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エガオが笑う時 間話 とある姫の視点(3)

「魔印はな。魔号コードと呼ばれる力のある印を組み立てることで始めて意味を成す」
 紫の光が消える。
 それと入れ替わるようにお兄ちゃんの声が耳に届く。
魔号コードはこの世界に無限に存在する。木の中にもあれば炎の中、水の中、バルコニーの素材、そして人の中にある」
 紫の稲光は消えたわけではない。
 私のいる場所からでは背中しか見えないがお兄ちゃんの胸の辺りで小さな紫の稲光が弾けているのが微かに見える。
 そしてヌエの表情が驚愕と恐怖に歪んでいるのも。
 私は、リヒトを抱えて場所を移動する。
 安全な場所に逃げるのと、2人の姿をよく見る為に。
「なんだ・・・なんなのだそれは⁉︎」
 ヌエは、身体を震わせて後退る。
 ヌエの目が見ているもの、それはお兄ちゃんの胸に抱かれるように浮かぶボヤけるような黒い球体であった。
 その球体が・・・紫電を食べていた。
 黒い球体の真ん中で歯のない赤い口が柘榴のようにぱっくりと開き、紫電を貪っていた。
 そのあまりの不気味な光景に私は思わず息を飲む。
「雷食いの魔印」
 お兄ちゃんが小さく呟くと同時に鳥の巣のような神が風に煽られるように逆立ち、前髪に隠れていた目が現れる。
 その瞬間、ヌエの口から「ひっ」と小さな悲鳴が上がる。
 お兄ちゃんの目はそれほどまでに異様だった。
 お兄ちゃんの目は透明だった。
 良く言えば清らかな清水のように。
 悪く言えば空虚なガラス玉のよう。
 その透明な目に浮かぶのは左右対称。
 右目に浮かんでいるのは円や線、記号が重なり合って創られた黄金に光る刺青タトゥーのようなもの、それは間違えようもない魔印であった。
 そしてもう片方の左目、透明な瞳の中で様々な形の無数の魔号コードが遊漁のように泳いでいた。
 お兄ちゃんの胸に抱かれた黒い球体は暴れる紫電を砕くように咀嚼していく。
「雷食いの魔印は俺のお手製オリジナルでね。お前のような雷使いに特化したものだ。とても脆くて子どもに叩かれただけで消えてしまうけど雷に関してはどれだけ強力だろうと食らい尽くす」
 黒い球体は、完全に紫電を喰らい尽くすと小さくゲップをして霧散する。
 お兄ちゃんの右目の魔印が紐が解けるように分解し、瞳の海を泳ぐ。
 お兄ちゃんの目の中にこの世界には存在する全ての魔号コードが存在する。お兄ちゃんは、それらを構成して無限に魔印を創成クラフトすることが出来る。
 それがお兄ちゃんが全ての大切なものを犠牲にして得た能力。
「・・・化け物・・・」
 ヌエが声を絞り出して呟き、背中を手摺りにぶつける。
 私の心に怒りが生まれる。
 確かにお兄ちゃんの力は異様で異常。
 しかし、化け物なんかでは決してない!
 お兄ちゃんは、気にした様子も見せずに魔号コードの泳ぐ透明な目でヌエを見据える。
 魔号コードが目の中を遊泳し、再び印を紡ぎ出す。
 両目一緒に。
 ヌエは、長衣を引きちぎる。
 現れたのは胸部全体に刻まれた複雑な紋様の魔印。
 青く輝く魔印をなぞるように赤い血が滲み、吹き出す。
 飛沫となった血は空中に止まり、重なり合って無数の小さな鉄球のようになる。
 血みどろの魔印。
 紫電が効かないと悟り、戦闘方法を変化したのだ。
 ヌエは、口元に割れるような笑みを浮かべると両手をお兄ちゃんに向けて翳す。
 刹那。
 血の鉄球は吹き荒れる礫となってお兄ちゃんを狙い飛ぶ。
 私は、息を呑み込み、口に手を当てる。
 お兄ちゃんの両目の魔印が完成し、黄金に輝く。
 お兄ちゃんの前の空間がクシャクシャにされた紙のように歪む。
 血の鉄球が歪んだ空間に飛び込み、池に沈んだ餌のように消えていく。
 ヌエの表情には再び驚愕と恐怖が浮かぶ。
「殺しはしない」
 お兄ちゃんの両目の魔印の輝きが強まる。
 歪んだ空間が渦を巻く。
 水面が揺れるよう波打ち、何かが生まれるような危機感が襲ってくる。
 ヌエが恐怖に顔と身体を震わせる。
「お前を殺すことはあいつの想いを否定することにしかならない」
 歪んだ空間の中から黒い小さな塊が現れる。
 それはゆっくりとゆっくりと姿を現す。
 それは凹凸も何もない影絵のような黒い巨大な手であった。
「封印浄化の魔印」
 お兄ちゃんの両目が輝く。
 黒い、大きな手が伸びてヌエを人形を掴むように握りしめる。
 ヌエの口から声にならない悲鳴が上がる。
 身体中の魔印が青く光り、紫電が暴走して迸り、黒い手を攻撃するも傷どころか揺らぎもしない。
 黒い手がゆっくりと空間の中に引っ込んでいく。
