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(2)第4のシナ:日本化の時代-中華民国以降—日本の影響

 前回の「第4のシナ:日本化の時代-中華民国以降—日本の影響」の中で、第1期から第4期までのなかで興味を持ったのは、第4期「第4のシナ:日本化の時代」というタイトルである。果たして日本が現代中国にどのような影響を与えてきたのか、タイトルから興味を引いた。以下、引用と要約が混じっている。論文としては論外だが、単なる感想なので、ご容赦いただきたい。詳細については「岡田英弘著作集Ⅳ」(藤原書店)参照ください。

日清戦争(1895)で日本に敗れた清国は危機を感じ、明治維新以降急速に近代化する日本を見習おうと、日本への留学を奨励する。その手段となったのが、科挙制度を改正し、留学帰りの人材を官吏に登用することにしたことで、日本への留学が一気に増えた。孫文・魯迅・周恩来・郭沫若など多くがいる。
 辛亥革命(1911-12)は、孫文と陸軍士官学校留学生たちによる蜂起で、清国を倒し中華民国を生み出した。この時の留学生が持ち帰ったのが「和製漢語」。漢語にないために西欧の文献を読めなかった中国人が読めるようになったのは、先を進んでいた日本人が英語の翻訳を通じて、和製漢語を生み出していたからでもあった。
 経営・工業・商業・企業・銀行・政策・市場・・・、組織・階級・労働・思想・改革・解放・人民・共和国・共産主義なども日本生まれである。
中国では、いまや日本からの逆輸入語がなければ社会が成り立たない。

■日清戦争後の日本語の侵入
(P.480)日清戦争の敗戦とともに、清朝はそれまでの伝統的システムを完全に放棄して、日本型の近代化路線に乗り換えた。これまで1300年間、シナの指導者層を生み出してきた科挙の試験は廃止され、外国留学帰りの人々を登用して官吏とすることになった。
 留学生が多かった国は日本で、日清戦争の翌年の1896年(明治29)の13名を初めとして、日露戦争翌年の1906年(明治39)には8千~9千人に達した。日本が山東省の旧ドイツ権益を継承することを容認したパリ講和会議をきっかけとして、1919年(大正8)に反日の五・四運動が起こるが、それまでの四半世紀にわたり、毎年平均5千名が日本に留学した。合わせれば、留学生は十万人を超える。
 当時のシナの人口は約4億人だから、ある程度の資力のある人たちは、こぞって日本に留学して日本語を学んだことがわかる

■日本は近代文明の玄関口
 シナにとって日本は近代文明の玄関口だったという。
 (P.481)当時の漢人にとって、日本文化は非常な憧れであった。日常用品から軍隊に至るまで、当時のシナに現われた新式の事物というのは すべて日本からの輸入品であった。その当時の日本は、すでにそのレベル まで近代化を進めていたのである。
 日本は1968年の明治維新以来、すでに30年、欧米の新しい事物を表現する文体と語彙を開発しており、それらの基礎となったのは、日本で新たにつくられた漢字の組合せであった。
 日本では、江戸時代の蘭学者たちを初めとして、西洋文明の概念や用語を 漢字に置き換えていたのである。こうした新しい文体と語彙は、清国留学生によって学ばれ、 摂取され、吸収された。こうした新しい漢語は、漢人の言語のなかに大量に侵入し、古典に基礎をおいた文体と語彙を追放し、それに取って代わった。

■漢字には品詞もなく、性も複数も格も過去も変化もない
(P.514-515)
 漢字には品詞もなく、性も数も格も、変化もない。漢字を並べるだけでは微妙なニュアンスはすべて抜け落ちてしまう。しかも、話し言葉には全国共通の文法というものがないので、一つの文のなかで漢字をどう配列するか、その基準もなかった。漢文はいろいろに解釈できるあいまいなものだったのである。北京・上海・広州・福建・潮州・・・読みが違う。
 それでは西洋の新しい理論を学ぶのには不向きだ。そこで、日本語をお手本にすることになった。「て・に・を・は」があれば、文章のつながりもはっきりする。
・所有を表わす日本語の「~の」に当たる文字として「的」、
 ・位置を表わす前置詞的な「~に」は「在」や「里」などを入れ、
 ・「関于」(~に関して)、「由于」(~によって)、「認為」(~と認める)
 ・「視為」(~と見なす)、
なども、日本語を翻訳する過程で生まれた。

 さらに句読点を入れたり、横書きにしたりするようになったのも、日本文の影響だった。
 そして、日本語にならい、
・「西洋化」の「化」や  ・「中国式」の「式」 ・「優越感」の「感」
・「新型」の「型」  ・「必要性」 の「性」  ・「文学界」の「界」
・「生産力」の「力」 ・「価値観」の「観 」 というような文字を使って語彙を増やしていった。こうして中国語の表現はそれまでとは比較にならないほど豊かになり、緻密さと論理性が加わるようになった。
 こうして、まず文法は日本の古典的文法、語彙は日本製熟語を借用して官庁用語や新聞用語として使用された。
この結果、中国語の表現はそれまでとは比較にならないほど豊かになり、緻密さと論理性が加わるようになった。

(P.482)シナの知識人たちは日本文化に対して大きな 憧れを抱き、日本の影響を身近に感じていたのである。ところが現在の中国人は、彼らの使っている中国語が、じつは文体もボキャブラリーも日本語からの借用であるということをすっかり忘れてしまっている。日本人もまた、そのことを知らない。まことに残念なことである。
 これは現代中国人の異常に肥大したナショナリズムが、大きな原因なのかもしれない。だが、そのこととは別次元の問題として、両国の人々が心に留めておいていい事実ではないだろうか。

《シナ(チャイナ)文化の特異性》(岡田英弘著作集Ⅳより)

(1)中国:民族の成立とシナの歴史

(2)第4のシナ:日本化の時代-中華民国以降—日本の影響

(3)中国民主化の始まり――孫文・辛亥革命

(4)中国人は人を信用しない。

(5)中国には外交政策・世界政策がない

(6)漢人にとって「公」とは、私腹を肥やす手段

(7)現代中国語に革命をもたらした日本語

(8)日清戦争――日・シナ関係の歴史的大逆転

(9)シナ/中国における支配者のカリスマ性と正義

●おまけ「中国にもない漢字・漢文の大系が日本で出版されているわけ」

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