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しゃぼん玉と線香花火みたいな一生

こんにちは。こんばんは。
今回は、人の一生ってしゃぼん玉と線香花火みたいという事について話していきたいと思います。


人の一生って、一瞬に咲く花のようであるから儚く尊いものだと思います。
今では人生100年と言われるようになり、長寿国である日本人の寿命もさらに長いものになりました。

自分の人生は長いのか短いのか。
そんなことは今時点から考えたって誰にもわかりません。
それぞれの寿命というのはあると思いますが、時の流れから考えると本当に一瞬なのだと思います。
まあ~でも、個々で長く感じるか短く感じるかはあるかもですね。


でも、一生というのは儚く限られたものだからこそ、素晴らしく思えるのかもしれませんね。
人生80年~100年で生きられるとしても、結局はそれだけの月日に限られるわけです。
つまり命や時間、その中でやれる事にも最初から限りがあるのです。

だけど、人は人生に限りがある事を知っています。
そうであるからこそ一生懸命に生きようと思うわけです。
その日が来るまでは生きたいと。


人生という一瞬は、まるでしゃぼん玉と線香花火みたいです。


大小の丸いしゃぼん玉のように色んなタイプの人がいて、ふわふわ漂いながらも迷いながらも模索して生きています。

パチパチと火花を咲かせる線香花火は人生そのものを表しているかのよう。
火玉が丸くなるまで人は未熟なものであって、経験と成長の中で歩みを進めていきます。
やがて火玉が丸くなり人として成熟した時、人生の線香花火は花開きます。
そして命を燃やすかのように一瞬の中で綺麗な火花を咲かせるのです。

咲き誇るだけ咲き誇ったら、最後は静かにその花びらを閉じていく。


人生は命の花を咲かせる一瞬の美。

だから人の一生はしゃぼん玉と線香花火のように儚く尊いのです。

それでは今回はここまで。また次のお話で会いましょう。








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