遠藤大輔

職歴30年のビデオジャーナリスト。TV報道と並行して大学での講義も20年務めた。現在は…

遠藤大輔

職歴30年のビデオジャーナリスト。TV報道と並行して大学での講義も20年務めた。現在は「ストアカ」講師、「ボトムアップチャンネル」を主催。東京ビデオフェスティバル2006優秀作品賞ほか多数。著書に「ドキュメンタリーの語り方-ボトムアップの映像論-」(勁草書房/2013)がある。

マガジン

  • D.ENDO's 映像コラム

    遠藤大輔と申します。ビデオジャーナリストとして職歴30年、うち15年は民放局での特集制作、並行して大学等での講師歴20年!現在は「ストアカ」で講師もやっています。著書としては「ドキュメンタリーの語り方 -ボトムアップの映像論-」(勁草書房/2013年)があります。作品の受賞歴は第20回東京ビデオフェスティバル・ビデオ活動賞として「新宿路上TV」、同2006優秀作品賞として「Dialogue in Palestine」、貧困ジャーナリズム大賞・特別賞として「渋谷ブランニューデイズ」等があります。ここnoteでは、映像全般と、専門のドキュメンタリーに関するコラムをお届けします。

最近の記事

No.14 撮影の「今」

かねてより製作中だった短編レポート「公的医療はどこへ行く」が完成しました。ほっと肩の荷が下りると同時に、いくつかの場面には後悔も残ります。集中力というか、「その場にいる緊張感」に欠けていたなあと思う反省点がいくつかあるのです。技術が進歩して、編集でいろいろ修正が効くことに慣れすぎていたかもしれません。もっと無心にならなければいけない。目の前の出来事とシンクロしなければなりません。 そんなふうにつらつら思っていたところ、「ストアカ」の教え子が構成原稿で「常に変化していくから”

    • No.13 報道のスペクタクル化

      日本のテレビの最大の犯罪は、あらゆることを他人事(スペクタクル=見世物)に仕立ててきたことだと思います。 1990年代初頭にHIVウィルスが上陸したさい、すでに約3000人の血友病患者が感染していたにもかかわらず、当時の厚生省は「第一の感染者が同性愛者」だと発表した。血友病患者の感染を隠蔽するために、です。これに乗ったマスメディア、特にテレビは「AIDSは同性愛者の病気だ」との言説(ディスクール)を広めました。その結果、マジョリティである異性愛者は油断し、感染者数がほんの数

      • No.12記号としてのホームレス

        視覚的記号は一般言語と同じく、記号=記号内容/記号表現からなる、と言われています。ただし、記号内容と記号表現の相関関係は、一般言語ほど明確ではありません。ルネ・マグリッドの「これはパイプではない」という作品が示すように、まったく乖離した結びつきだってあり得るのです。この記号内容と乖離した記号表現のことをジャン・ボードリヤールは、「シミュラークル」と呼んでいます。 こうした考察で思いつくのが、日本での「ホームレス差別」です。ホームレスを生み出す構造は、実はしごく単純なものです

        • 【映像+リポート】新型コロナ(COVID-19)と日本の医療政策

          メイン動画「コロナと医療崩壊 -人災としてのパンデミック-」(2021) 1.感染症対策と新型コロナ(COVID-19) 新型コロナのパンデミックを語る上で重要なのは、そもそも日本の感染症対策がどれだけ充実していたかという点である。実は、結核患者の減少により、日本では保健所が全国的に減らされてきた経緯がある。保健所の数は、1960年代から一貫して800カ所を上回っていたが、1992年の852カ所をピークに、現在は469カ所(2000年)にまで減少していた。 また、病院にと

        No.14 撮影の「今」

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        • D.ENDO's 映像コラム
          13本

        記事

          No.11見えにくいモンタージュ

          言語構造的な意味での映像の一単位はショットないしカッ トと呼ばれます。物語的な作品では一つの場面は複数のシ ョットで構成されるが、ほとんどの人はこれに気づいてい ません。映像に言語的構造があること自体が知られていな いため、YOUTUBEなどのアマチュア映像の多くが、リュミエ ール兄弟の頃と大差ない作品をアップロードしている。つ まり、100年以上遅れたテクニックを使っているといえます 。 そもそも映像の言語的構造(モンタージュ)は、「自然に 見えること」を

          No.11見えにくいモンタージュ

          No,10 メディアリテラシーの矮小化

          かつて日本人は世界で最もテレビ視聴時間の長い国であり、「テレビ報道=事実」と妄信する人が多い国でした。そこへ疑惑と不信感をもたらしたのは、「テレ朝・やらせリンチ」事件(1985)や「NHK・禁断の王国ムスタン事件」です。いずれも事実でないことを過剰演出で描いたことが発覚し、人々に衝撃を与えました。 その流れに乗るかのように翻訳・出版されたのが「メディア・リテラシー /マスメディアを読み解く」という本です。メディアリテラシーとは「メディアの読み書き能力」を指し、原版はカナダ・

          No,10 メディアリテラシーの矮小化

          No.9 不可視のその先へ

          若い頃お世話になった恩人で、庄幸司郎さん(故人)という人がいた。現在、レイバーネットの共同代表である松原明さんと知り合うきっかけにもなった人です。庄さんは、建設会社を経営しながら、ドキュメンタリー映画や市民運動に資金を出す、まあわれわれにとっては神様のような人でした。長く話したことはないが、いろいろ気にかけてくれて、彼なりの哲学を聞きました。その一つが「普通に目に見えているものを撮っても、ドキュメンタリーにはならん」という言葉です。 当時私は新宿西口の野宿者コミュニティ=通

