは感じた。

 「俺を置いて先にいったよ」
 「どういうこと?」
 「一緒にいこうと思ったんだけど」

 男はそう言いかけて声を詰まらせた。「いった」や「いこう」という言葉じりから心中に失敗したのだろうかと思ったが、それを想像すると怖くて問いただせなかったので再び「どうしたの?」と問いだけを投げた。

 「少し歩こう」と問いから逃れて男は海岸沿いの散歩を誘う。「いいけど」と気のない返事で従うアヤカ。

 なんだかハズれのデートのような気分になった。世界は刻一刻と終わりに近づくなか、この男とハズれのデート気分で終わりたくないと強く思ったが、なにぶん世界の終わりは初めてで未だにどうすれば良いか分からない。

 先に歩く男の背中をぼんやり見つめていたアヤカだったが、男は歩く速度を落としアヤカの隣に並んで手を繋ごうと試みてきた。アヤカは反射的に拒絶反応を示し手を払ったが、その瞬間「ぎゃッ」と唸るような驚き声と共に息を飲み二、三歩あと退りした。

 手を繋げるほどの距離で男を観察すると、首元や顎下に引っかき傷や、どす黒いアザが散見された。そしてそれがすぐにどのような状況で付いた痕なのか見当がついた。

 おそらく男の妻や子供が付けた傷に違いない。
この男の所業に必死に抵抗し、彼の首元に傷を残して彼らはこの世界を去ったのではないか。アヤカの本能的な直観と恐怖心はそう仮説立てた。

 場が凍りつき、まるで空気が消え去った真空空間のような静寂が二人を覆った。そんな静けさとは反比例するようにアヤカの心拍数は急激に上昇し、鼓動は目の前の男にまで伝わっているのではないかというほどの騒がしさだった。

 ほんの数秒前まで惚れっぽく調子のいい、軽薄で空気の読めない優男が存在していたが、急にだんまりを決め込んだ男の異様な様子が、いまでは拵えたそのアザや傷が物語る仮説に、より真実味を漂わせ、その男を恐怖の存在に変えていた。

 「家族は、どうしたの?」恐ろしいはずなのに咄嗟に声をあげたのはアヤカからだった。咥えていたタバコを前方へ勢いよく抛って「あーぁ」と気怠く吐息を漏らし、男は急に詰まらなそうな態度になった。

 「みんな俺の愛を受け入れてくれないから、最後に君を頼った」
 「私は頼られたくないし、あなたを頼るつもりもない」

 「そんなの寂しいだろ?」と返してきたが、そもそも世界の終わりにひとりでいる自分が寂しいわけがない。寂しさとはかけ離れた感情で、自ら選択した自由だったのに台無しにされたという怒りが湧いてきた。

 いつの間にかアヤカの右手は、後ろの腰に隠れて差してある強化プラスチックの包丁に伸びていた。包丁の柄に指先を滑らせながらアヤカの頭のなかでは作戦会議が展開された。

 「この包丁は強く上から抑えると硬い人参も切れるけど、買って一度も研いだことがないな。てゆーか私は刃物を研いだ経験もないじゃん!だから切れ味は自信ない。もしコレを武器に使うなら刺す!刺す一択!刺すならどこだろう、眼か、首か、先に太ももとかかな……」

 男は「一人でいるよりも、二人なら寂しくないだろう」と悲しみを帯びた口調で発して、はっとアヤカは我に返って聞き返した。

 「家族はどうしたの?その首のアザや傷は?」と再び問うた。
 「妻と娘と俺の三人で逝こうとしたけど、できなかった。俺だけ残されたんだ」

 そう返してきた男に更に「殺したの?」と問う。
 「殺させたんだ、俺に」そんな妙な返答がきた。

 もうアヤカの中で真実は半ばどうでもよくなっていた。
どんなに自分が家族をどうしたか問うても、この男は本当のことや本心は言わないのだし、自責の念なぞ微塵もないのだと確信した。

 そんなことを考えながら、再び思い出されたのは母親の葬儀のときに感じた父の死への疑念と真実の追及を止まらせたあの空気、そしてそれに負けてしまった自分の弱さだった。

 いまこの瞬間、世界の終焉を前にして自らの自由の為にここで戦っても良い気がした。そしてそれはむしろこの男をこの場で振り切る正当な理由に思えてきた。

 彼に「殺させ」られてしまった妻と子供の最後はどうだったのだろう、はたしてそうした結果を彼らは望んでいたのだろうか。彼の首元にあるアザがその悲痛さと真実を物語っているような気がするが、本当のところは分からない。

 アヤカは自分に都合よくそのアザから推論を導き出し、彼を悪しき殺人者として見定め、刺し違えてしまおうと思っている。

 「いったい誰のためだろう」

 少なくとも家族に先立たれ孤独に終末世界を彷徨う彼への憐みではない、ましてや彼に殺された妻と子供の無念のためでもない。

 これはおそらく、いや完全に自分のための戦いである。
 いままでの人生で自分という存在を常に誰かの望む形や色彩へと変化させてきた私のための戦いだ。私という人間が最後という最後に誰かのための入れ物でありたくない。そのための、それだけのための戦いに違いない。

 アヤカはそう強く感じ、また同時に繰り返し思い聞かせながら男を見つめた。ふとあの女性の言葉がまた頭の中でこだました。

「人を殺したトラウマも、この世界が終わる短い間だけだと思うと気が楽だ」

ーーーカメレオンの最期:後編 【了】ーーー

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