 ヌエは、踠くも手はびくりともせずに空間の中に引っ込んでいく。
「止めろ!俺はこんな・・・こんな!」
 黒い手はヌエを掴んだまま歪んだ空間の中に沈んでいく。
 ヌエは、断末魔のような悲鳴を上げて空間に飲まれていく。
 そして黒い手とヌエが完全日沈むと空間の歪みは音もなく消え去った。
 お兄ちゃんの目から輝きが消える。
 魔印が解け、魔号コードとなって透明な目の中を泳ぐ。
 逆立っていた髪が落ち、いつもの鳥の巣のような髪に戻る。
 私は、金縛りが解けたように立ち上がり、お兄ちゃんに抱きついた。
「お兄ちゃん!」
 誰かが聞いてるかもしれない。
 そう思いながらも私は呼ばずにいられなかった。
 抱きしめずにはいられなかった。
 お兄ちゃんがそこにいたから。
 ずっと会いたかったお兄ちゃんがそこにいたから。
 お兄ちゃんも私が呼んでしまったことを責めることもなく、無精髭に包まれた口元に笑みを浮かべて私を抱きしめてくれた。
「よく頑張ったな。セツカ」
 セツカ。
 もう忘れかけていた私の本当の名前。
 もうお兄ちゃんと相棒の軍馬しか私がその名前であることを知らない。
 ユキハナと言う残虐な王女の名前を継いだあの日からその名前は世界から抹消されてしまったのだから。
 お兄ちゃんの存在と一緒に。
「お兄ちゃん・・・来てくれたんだね」
 涙が溢れて止まらない。
「当たり前だろう。お兄ちゃんなんだから」
 お兄ちゃんは、親指で私の涙を拭う。
「あいつは?」
「別の空間に閉じ込めただけだよ。その内ここではないどこかに放り出されるはずだ。魔印の力を失って」
 魔印の力を失う。
 それはあの男に取っては死よりも辛い罰となるだろう。
 お兄ちゃんは、眠りの魔印の力で今だ寝息を立てているリヒトを見る。
「彼が第2王子か・・」
 お兄ちゃんは、無精髭の生えた顎に皺を寄せる。
「お前のこと・・大事にしてくれてるか?」
 お兄ちゃんの質問に私は頷く。
「少し頼りないけど大事にはしてくれてるよ」
「・・・そうか」
 お兄ちゃんは、安堵して小さく息を吐く。
 バルコニーの向こうから爆音と共に白い煙、そして悲鳴が聞こえる。お兄ちゃんは、私から手を離すとバルコニーの手摺りに手を付いて白い煙が上がっている方向を見る。
 あの方向は、確かリヒトが望遠鏡を使って見ていた方向。
 確か笑顔のない・・・。
 私は、はっと息を飲んでお兄ちゃんの顔を見る。
 鳥の巣のような髪に隠れて見えないがお兄ちゃんの目は確かに白い煙を、その奥にいる誰かを見ていた。
「セツカ・・・」
 お兄ちゃんは、私の方を見て大きな手を私の肩に置く。
「俺、もう行かなきゃいけないんだ」
 私の心臓の鼓動が信じられないほど速く動く。
「どこへ・・・」
「あそこに。くだらない争いを止めないといけない」
 お兄ちゃんの顔はとても真剣だ。
 お兄ちゃんが真剣じゃない時なんてなかったけど今は私が知っている真剣とは違う気がする。
「本当にそれだけ?」
 私は、思わず目を細めて疑ってしまった。
 お兄ちゃんを疑ったのなんて初めてかもしれない。
「どう言う意味だ?」
 お兄ちゃんは、顎に皺を寄せる。
「別に・・」
 私は、拗ねたようにそっぽ向く。
 言葉には決してしない。
 決してしないけど分かってしまった。
 お兄ちゃんは出会ったのだ。
 失ってしまったものを埋められるくらい大切なものに。
 なんだろう?
 すごく腹が立つ。
 お兄ちゃんは、前髪越しに自分の目を触る。
 お兄ちゃんの周りで見えない力が働くのを感じる。
「お兄ちゃん」
 私の声にお兄ちゃんは、目を押さえたまま振り返る。
「また・・・会える?」
 自分でも驚くくらい弱々しい声。
 お兄ちゃんも驚いたように口を小さく開け、そして笑みを浮かべた。
 あの頃の変わらない優しい笑みを。
「直ぐ会えるさ」
 お兄ちゃんの周りを見えない力が渦巻き、包み込む。
「またな。セツカ」
 お兄ちゃんの姿が消える。
 お兄ちゃんの得意とする魔印"跳躍リープ"を使ったのだ。
 異空間を渡り別の場所に姿を現すことの出来る幻の魔印。
 私は、残った温もりを求めるようにお兄ちゃんのいた場所に手を伸ばす。
「またね。お兄ちゃん」
「ユキハナ」
 目を擦りながらリヒトが目を覚ます。
「僕はいったい?あの魔法騎士は?」
 寝ぼけた口調で言う婚約者に苛つきながらも私は笑みを浮かべて近寄る。
「リヒト」
 私が声を掛けるとリヒトは、嬉しそうに微笑む。
 しかし、私が次に口にしたのはあまりにも方向違いの言葉だった。
「笑顔のないエガオってどんな人なのかしら?」

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