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ジャノメ食堂へようこそ!第5話 私は・・・(14)

 ナギが出ていって二年が過ぎた。
 それまでの間、アケは空虚に生きていた。
 いや、空虚に生きることしか出来なかった。
 それだけがアケに出来ることだから。
 いつまでも自室とした部屋のベッドの端に座り、汗を掻いて気持ち悪くなり過ぎてようやく風呂に入り、汚さない程度に排泄し、お腹が空き過ぎたら食材をそのまま食べた。
 ただただ生きる為だけに。
 ただただ死なないようにする為に。
 料理なんてほとんどすることがなくなった。
 別に好きで料理をしていた訳ではない。
 作って喜んで食べてくれる人がいる、だから作っていたのだ。
 いつも。
 楽しく。
 嬉しく。
 でも、もう喜んでくれる人はいない。
 一緒に食べてくれる人もいない。
 アケは、虚に、変わり映えのない景色を窓から眺めてきた。
 その時だ。
 男の子が立っていた。
 金髪の三歳くらいの男の子が。
「ナギ?」
 そこに立っていたのはアケの記憶に深く刻まれていた幼い頃のナギだった。
 ナギは、あの頃の同じ可愛らしい笑顔でアケを見上げている。
 違う。
 そんなはずない。
 あれがナギな訳がない。
 そんなこと頭では分かりきっていると言うのにアケは部屋を飛び出し、屋敷の外へと飛び出した。
 今、思うと自分は相当におかしくなっていたのかもしれない。
 ナギは、いなかった。
 やはりアレは幻だったのだ。
 寂しい、悲しい、辛いと感じた自分が見せた幻。
 なんて自分は馬鹿なんだろう。
 愚かなんだろう。
 アケは、卑下しながら屋敷へと戻ろうとする。
「姉様」
 アケの耳に声が響く。
 アケは、声の方を振り返る。
 森の方に向かってナギが立っていた。
 和かに笑みを浮かべてこちらを見ている。
「姉様」
「ナギ……」
 アケは、震える手を伸ばす。
 しかし、ナギはアケの方には来ず、森の中へと入っていく。
 おかしい。
 ナギが自分にそんな態度を取るはずない。
 と、言うよりもあれがナギなはずがないではないか!
 しかし、考えとは裏腹にアケの心と身体は幼いナギを追いかけていく。
 手入れのされてない獣道にもなってない森の中をアケはナギを追いかけ進んでいく。
 着物が切れ、露出した素肌が傷つき、血が流れる。
 それでもアケはナギの影を追いかけて森の中を進んでいく。
 どのくらい森の中を歩いたのだろう?
 少なくても二時間、いや三時間は歩いたのではないだろうか?
 気がついたらアケは森を抜けていた。
 広がる殺風景な土が剥き出しな平原。
 傷口を舐めるように滲みる風。
 痛いくらいの青空。
 そしてずっと奥に見える白く、荘厳で大きな城。
 蛇の目でなければぼやけてしまうような距離だがアケにははっきりと見える。
 それは幼い頃に毎日のように見ていたもの。
 かつてアケ自身が住んでいた場所。
「白蛇の……城……」
 アケは、その場に崩れるように膝をつく。
 父と母の穏やかな笑顔が蘇る。
 アケ……と優しく名前を呼んでくれる声。
 抱きしめてくれる温かい温もり。
 それらの記憶が水のように湧き出てアケを溺れさせる。
 そして同時に蘇る切り刻まれるような残酷な記憶も。
 近寄るな化け物!
 醜い!
 お前など人間ではない!
 娘でもない!
 消えろ!
 消えろ!
 死ぬことなくこの世から失せろ!
 アケは、両手で顔を覆い、泣き崩れる。
「お父上様……お母上様……」
 アケは、血が滲むほどに唇を噛み締め、嗚咽する。
「酷いよね」
 幼いナギの声がする。
「姉様は何にも悪いことしてないのにさ」
 アケは、涙に濡れた顔を上げる。
 幼いナギが和かにアケに笑いかける。
「ナギ……」
 違う。
 これはナギじゃない。
 そう分かっているのにアケは目の前の幼いナギをナギと呼んでしまう。
 縋るように。
 助けを求めるように。
「仕返ししようか?」
 ナギの口から出た無邪気な言葉の意味をアケは飲み込めなかった。
「しか……えし?」
「そう」
 ナギはアケの顔に、白い鱗のような布に触れる。
「仕返し」
 ナギは、にっこりと微笑む。
「あいつらは姉様がこんな辛い想いをしてるなんて全然知らないよ。知らずに笑って、知らずに美味しい物を食べて、知らずに愛を語り合ってるんだ」
 ナギの指先がアケの白い鱗のような布を上を8の字を描くように動く。
 指をなぞったところが紫色に光る。
「そんなの許せる?」
「それは……だって……」
 アケの声が震える。
 何かを言おうとするのに相手を、自分を納得させられる言葉が出てこない。
「許せないよね?腹立つよね。ムカつくよね」
 幼い時のナギからは絶対に飛び出すことのなかった雑言が滑るように出てくる。
「あんな奴ら……殺してやりたいよね」
 アケの顔から血の気が引く。
 殺したい?
 父と……母を?
 国のみんなを……?
「私は……そんな……」
 アケは、弱々しく否定する。
「認められないよね」
 幼いナギの手が白い布からアケの頬に下りる。
「姉様は優しいから。そんなことは思っても口に出せないよね」
 違う!
 そんなこと……!
 アケは、必死に否定する。
 しかし、言葉として出せない。
 心が、身体が言葉として出すのを拒否している。
「ごめん。意地悪だったね」
 幼いナギは、和かに笑う。
「大丈夫だよ。姉様がやる訳じゃないから」
 幼いナギの両手がアケの両手を握る。
「姉様の想いはその目の中にいる方々がきっと叶えてくれるから」
 幼いナギの手がアケの手を持ち上げる。
 ダメ、イケナイ!
 アケは、逆らおうとするも身体が言うことを聞かない。
「姉様は何にも心配しないで」
 ナギの両手に導かれ、アケの両手が後頭部に、白い鱗のような布の結び目に触れる。
「目が覚めた時には全て終わってるから」
 ナギの顔が冷たく笑う。
 結び目が音もなく解ける。
 そこからの記憶は……ない。

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