聖母さんの隣にいる高橋くんは自分の心臓とお話ししてます。第六話
日曜日。
マリヤは、学校近くの公園のベンチに座って落ち着かな気に空を見ながらペットボトルのスポーツドリンクをチビっと飲んだ。
今日は高橋との約束のキャッチボールをする日だ。
澄み渡るような晴天。
最近の異常気温が嘘のような涼しい気候。
目の前に広がる刈りそろえられたばかりの丁寧に広がる芝生。
言い訳の仕様のない最高のキャッチボール日和だ。
マリヤは、大きくため息を吐く。
ここに来るまでの間、ずっとキャッチボールをしなくていい方法を考え続けた。
今日は熱中症警戒アラート出てるからどこかショッピングモールにでも行こうか
雨降りそうだね。気を取り直してカフェでも行こう。
わぁ。こんなに草が生い茂ってちゃキャッチボール出来ないね。気を取り直して映画でも行こうか。高橋くんの好きなアニメでもいいよ。
等々。
たくさんの言い訳を考え、探しながらも結局見つからないまま気が付いたら約束の時間より三十分も早く公園に着いていた。
しかも、とてもキャッチボール以外には適さないような動きやすいTシャツに薄手のパーカー、ジャージのズボンを履き、ブラウンの髪をシュシュで後ろに纏め、ご丁寧に昔使っていた硬球と少し小さくなった試合用と練習用のグローブを二つ用意し、熱中症対策用の塩分タブレットにエネルギー補給用におにぎりまでコンビニで買って……。
(どんだけ楽しみにしてるのよ。私)
マリヤは、胸中で自虐的に突っ込む。
そう。どれだけ言い訳に言い訳を重ねても結局、マリヤは自分が心の奥の奥でキャッチボールが出来るのを楽しみにしていた。
「意志弱いなあ……私」
自分自身に呆れ果て、思わず空を仰いでしまう。
「こんなんじゃあ……高橋くんのこと何も言えないね。さくらちゃん」
思わず涙が溢れそうになり、目を閉じる。
ジャリッと足音が聞こえる。
高橋が来たと思い、マリヤは顔を下ろして、バレないように指で涙を拭って楽しげな笑みと砕けた明るい声で出迎える。
「ごめーん!ちょっと早くついちゃっ……」
マリヤは、言いかけた言葉を飲み込んだ。
そこにいたのは黒縁眼鏡に気怠げな目をした少年ではなく……。
「楠木くん……」
マリヤは、ブラウンの目を大きく瞬きさせる。
「やあ、聖母さん」
楠木は、襟足の長い金髪を掻き上げる。
「そんな明るい表情出来るんだね?びっくりしたよ」
そう言って彼はにっと笑う。
恐らく彼は爽やかに笑ったつもりだったのだろう。
しかし、マリヤはその笑みを見て怖気が全身を駆け巡るのを感じた。
今すぐこの場を離れたい。逃げ出したい。
そう思ったのにマリヤが取った行動はまったく別のものだった。
「ごめんなさい。驚かせて」
マリヤは、柔和に品良く笑う。
聖母の名に恥じない上品でお淑やかな仕草で。
「今日はお友達に会う予定だったのでつい……もう恥ずかしい」
そう言って口元に手を当ててクスッと笑う。
可愛らしくも上品な仕種。
しかし、楠木は目を剣呑に細める。
「それは……あの根暗を待ってるってことでいいのかな?」
楠木の棘のある言葉にマリヤの笑みが一瞬固まる。
しかし、すぐに柔和な笑みを浮かべ、首を傾げる。
「根暗って誰のことからしら?」
マリヤは、穏やかに口にしながらも内心は怒りに震えていた。
こんな奴に高橋を馬鹿にされたことが堪らなく許せなかった。
「ご用がないならもういい?」
マリヤは、苛立ちを唾のように飲み込んで穏やかに話す。
「今日は私も予定があるのでこれで失礼するわね」
そう言って荷物を持って立ちあがろうとする、と楠木の右手がマリヤの肩をぐっと掴む。
「おいおい、そう焦るなよ」
楠木は、にやっと笑う。
再び怖気が走る。
しかし、今度は表情を堪えることが出来ず、ブラウンの目に一瞬、恐怖が走る。
その変化に楠木は気づき、にたついた笑みをさらに深める。
「せっかくだから一緒に遊ぼうぜ」
「……人を呼ぶわよ」
マリヤは、怯えながらも淑女の顔を崩さず凛とした態度でブラウンの目で楠木を睨む。
「呼べばいいだろ?」
楠木は、馬鹿にするように鼻で一笑する。
「出来るものなら……な」
マリヤの周りが暗くなる。
マリヤはぎょっと周りを見るといつの間にかベンチの周りを楠木のような柄の悪い少年達が囲んでいた。
マリヤの目と表情に恐怖が走る。
「あん時言うことで聞いときゃ良かったのにな」
楠木は、冷たく目を細める。
マリヤは、腹部に固いものが当たる。
その瞬間、マリヤの腹に痛みと衝撃が走り、目の前を火花が飛び散る。
「楽しもうぜ……星芒院様よ」
楠木は、にやっと妖しく笑った。
マリヤは、薄れゆく意識の中、高橋の気怠げな目で悲しむ姿が浮かんだ。
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