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No.9 不可視のその先へ

若い頃お世話になった恩人で、庄幸司郎さん(故人)という人がいた。現在、レイバーネットの共同代表である松原明さんと知り合うきっかけにもなった人です。庄さんは、建設会社を経営しながら、ドキュメンタリー映画や市民運動に資金を出す、まあわれわれにとっては神様のような人でした。長く話したことはないが、いろいろ気にかけてくれて、彼なりの哲学を聞きました。その一つが「普通に目に見えているものを撮っても、ドキュメンタリーにはならん」という言葉です。

当時私は新宿西口の野宿者コミュニティ=通称「ダンボール村」に足を運んでいたが、つくづくその言葉をかみしめる日々でした。野宿者がなぜ野宿しているのか、最初はそれさえわからなかったが、一人ひとりの人生を聞いていったとき、その裏側に土木・建築の巨大な下請け構造があり、違法な労働環境もあると知りました。ときに1993年のことです。

南北二本の地下通路、そこにはびっしりとダンボールハウスが軒を連ねていたが、いつの間にか、それが普通の風景となり、通行人は見てみぬふりをして通り過ぎる。その風景に一歩を踏み込むと、いろいろな人生や、人間関係、助け合いの世界が見えてきて、これが路上のコミュニティ放送「新宿路上TV」の活動につながりました。

物語論の創始者ウラジミール・プロップによれば、物語とは、主人公が異世界に旅立ち、凱旋してくる過程として捉えられる。それを学んだのはだいぶ後のことでした。

2012年に公開したドキュメンタリー映画「渋谷ブランニューデイズ」は、やはり野宿者を中心とした物語ですが、そうした物語構造を意識し、軸となる人物を設定。渋谷の雑踏から始まり、雑踏に終わる構成に仕立てました。観客の感想には「映画を見た帰り道、渋谷の風景がいつもと違って見えた」というものがいくつかあって印象的でした。

すでに民放局で100本近くの特集を手がけた自分は、並行して記号論・物語論を学び、大学でも映像を教えていました。けれども、「渋谷ブランニューデイズ」を作ることで「日常から異世界へ、異世界から日常へ」その「境界」を越えるというドキュメンタリーの本質が、ようやく腑に落ちて思いました。「庄さんに見せたかったな」と。(2023年8月19日)

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