エガオが笑う時 最終話 エガオが笑う時(1)
赤い傘を広げると赤い幌が朝の柔らかい光に照らされて林檎のように輝く。
朝ご飯を食べてない胃袋はそれだけで盛大に音を鳴り響かせ、私は思わず頬を赤らめる。
キッチン馬車の隣で寝そべったスーちゃんにもその音が聞こえたようで面白そうに嘶く。
私は、ぷっと頬を膨らませてスーちゃんを睨みながらも赤い傘を円卓の中央に差した。
キッチン馬車の中ではカゲロウがタンクトップに白いエプロンを付けてせっせと仕込みの準備をしていた。
今日は新作のショコラシフォンを出すので朝から気合いを入れていた。
昨日の夜に試食をさせてもらったが滑らかなクリームの食感にスポンジの程よい固さ、そして何より苦味の一切ない上品な甘味は何度も口に運びたくなる絶品の美味しさだった。
それを思い出すだけでお腹が鳴り、スーちゃんが笑う。
私は、しつこく鳴るお腹の虫を押さえようとお腹を触る。
そこにはもう鎧の硬い感触はない。
マダムが用意してくれた桃色の綺麗な花が描かれたワンピース越しにお腹の柔らかい感触が伝わってくる。
背中にずしっとした大鉈の重みもない。
私は、今だに慣れない身体の軽さと心細さに今日から仕事始めなのに大丈夫かな?と心配になりながら開店準備の為に円卓を並べ、色取り取りの傘を差した。
柔らかな日差しを身体いっぱいに浴び、右肩をゆっくりと動かしながら改めて帰ってきたんだな感じた。
あれから1ヶ月が過ぎようとしていた。
ヌエの魔印が消え去り、マナが元に戻ったと同時に鬼になった人たちも元に戻った。
何が起きたのかは誰も覚えておらず、固くなった蜂蜜に絡められていることにただただ驚いていた。
お披露目会が再開されたのはそれから1週間後のこと。
流石に今回の事態を重く受け止めた王国貴族達は中止を検討したそうだがお披露目会の中心である2人、特に帝国の姫君がやりたいと訴えたらしい。
しかし、それは王国貴族達が考えていた虚栄の為ではなく、迷惑をかけてしまった国民達に謝罪を述べたいと言う気持ちからだった。
あまりにも強い姫君の訴えに王族貴族は折れ、パレードではなく王宮のバルコニーから顔を見せて国民に声をかけるということで忖度を取ったと後からグリフィン卿に聞いた。
2人の話しはとても素晴らしいものだったらしい。
最初に今回の国民達への騒動の謝罪、自分たちを、国民を守る為に戦った騎士団やメドレーへの感謝、そして2度とこんなことが起きないよう、王国と帝国の平和の為に尽力することを誓った。
そのあまりにも美しく、曲がることのない力強い言葉に直接聞いていた4人組も心を打たれたと言っていた。
エガオちゃんも聞けたら良かったねとディナが言ったが難しいこと聞かされても分からないし、とてもじゃないが動けるような状態ではなかった。
あの戦いの後、私はカゲロウに担がれて王国騎士団直属の病院に連れて来られた。
満身創痍の私を見た瞬間、医師と看護師は息を飲んだ。
命に別状はない。
むしろそれが奇跡だと言われた。
時間は掛かるが怪我も良くなるだろうと診断された。
右肩以外は。
マナの放った熱線は私の肩の骨を貫き、その熱は肉と血管と神経を焼いた。
もう手の施しようがない。
そう医師から告げられた時、正直、ショックは受けなかった。
ああっやっぱりなと思っただけだった。
戦いに出ていればいつかはそんなこともあると覚悟していた。
むしろ千切れなかっただけ良かったのかもしれない。
私の変わりにマダムが泣いた。
エガオちゃんの腕を元に戻してと泣き叫んだ。
そんなマダムの姿を見る方が腕を失うより何倍も胸が痛かった。
そんな時だった。
カゲロウがお友達のお医者さんを連れてきたのは。
赤い鬣のような髪に浅黒い肌の彫りの深い麗人だった。
彼を見た瞬間、看護師達が色づき騒めく。
彼とは初めましてのはずなのにどこかで会ったような既視感を覚えた。
彼は、私をじっと見る。そして逞しい腕で私を担ぐと迷わず診療室を出て手術室に向かった。
医師達が必死に止めるも聞かない。
私は、彼の腕に抱かれながらやはりどこかで会ったことがある気がした。
