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靴と鴨スープ(3)

 鴨南蛮が運ばれてきた。
 濃厚な出汁の香りが鼻腔を殴りつける。
 リサは、あまりの食の誘惑に「いただきます」と手を合わせるや否や割り箸で蕎麦を手繰る。
 十分に鴨の旨味を吸い込んだ蕎麦が口全体に口福を運ぶ。
 鴨肉も油が乗って柔らかく濃厚だ。
 リサは、思わずニヤけてしまう。
 そんなリサの様子を見て男も思わず微笑んでしまう。
 気がついたら蕎麦は無くなり、出汁も消え失せていた。
「「ご馳走様でした」」
 2人は、同時に手を合わせる。
「美味しかったですね」
「はいっとっても」
 リサは、満足げに頷く。
 あまりの美味しさにここに入った理由を忘れそうになる。
「やはりここの出汁の取り方は勉強になるな」
 そう言って男は、タブレットを取り出し、何かを記載する。
 リサは、訝しげそれを見る。
 それに気付いた男は、恥ずかしそうに頬を紅潮させ、タブレットを置く。
「すいません、つい癖で」
「ひょっとして食べ歩きが趣味なんですか?」
 よく本で食べ道楽の人はお勧めの店やメニューをメモすると聞いた事があるからそれなのかと思ったが、男は首を横に振る。
「実は僕、料理人なんです」
「料理人?」
 リサは、男の発した言葉を繰り返す。
「はい。ここから3駅離れたところにある"虹色の時"と言うイタリアンの店でシェフとして働いているんです」
 そう言って男は、名刺をリサの前に置く。
 名刺には"虹色の時 チーフシェフ 渡邉李人"と書かれている。
「きと?」
 名前の呼び方が分からず、思わず口に出す。
「"りひと"です。中々読みづらいですよね」
 李人は、そう言って笑みを浮かべる。
 人好きのする感じの良い笑みだ。
 リサも思わず笑みを返してしまう。
「チーフってことは店を経営されてるんですか?」
「いえ、調理師学校の同級生が働いてる店のオーナーが新しい店舗を出すからと誘われたんです。イタリアンのリストランテで武者修行してた経歴を買われて。まだ駆け出しなんですけどね」
 恥ずかしそうに頭を掻く。
 そんな仕草が褒められて喜ぶ犬のように見えてリサは、思わず微笑む。
 そして相手が自己紹介してくれたのに自分がしていない事に気づく。
 リサは、バックから慌てて自分の名刺を取り出す。
 名刺には"ムーン薬局 管理栄養士 小菅理佐"と書かれていた。
 名刺を見て李人は、驚き、リサの顔をマジマジと見る。
「凄い!管理栄養士さんですか!」
「い、いえそんなことは・・・」
 リサは、居心地悪そうに身を縮め、頬を赤らめる。
「いえ、難しい試験と聞いてます」
「まだまだ新米ですよ」
「でも、管理栄養士さんが何で薬局に?」
 よく聞かれる質問だ。
 リサは、予め用意していた答えで返す。
「最近は、高齢の方の介護予防や疾患の改善や障がいをお持ちの方の栄養や体調管理なんかで医師やケアマネさんから依頼を受けてご自宅に伺って栄養指導したりすることが増えてるんです。後、町内会に出向いての健康指導だったり。うちの薬局はそう言った関わりに力を入れていて私も薬剤師と一緒に働いているんです」
「へえ、そうなんですか!」
 李人は、感心したように腕を組んで頷く。
「若いのに凄いですね」
「先輩について教わってる最中です。それに自分でやりたかったことなので・・・」
「薬局に勤めることが?」
「いえ、困ってる人たちの支援をする事が・・・父ががケアマネだったので困ってる高齢者の方の支援をしてたので・・」
「なるほどそれで・・・親子で凄いですね」
 李人は、感心しすぎて大きく息を吐く。
 しかし、リサの顔はどこか翳りがあった。
 どうかしたのか、と聞こうとしたが、あまり触れてはいけないことかもしれないので止めた。
「ところで李人さん・・・」
 リサの口調が固いものに変わる。
 突然の変化に李人は思わず背筋を正す。
「何でしょうか?」
「その・・・靴の件ですが・・」
 言われて李人は思い出す。
 鴨南蛮が美味しいのと話しが面白かったのとですっかり忘れてしまっていた。
「ああっそうでしたね」
 李人は、改めてボロボロの靴を履いた足を見えるように出す。
「私が町を歩いていた理由は2つあるんです。1つは修行の為に有名な店を回ってレシピを味わって盗むこと」
 そんなことを店で堂々と言っていいのだろうか?と思わずリサは視線を厨房や店員に向ける。が、みな忙しくてこちらに意識を向けていない。
「もう1つがこの靴の本当の持ち主を探すことなんです」
 リサの心臓が激しく鳴り響く。
「持ち主を・・・探す?」
 李人は、頷く。
「先程も言ったようにこの靴は僕の物ではありません。そしてこの靴も元の持ち主を探しているのです」
 李人は、話し出す。

 とてもとても不思議な話しを。

                つづく
#短編小説
#出会い
#管理栄養士
#ケアマネ

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