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(9)シナ/中国における支配者のカリスマ性と正義

 中国の支配者には強烈なカリスマがあるといわれる。カリスマ性があるから共産党主席になった、と考えられていたが、実は、主席になるような人物にはカリスマ性がなければならないという、むしろ、後から付け加えられたカリスマ性であったという。
 一般に政治のリーダーを支配者とは呼ばない。支配者とは、皇帝とか王とか支配権を持った征服者を言う。
 シナでは、清国までの時代には、皇帝がいて、皇帝は、天命によって変わるとされた。それが中国語の本来の意味の「革命」だった。天命だから誕生した皇帝はその国のすべて、森羅万象を支配する(どこかの国にも、森羅万象に責任を持つといった首相がいましたが)。その時代には、産業を興すのは皇帝であり、通商も皇帝が一手に支配していた。それこそ支配者というにふさわしい存在であった。
 岡田英弘は、シナの歴史は皇帝の歴史だという。

■シナの歴史は皇帝の歴史
「シナは中身がどんどん入れ替わり、皇帝ですら、じつは漢人でない皇帝が多い。
つまり、中国人という国民があって、それが中国という国家を形成し、その国家を歴代の皇帝が統治している、という図式などはない。そのときどきに違う人たちが入ってきて、一貫しているのは、皇帝という制度だけだ。」
「中国という一貫した存在は、もともと見つからない。一貫していたのは中国でもないし、中国人でもない、皇帝という制度だけである。」

(「岡田英弘著作集Ⅳシナ(チャイナ)とはなにか P.134-135)

・・・というのが皇帝なのだが、「シナにおける支配者」(岡田英弘著作集Ⅴ「現代中国の見方」P.532-533)というタイトルの下で説明されているのは、そうした時代の皇帝ではなく、中国共産党政権誕生以降の毛沢東をはじめとした国家主席のはなしなのである。言い換えれば、岡田英弘は、毛沢東以降の共産党主席も、皇帝と同じような支配者と見なしているということになる。
 毛沢東の死後、国家元首(共産党総書記・国家首席1976-78)となったのは華国鋒であったが、例えば、こんな具合だ。

■シナの支配者のカリスマ
 「シナ文明では、支配者には強いカリスマがある。たとえば、華国鋒が1976年に中国共産党の中央委員会主席になったとき、「人民日報」がまず何を始めたかと言うと、・・・国共内戦のときの華国鋒主席の活躍といった、カリスマ・ビルディングだった。
 われわれ日本人の目には、あれはいわば神話づくり、おおいなるゴマすりに見えるが、じつはそうではない。これは中国人のサイコロジカル (心理的)な欲求なのである。上に立つ人間はカリスマでなければならない。これがシナの制度なのである。」
 「これはローマ法王の選出と同じである。コンクラーベの投票で最大多数を取った人は、それまで着ていた赤い服をバッと脱いで、白い服に着替える。その瞬間に神の代理人になるわけだが、シナの支配者のカリスマはそれと同じである。まったくのフィクションではあるが、シナではそれが必要とされるのである。」(P.532)

(岡田英弘著作集Ⅴ「現代中国の見方」P.532)

 文化大革命が始まった時に、「造反有理」などの言葉をはやらせ紅衛兵・共産党員のバイブルのようにあがめられた書籍に「毛沢東語録」という小さな赤い表紙の本があった。実はこれも、副主席だった林彪が命じて編集させたもので、内容的には毛沢東だけでなく林彪などの言葉も含まれているのだが、最終的に「毛沢東語録」とされた。
 共産党立ち上げのサクセスストーリーでもある東征時代の物語も、毛沢東の戦術などが喧伝されているが、他の将軍の戦略・戦術がのちに毛沢東の手柄として付け替えられて語られてきたという。これも、それほどのカリスマ性を持ってほしいという周囲の期待から作られたストーリーであったらしい。

 そういうふうに国家元首を支配者と見なして歴史を作っていくのが「シナの正義」と岡田は言う。

■シナにおける正義、シナにおける思想
「シナには正義という観念がない。それに当たる言葉もない。「正義」という漢字が意味するものは、時の政府が公認した解釈ということであって、英語の「ジャスティス justice」ではない。」
「そもそもかつて中国に、思想というものがあったためしがないあるのはすべてスローガンである。社会主義もたんなるスローガンにすぎない。」(P.533)

(岡田英弘著作集Ⅴ「現代中国の見方」P.533)

