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思う、ばかりの国で

ふと、後ろ向きに歩いてみたくなる。
それはかなり昔、幼子の頃にやったようなやさしい音頭ではなくて、かなり緻密に機械的にそういう動きで進みたくなる。進んでいるのか後退しているのか、その区別を何に委ねているのだろうと考えたとき、やはり意思の方向に向かっているかどうかだと思う。
そう考えれば、完全に進んでいることになるけれど、後ろ向きに進む時には去っていく景色ばかり見ているわけで、それが不可思議に自分から遠い。たとえば、自転車でそんなことはできないし、自分の足で歩くっていうことの、そういうある種の不自然な自由さがあって、その上に乗り込んでこその仕草なのだ。そこを求めていたのかもしれない。

踊ってばかりの国、というバンドがある。
わたしはあまりよく知らないけれど、いい音楽だということはわかる。それは歌のうまさや曲の新しさよりも先に、伝えたいという意思があるような気がするからだ。
それがいいとか悪いとか、そういうことではなくて、ただこの人たちは、音楽という器にのせてそのからだで息をしている。
ライブ映像をみたときに、なんて美しい目をしているんだろうと思った。それはもう遠くにいってしまいそうな目をしていた。あまりにも無垢で、黒くて澄んでいる。この目を見たことがあると思った。みなもう、あちら側へ渡ってしまった。それから、どうやっても会いにいかなければならないと思った。
不安定の中で生まれる創作の、揺り動かされ方は異常だ。すこぶる美しい。だからこそ、美しいものは畏怖されるのだ。

いつか会いにいってみたいと思う。
その国に触れてみたいと思う。
そう思えるからだをわたしはもっていたいと思う。


思う、ばかりの国で。


23.1007

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