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シナ(チャイナ)文化の特異性《サイトマップ》

 長い歴史と独自の文化で中国は世界から注目される国ですが、同時に、歴史の長さと文化の独自性で、分かりにくい国とも言われます。元外語大岡田英弘教授の「岡田英弘著作集」を入り口に、中国文化の特異性を見てみましょう。

■シナ(チャイナ)文化の特異性

(1)中国:民族の成立とシナの歴史

(2)第4のシナ:日本化の時代-中華民国以降—日本の影響

(3)中国民主化の始まり――孫文・辛亥革命

(4)中国人は人を信用しない

(5)中国には外交政策・世界政策がない

(6)漢人にとって「公」とは、私腹を肥やす手段

(7)現代中国語に革命をもたらした日本語

(8)日清戦争――日・シナ関係の歴史的大逆転

(9)シナ/中国における支配者のカリスマ性と正義

(10) およそ中国数千年の歴史を振り返っても心中はただの一件もない

(補)中国にもない漢字・漢文の大系が日本で出版されているわけ

■以下もご覧いただけるとうれしいです。

ものづくり 日本の心
――日本のものづくりは、世界の財産である――

 ものをつくるということに関して、私たち日本人は世界的にも珍しいこだわりを持っているようです。私たちはなぜこんなにコンパクトで、高品質なものづくりをするようになったのでしょうか? そんな疑問から、私たちがどのようにものづくりに取り組んできたのか、考え方とものづくりへの取り組みの歴史などを振り返ってみたものです。

横浜の開港と生糸貿易の始まり
 1954年、横浜を開港すると、たちまち生糸が注目され、日本産業近代化への貴重な資金源となりました。やがて鉄道が敷設され、横浜の街は欧米の近代文明の流入窓口になりました。

横浜の洋館・建造物
 生糸貿易を中心に取引は急速に拡大し、多くの商人が世界から集まり、横浜は貿易の一大集散地に成長しました。そんな商都を支えたのが多くの洋館です。

<ものづくり紀行>横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
  ――150周年を迎える現役ドックの宝庫―-
 1854年、横浜を開港するにあたって、列強の侵略からいかに日本の国土を守るかが最大の課題でした。こうして日本が目指したのは殖産興業と富国強兵でした。その第一歩として建設されたのが製鉄と軍艦の建造を目的とした横須賀製鉄所でした。後に造船王国につながる横須賀製鉄所の歴史を振り返ってみます。

薬師寺・法隆寺--いまに伝わるものづくりの技
 重機も自然科学の知識もなかった1500年も前に、飛鳥の工人たちはどのようにして1000年も持つ寺社を建造できたのでしょうか? いまだになぞとされる飛鳥工人たちのものづくりの知恵を考えてみます。


エトセトラ

 特にテーマを定めず、ふらふらと文をつづったものです。深い意味はありません。

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