 こうして作られた「官製の正義」が国の正義として国民の間に広まっていく。それを信じて広めるのがかの国の「愛国心」というものなのでしょう。こうして官製の歴史が教えられ、語り継がれていけば、そう信じる以外の選択肢がなくなる。
 それ以外の選択肢を自覚する機会は、国が情報をフリーに流通させない限り、中国人にはない。テレビでも、インターネットでさえ政府に都合の悪い情報は遮断してしまう国である。
 農民を含めると、飛行機に乗った経験のある人は人口の何パーセントになるのだろうか、ましてや国境を超える経験をした人間はもっと少ない。目の前にいるのは中国人ばかり、一生のうちで、外国人を見たことがない人の方が多いのです。
 岡田英弘教授がこうした論理について書いたのは1980年代で、「シナには・・・」とかつての時代の話として書いている。しかし、中国出身で、現在アメリカなど国外で活躍している専門家や学者の中には、2024年の現在でも、「中国には普遍的な善悪、美醜の基準はない。時の政権の判断が基準になっている」と主張している人も多い。
 海外で活躍している専門家の判断はそういうこととして、中国に生まれて以来とどまっている多くの国民はどう考えるのか? ほぼ、国の宣伝するママを信じる以外に方法はない、というのは岡田だ。

「上海などの大都市にいれば別だが、外国人を見ることは非常に珍しい。・・・そういう中国人にとっては、外国を意識するということはほとんど不可能に近い。」

(岡田英弘著作集Ⅴ 現代中国の見方 P.80)

 これは1997年に書かれたものなので、現在では状況はずいぶん変化しているとはいえ、地方に行けば外国資本の工場もほとんどない街も多いから、外国人を見たこともないという人も少なくない。自分の国がほぼ全世界という環境で生活している人も多い。そんな国民にとっては、政府から与えられた歴史観が世界から見てどのようなものかを意識する機会もない。

■共産主義・一党独裁の「主席」と「皇帝」

そんな状態だからこそ、岡田は、そんな閉鎖的な世界から脱して、

  「日本語や英語など、他の国の言葉を使う人間は、中国人とは別の発想 
   を持つようになる」

という。「初めに言葉ありき」で、その言語を駆使するようになるとそれに応じた論理思考法が身に着き、それが習慣になってくる。
 日本語が達者になれば、日本語で考えるようになり、英語が堪能になれば英語で思考するようになり、当然、中国語による思考とは大きく異なる思考をするようになる。多くの人がそういう機会をもってほしいものだ。

 中国では、統治の思想として社会主義を標榜し、個人崇拝は禁止ということになっている。そんな中で、習近平思想を教科書にして学校で学ばせているという。この辺りの整合性がどのように取られているのか、よくわからん、というのが正直なところだ。

 ここまで見てくると、かつての全権を持った皇帝と、近年の国家主席の境界があやふやになってくる。最近の、自己の思想を学校で学習させ、部下を自在に更迭・粛清し、私企業、経営者に厳しく接し、国有企業を優遇して思うままふるまう習近平主席の行動は、国家の利益以上に、自己利益を優先する政策を行っているように見えてくる。
 近代国家の首席というよりも皇帝かと思われてくるのは私だけだろうか。
なぜ、中国が共産党の一党支配なのか、逆にいえば、民主的な公選(選挙)で国家指導者を選ばないための方法として共産主義を標榜しているにすぎないように思えてくる。
 共産党の一党独裁は、皇帝の時代の引き写し、と岡田英弘教授には見えていたのだろうか。

 あ、最後は中国、及び中国の方々をディスるようなニュアンスになってしまいましたが、決してそんな意図があるわけではありませんし、ご紹介した「岡田英弘著作集」そのものはそういう意図のものでもありません。
 私のわずかな中国との付き合いの経験からですが、
 例えば、
「歴史がなぜ事実を無視して語られるのか?」
「官僚はなぜこんなに当たり前のようにワイロを搾取するのか?」
「周囲を見下ろしてなぜ自分だけが正しいという態度で語るのか?」
・・・などなど「なんでだろうなあ」と思っていた疑問が岡田英弘氏の説明で腑に落ちた気がして、そういえば、と思い当たることを勝手に記してみただけです。誤解されませぬように。

追記:「岡田英弘著作集 全8巻」(特に4巻「シナ(チャイナ)とはなにか。第5巻「現代中国の見方」)は忖度せずに中国について分析・紹介した類書に例を見ない内容で、ご一読をお勧めします。
<このシリーズ(了)

《シナ(チャイナ)文化の特異性》(岡田英弘著作集Ⅳより)

(1)中国:民族の成立とシナの歴史

(2)第4のシナ:日本化の時代-中華民国以降—日本の影響

(3)中国民主化の始まり――孫文・辛亥革命

(4)中国人は人を信用しない。

(5)中国には外交政策・世界政策がない

(6)漢人にとって「公」とは、私腹を肥やす手段

(7)現代中国語に革命をもたらした日本語

(8)日清戦争――日・シナ関係の歴史的大逆転

(9)シナ/中国における支配者のカリスマ性と正義

●おまけ「中国にもない漢字・漢文の大系が日本で出版されているわけ」


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