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平坂のカフェ 第4部 冬は雪(36)

 スミは、震える手でカナの前に白鳥を模したカップに注いだコーヒーを置く。
 絵は、またグチャグチャだった。
 カナは、苦笑を浮かべてコーヒーに口を付ける。

 苦い・・・けど・・。

「少し甘い・・」
 カナは、大きく見開いてスミを見る。
「・・・そうか・・・」
 スミは、震える声でそう呟く。
 カナは、日に焼けたような赤い目が風に煽られる湖面のように揺れていることを見逃さなかった。

 少しずつ・・・少しずつ変化している。
 カナは、三度口を開く。
 自分に出来ること。
 それは話しをすることだけなのだから。
「2度目のカフェからの帰還後、私は貴方を連れ戻す為の方法を模索し続けた。藁にも縋るとは言うけど、何を読んでも、誰に聞いても藁の端すら掴むことが出来なかった。そんな時に、予想外の方向からその藁が私の元に垂れてきたの」

「私の母と話してみないか?」
 電話越しの友人の言葉を私は理解することが出来なかった。
「お母さん?」
 私は、思わず聞き返す。
 友人から掛かってきた電話内容は私の状態の確認と絵の話しだけだったはずだ。
 それが何故、友人の母親と話しをすると言う流れになるのだ?
「実は今日、電話したのは母に促されたのだ。私の友達と話しをする夢を見たから繋いで欲しい、と」
「どう言うこと?」
 私は、本当に意味が分からなかったし、正直言ってイラついた。
 今の私には1分1秒だって惜しいのだ。
 早く貴方を連れ戻す方法を見つけないと手遅れになってしまうのでは・・そんな焦りが絶えず私の心を削っていた。
 しかし、友人がそんな事を知る由もない。
 友人は、ゆっくりと聞き取りやすい声で話しを続けた。
「実はな・・・私の母親は占い師なんだ」
 友人の話しによると彼女の母親は知る人ぞ知る高名な占い師で母親の言葉を求めて海外から噂を聞きつけた人がやってくるほどなのだとか。
「私に大学でなく専門学校に行くように薦めたのも母だし、起業するように提言したのも母なんだ」
 その結果、学生時代に私と出会うことが出来、会社も山あり谷ありであるが順調に業績を伸ばしている。
「その母がな。今朝からカナと話したいって隣にいるんだ。"平坂のカフェ"ってところについて話したいって」
 私は、次の言葉を告げる前に代わってもらうようお願いした。
「貴方の大切な人・・・カフェにいるね」
 その声質は、友人に似ているが話し方は老婆のようなゆったりとしたものだ。友人の母親ならうちの母と年齢的には変わらないと思うが・・・。
「そして貴方は連れ戻したいと思っている」
「なんで・・・それを?」
「娘も言ってたと思うけど私占い師なの。だから何となく分かるのよ」
 まったく答えになってない。
 しかし、そんなことはどうでも良かった。
"平坂のカフェ"を知っている。
 それが今の私にとっては何よりも大事だ。
 それを知るためなら悪魔と取引したっていい。
「先に言っておくけど私には彼をこちらに戻す力はない」
 その答えに関しては特に意外とは思わなかったが、やはり無意識下ではショックだったのか、少し胸が重くなった。
「話しなさい」
「話す?」
 電話越しに友人の母親が頷く絵が浮かぶ。
「話しをすること。それが"平坂のカフェ"の唯一絶対のルール。話しをして、彼に選ばせるの。"生く"か?"逝く"か?を」

"生く"か?"逝く"か?

 それは彼が訪れた客に何度も告げてきた言葉。

「でも、彼は覚えていないんです。自分のことも、何をしてたのかも・・・そして私のことも・・・」
 私の左目から涙が伝う。
 この1年で一体どれだけ泣いているのだろう?
「だから貴方が話すのよ。話して話して彼に思い出させるの」
「でも、あっちでは彼の事を話そうとすると言葉が出なくなるんです。どれだけ話したくても伝えられない」
「それもまた"平坂のカフェ"のルール。平坂のカフェは、決して彼を離したくないの。彼はもうカフェの一部だから」
 カフェの一部・・・彼が・・。
「これから言う事をよく聞いて。貴方は私との電話を終えた後にまた平坂のカフェにいくわ」
 3度目のカフェへの来訪・・・。
「そこで貴方は大きな絶望を得る。そして彼を取り戻す方法を思いつく」
「本当ですか⁉︎」
 最初に話された絶望のなど気にも留めず私は彼女の言葉に食いつく。
「でも、その方法は決して選んではダメ。気が遠くなっても、ルールに従ってでも彼と話すことだけを考えて。その方法は・・・彼を取り戻すことしか出来ないから・・」
言っている意味が分からなかった。
 彼を取り戻せるのに何を躊躇する必要があるのだ。
「彼は、決して忘れてなんかいないわ。その証拠にカフェの中にはきっと彼の想いが形になったものが存在するはず」
 彼の想いが形になったもの?
「私には伝えることしか出来ない。答えも言うことも出来ない。これが私のルール。気づくのは貴方、選ぶのも貴方、だからこそ決して間違えないで。何が最良なのかを考えて動いて・・・」
 そこで電話は終わる。

 話すこと・・・。
 選ばせること・・。
 取り戻すこと・・・。
 絶望・・・。
 最良の選択・・・。

 様々な単語が頭の中を飛び交い、分からなくなった。
 ただ唯一の希望だけは得ることが出来た。

 彼を取り戻すことは出来るのだ。

 今はそれだけが分かればいい。

 私は、どんな事をしてでも彼を取り戻す。

 そう思いを抱き、私は彼の胸元に顔を埋め、3度目の平坂のカフェへと訪れた。

 そして絶望した。

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