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No.12記号としてのホームレス

視覚的記号は一般言語と同じく、記号=記号内容/記号表現からなる、と言われています。ただし、記号内容と記号表現の相関関係は、一般言語ほど明確ではありません。ルネ・マグリッドの「これはパイプではない」という作品が示すように、まったく乖離した結びつきだってあり得るのです。この記号内容と乖離した記号表現のことをジャン・ボードリヤールは、「シミュラークル」と呼んでいます。

こうした考察で思いつくのが、日本での「ホームレス差別」です。ホームレスを生み出す構造は、実はしごく単純なものです。土木・建築現場の飯場に代表される「寮付き」の仕事についていた人が、仕事を失くすと同時に住処を失うというのがその共通項です。ヒッピーとも違うし、好きで野宿しているわけではありません。

だが、私たちの取材に応じた一般市民の一部は、あるいは野宿者襲撃の経験がある少年たちは、彼らを「努力してこなかったからああなった」「ああなったら終わり」などと言います。で、「じゃあ、実際に彼らと話したのか?」と聞くと、話したことはない、というのです。

これはまさしく現実から乖離した記号=シミュラークルだが、その根拠はなんでしょう。テレビ報道も一因かと思いますが、私はメラニー・クラインのいう防衛機制<投影の一人歩き>だと思っています。

バブル崩壊以降の不安定な雇用情勢の中、「自分はあんな生活には耐えられない」「ホームレスにはなりたくない」という不安を、「自分は努力しているから大丈夫だ」「彼らは努力していないのだ」と合理化しているだけなのです。それは根拠のない妄想にすぎません。

野宿者襲撃事件は未だにニュースになりますが、少年たちは実体としての野宿者に対してではなく、現実と乖離し合理化された記号=シミュラークルを攻撃していることになります。そんなことで傷つけられ、あるいは殺されてしまうとは、まったく不条理な話です。

中流が崩壊し、貧困が一般化しつつある現在こそ、こうしたシミュラークルによる誤解は減りつつあると思いますが、2017年にTBSが放送した「犬男爵」事件のように、マスメディアによる幼稚な煽りの火はくすぶっています。「ホームレスは数字(視聴率)が取れる。みんな自分より下の人間を見て安心するんだ」とテレビ局のプロデューサーは言います。人権問題である以上、許されないことです。あらゆるマイノリティに対し、メディアは本質を理解した上で報道を行うべきだと思います。

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