          No.9 不可視のその先へ

          No.8 ディエジェーズの相対化

          私の研究・教育体系 D-Method のメインフレームは、「物語の具現化構造」です。略して、物語構造と呼んでますが、すなわち、物語世界(以下、ディエジェーズ)物語叙述(以下、ナラティブ)物語言表(以下、レシ)の三段階からなる三段階のモデルです。簡単に言うと、映像で物語を作るときの構造です。 多くの人は、撮影技術+編集技術=作品と勘違いしていますが、それはレシの手段に過ぎません。ストーリーを紡ぐナラティブと、それが描き出す世界観、ディエジェーズの構築なしには、作品はできあがら

          No.8 ディエジェーズの相対化

          No.7 喜怒哀楽

          講座に来られる皆さんは、旅行やVlogなどをうまく撮りたいとワクワクしておられます。それに応える私は本当に幸せです。今までわからなかったことが理解できて、嬉しそうな笑顔を見るのが好きなんです。大学での授業もとても楽しみながらやっていました。 ただし、私の本業は、報道系ドキュメンタリーなので、ジャンルにもよりますが、病気の方や何らかの被害を追って苦しむ方、あるいは肉親を亡くして絶望にくれている方などの取材を余儀なくされます。そういうとき、私は心の中に大きなダムを作って、涙を貯

          No.7 喜怒哀楽

          No.6 ファインダー

          今は液晶パネルが当たり前のようについているビデオカメラ。でも、私の修行時代はファインダーしかなかった。で、よく言われていたのは「ファインダーで絵を探すな」ということ。「ファインダー=探すもの」なのに。プロカメラマンは右目をファインダー左目は外の状況をみるべき、と教えられました。状況がわからないと、何を狙うかを決められないからです。逆に、状況が見えていれば、次に狙うべきものを予測し、先回りできるからなんですね。まあ、ブライダル撮影とか、ドキュメンタリーの撮影ではとても重要なこと

          No.6 ファインダー

          No.5 ビデオカメラのリベンジ

          皆さんは撮影のとき、どんなカメラステータスで撮っていますか?フルオートで手振れ補正をかけて撮っている?OKです。それでいきましょう。そう断言できるのは、ビデオカメラの進歩がすごいからです。ワンオペで使う小さなカメラにもマニュアル機能はありますが、操作がややこしいので、そこにこだわるとせっかくのよい場面を撮り逃がします。基本はオート、どうしても必要なときはマニュアル。それがワンオペのコツです。 少し前になりますが、背景をぼかすために一眼レフによる動画撮影が流行りました。私も使

          No.5 ビデオカメラのリベンジ

          No.4 映像・音声・文字の関係

          長編映画のトーキー(音声付映画)は1927年に発表発表されており、今や音声は映像作品に欠かせない要素となっています。しかし、正確にいうと、映像にはそもそも欠如があったと言うべきです。 実は映像はそのままでは万能ではありません。音声のみならず、固有名詞(場所や人物)や数などを示すのには限界があり、もともと情報伝達の手段としては、欠如する要素があったというふうに私は解釈しています。 トーキー以前の無声映画、例えば有名な「戦艦ポチョムキン」などでは、欠けた要素を補うために、全面

          No.4 映像・音声・文字の関係

          No.3 アンドレ・バザンの亡霊

          映像の言語的構造、すなわちデクパージュ(ショットサイズ)とモンタージュは、決して規則ではありません。映像表現は自由であり、そうでない表現や逆用した表現があってもよいのです。しかし、大方の映像作品はモンタージュに沿っているよ、と私は教えています。なぜなら、人間の視覚的反応とうまく調和し、一般に慣用化された表現だからです。 ところが、ひねくれた人というのはどこにでもいて、映画史上でも有名なのが。批評家のアンドレ・バザン(1918-1958)でしょう。彼はデクパージュで現実が切り

          No.3 アンドレ・バザンの亡霊

          No.2 劇映画とドキュメンタリー

          すべての映像ジャンルの中で撮影が一番難しいのは?と聞かれたら、迷うことなく「ドキュメンタリーだ」と私は答えます。「事実か架空か」という違いもありますが、技術的には圧倒的にドキュメンタリーが難しいです。 劇映画の場合、セットなり背景があり、カメラが据えられたところで役者が演技をする。役者のNGはあるかもしれませんが、カメラは準備が完璧ならば、失敗は少なくてすみます。 しかしドキュメンタリーの場合、撮る対象は役者ではありません。ましてカメラのために動くということ(テレビクルー

          No.2 劇映画とドキュメンタリー

          No.1 映像と脳科学

          映像言語構造の上では、映像作品の最小単位はショットであるとされています。しかし、物理的に「1コマ」という場合は、1フレームというのが最小単位です。これはアバウトに言うとインターレース方式では「30分の1秒」で、プログレッシブ方式では「60分の1秒」となるのですが、いずれにせよ、目の前の景色を完全に連続して撮影されるわけではなく、エジソンのキネトスコープの頃から一貫して、「欠落」はあるのです。  私たちはこの「欠落」をほとんど意識せず、連続した動きとして映像をとらえます。それは

          No.1 映像と脳科学

          新宿路上TV the Chronicle

          【企画意図】 ビデオジャーナリスト遠藤大輔が、青年期に実際に行った活動「新宿路上TV」(下線クリックで映像再生)の経緯を再現し、メディアの社会的意義を問う青春ドラマ。なお、「新宿路上TV」は第20回東京ビデオフェスティバルでビデオ活動賞を授与されたほか、素材の一部はNHK,一部民放局でも使用された。 【企画概要】 時に1993年。テレビ報道に疑問を持つ映像作家・遠藤大輔(26)がいた。ブライダル撮影の収入で、自主制作を試行錯誤する日々。だが、ある日突然、会社都合で職を

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