彼に手術室に連れ込まれた途端、強い眠気が私を襲う。
そして次に目覚めた瞬間、右肩は傷跡すらなく綺麗に治っていた。
私は、驚きのあまり何度も手を握り、肩を回した。
マダムは、大泣きして私に縋りつき、4人組もお互いを抱き合って泣いた。
お礼を言いたかったのに麗人の姿はもうどこかに消えてしまった。
カゲロウに聞くと「直ぐ会えるさ」と笑われた。
麗人の治療のお陰で肩は治ったがその他の部分は治療の継続が必要で結局入院生活となった。
その間、マダムと4人組は毎日のようにお見舞いに来てくれた。
マダムは、面会時間きっちりにやってきて着替えを手伝ってくれたり、ご飯を食べさせようとしたり本を読み聞かせようとしたりと子どもじゃないんだからと言いたくなるほどに世話を焼き、トイレにまで付いてこようとした時は流石に全力で止めた。
「やめてお母さん!」
私がそう叫ぶとびっくりしながらも嬉しそうに笑った。
イリーナは、今回の事件で剣球を使って人々を救ったことが評価されて学校から表彰されたと話してくれた。しかし、当の本人はあまり嬉しそうではなく、
「人を助けるなんて当たり前だろう?」
と、表彰にされたことに釈然としていない様子だった。
それよりも退院したら剣球の助っ人に来て欲しいと何度も誘われた。
ディナは、新作の花の小物を作って持ってきては勝手に私の髪の毛に飾り付けていく。
「エガオちゃんのヘアスタイル100通りは考えたからね」
あまりの恐ろしい台詞に背筋が震える思いだった。
彼女が来て私の髪を飾り付けていく度に看護師さん達が嬉しそうに覗いていき、決まって「私じゃそんな髪型出来ないわ」と言って仕事に戻って行った。
サヤは、新作の漫画を紙袋いっぱいに持ってきた。全てあの赤い鬣のような髪の麗人を主人公にしたものだ。
何でも私の治療の為に現れた彼を一目見た瞬間に惚れてしまったらしい。
「3次元でじゃないわよ。2.5次元としてよ」
照れ隠しのように誤魔化していたが正直何の言い訳か分からなかった。
ちなみに漫画はBLと呼ばれる類のものらしく、イリーナが1ページ目を開いて直ぐに閉じ、破り捨てようとしていたのを慌ててみんなで止めた。
チャコは、小さなおもちゃのピアノを持ってきて私の前で弾いてくれた。
流石、ピアノの調律師の娘だけあって毛むくじゃらの手からは想像もできない滑らかな動きで弾いていく。
私は、一曲が終わる度に「凄い!」と褒め称えた。
「・・・マナちゃんの方がずっと上手だったにゃ」
チャコは、寂しそうに言った。
マナには・・・あれから一度も会えていない。
この病院とは違う施設に入院しているらしいがそれ以上の情報は入って来なかった。
マダムがグリフィン卿に聞いてくれているが機密情報だからと教えてくれないと言っていた。
私も部隊に所属していたから機密情報の大切さは理解しているから無理は言えないのは分かっているがそれでも元気にしているかだけでもいいから教えて欲しかった。
マナ・・会いたいよ。
会ってお話ししたいよ
夜になると店を終えたカゲロウが来てくれた。
窓の下を覗くとスーちゃんもいた。
私がスーちゃんに手を降っていると「直ぐ会えたろ」 と言って笑っていたが何のことか分からなかった。
カゲロウとは特別なことは話していない。
今日、お店であったことや外のことを話すだけだ。
それでもカゲロウが来てくれるだけで私の心は満たされていた。
「退院したら何食べたい?」
カゲロウは、帰り間際になるといつも聞いてきた。
「カゲロウの作るものなら何でも」
そう言うとカゲロウは、少し困った顔をする。
でも、それが私の本心だった。
カゲロウの作るものなら何でも食べたい。何でも美味しい。
「了解」
カゲロウは、短く答えると「また明日」と言って帰っていく。
また、明日。
明日がまた来るんだ。
私は、暗くなった窓の外を見ながら温かい気持ちに包まれた。
そして一昨日、無事に退院することが出来た。
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