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(7)現代中国語に革命をもたらした日本語

 ■漢字には品詞もなく、性も数も格も、変化もない。

漢字には品詞もなく、性も数も格も、変化もない。漢字を並べるだけでは微妙なニュアンスはすべて抜け落ちてしまう。しかも、シナの話し言葉には全国共通の文法というものがないので、一つの文のなかで漢字をどう配列するか、その基準もなかった。漢文はいろいろに解釈できるあいまいなものだったのである。(P514)
それでは西洋の新しい理論を学ぶのには不向きだ。そこで、日本語をお手本にすることになった。「て・に・を・は」があれば、文章のつながりもはっきりする。(P.515)

「岡田英弘著作集Ⅳ 」P.514-515

 ・所有を表わす日本語の「~の」に当たる文字として「」、
 ・位置を表わす前置詞的な「~に」は「」や「」などを入れ、
 ・ (~に関して) 「関于」、
 ・ (~によって) 「由于」、
 ・(~と認める)「認為」)
 ・ (~と見なす) 「視為」、
なども、日本語を翻訳する過程で生まれた。(P.515)

日本語の表現力を導入し、句読点を入れる
 さらに句読点を入れたり、横書きにしたりするようになったのも、日本文の影響だった。
そして、日本語にならい、
 ・「西洋化」の「化」や ・「中国式」の「式」
 ・「優越感」の「感」、 ・「新型」の「型」
 ・「必要性」 の「性」、 ・「文学界」の「界」
 ・「生産力」の「力」 ・「価値観」の「観」
というような文字を使って語彙を増やしていった。
この結果、中国語の表現はそれまでとは比較にならないほど豊かになり、緻密さと論理性が加わるようになった。 (P.515)

 こうして、まず文法は日本の古典的文法、語彙は日本製熟語を借用して官庁用語や新聞用語として使用された。 この結果、中国語の表現はそれまでとは比較にならないほど豊かになり、緻密さと論理性が加わるようになった。(P.515)

「岡田英弘著作集」P.515

現在の中国語は文法も語彙も日本からの借用の結果

当時(日清戦争1894年後:筆者注)のシナの民法典や刑法典は、日本の法典を丸写ししたようなものである。また、当時流行した科学の本には、漢字で表現した名詞のあとに日本語の読みがついているありさまであった。科学から 行政、軍隊の分野まで日本でつくられた語彙で埋められていった。(P.481)
 
シナの知識人たちは日本文化に対して大きな 憧れを抱き、日本の影響を身近に感じていたのである。ところが現在の中国人は、彼らの使っている 中国語が、じつは文体もボキャブラリーも日本語からの借用であるということをすっかり忘れてしま っている。日本人もまた、そのことを知らない。まことに残念なことである。(P.482)
これは現代中国人の異常に肥大したナショナリズムが、大きな原因なのかもしれない。だが、そのこととは別次元の問題として、両国の人々が心に留めておいていい事実ではないだろうか。(P.482)  

「岡田英弘著作集」P.481-482

 こんな風に、日本語が現代の中国語に大きな影響を与えてきたとは、まったく知識もなかった。
 岡田も書いているように、「両国の人々が心に留めておいていい事実ではないだろうか」。本当にそう思う。

 これは、第二次大戦後に賠償などの意味を含めて、日本が中国で橋脚の整備などインフラ整備にかなりの額のODA予算を投じながら、中国国民に刺激を与えるといけないという中国政府の要望で日本の資金協力を伝える「記念碑」などを設置しなかったために、日本が中国に対して多大なインフラ整備支援を行ったということが中国の人たちにまったく知られていないという事態になっていることにも通じる。
 このことには、サンフランシスコで講和条約に中国が参加していなかったというちょっと複雑な事情がからむのだが。


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