逢瀬のすべて
水を飲む。
飲み口に少し残されたなまぬるい温度が、少し天国だった。名前に果てはないように、わたしに命がよりかかる。たわんで、すべてがおじゃんになる。
ふるい雨が降っている。腕の内側にすっかり細い蛍光灯のような骨がある。それをきゅっと引き寄せるみたいに雨を見あげる。傘は忘れてしまった。白いひかりがわたしから駆け上がって空へ飛びついていった。それは涙ともいえるものだった。
わたしの黒いトートバッグには何も入っていなかった。貰い物の大事なお財布と、ペットボトルの水。交差点のような正確さでただそこにあった。わたしは息を吐いた。
マスクの内側では晴れた沈黙が募っていた。
パスタを作る時、塩を思った倍はいれるといいよ、と教えてくれた人は誰だったろう。
水色って水面に映る青空の色なんだよって教えてくれた人は誰だったろう。
欠片の芯だけかき集めて、わたしができている。あんまり光らない。
パフェグラスに塩バニラ味のバウムクーヘンをふんわりのせて、バニラアイスを添える。じんわり溶けたバニラアイスがしみていって、あまいにおいがする。スプーンで掬えば、わたしの胃の中にすべてころがりおちていく。
暗がりの先、その頃にわたしはあなたを忘れているというのに。
雨の日はすこし辛い。
雨のない日はすこし寂しい。
わたしたちのからだはほとんど水だから、たぶんそういうふうに出来ている。
少し天国に近い水辺で、わたしはずっと遠くを眺めていた。そろそろ行こうか、なんて声に頷いて、それから泣きたくなった。満足したなあって顔をしてにこにこ笑って、本心なのに本心のなかに本質はなかった。
砂浜では犬が駆けていた。
わたしはそれを見ていた。
それだけでよかった。
逢瀬のすべては、それだけでよかった。
24.0430
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