M.ONO

はじめまして!私は、東京の大学で英語・英文学・通訳翻訳など教えています。こちらでは、大…

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はじめまして!私は、東京の大学で英語・英文学・通訳翻訳など教えています。こちらでは、大学での授業のことや、エッセイ、日記などを投稿していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします!

最近の記事

三島由紀夫の『豊饒の海』と「母なる海」

『母恋い』と『母なる海』 上の写真は、私が2021年と2022年にPHPエディターズ・グループから出版させていただいた、2冊の双子のような本-『母恋い』と『母なる海』-でございます。真ん中におりますのは、ゼミの卒業生たちからもらった、クリスマスプレゼントのプーさんです。「ゆずくん」と呼んで、かわいがっております。 『豊饒の海』 『豊饒の海』(1969-1971年)は、三島由紀夫(1925-1970年)最後の作品です。『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の4作品からな

    • 1960年代日本における「おふくろの味」~和食を食べたがる夫と洋食を作る妻~

      帝京ライフロングアカデミー 1960年代日本における「おふくろの味」~和食を食べたがる夫と洋食を作る妻~ 「おふくろの味」という言葉はいつから使われ始めたのでしょう?(最近はあまり使わなくなりましたけどね)。図書館のデータベースで調べてみました。読売新聞1963年の記事です。男性記者が「おふくろ」が作ってくれた「ヒジキの煮物」と「イカの塩辛」をなつかしがっているのです。 この記者さんのバックグラウンドを、様々なデータと数字を駆使しながら、ミステリー小説のように推理してみ

      • シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(4)-ヴァイオラの男装は女性解放を意味するのか?

          『十二夜』における「男装」考察  『十二夜』における「男装」考察シリーズの最後として、「女性の男装は女性解放を意味するのか?」を分析しましょう。答えはNOですが、なぜNOなのでしょう。 男装の下の女性性  ヴァイオラは、服装は男であっても服の下には常に女性性を保持していました。彼女は、オーシーノに向かって言いました。「僕の父に娘がいて、ある男性を愛しました。/ ちょうど、僕が女だったら、/ あなたを愛したように」(河合祥一郎訳、角川文庫)。自分は男の服を着ているけ

        • シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(3)-服がジェンダーをつくる

           前回、『十二夜』の着目ポイントとして3つあげました。1)服を着替えただけでそう簡単に男になれるのか?2)男だったときのヴァイオラに向けたオーシーノの好意的眼差しは何を意味するか?3)女性の男装は女性解放を意味するのか? 服=ジェンダー  1番目のポイント。ヴァイオラは意図的に、兄のセバスチャンと同じような服を着たようです。「お兄様はいつだって、 / こんな色の服や飾りを身に着けていた。だって、/ 私はお兄様を真似たのだもの」(河合祥一郎訳、角川文庫)。それにしても、女だ

        三島由紀夫の『豊饒の海』と「母なる海」

        • 1960年代日本における「おふくろの味」~和食を食べたがる夫と洋食を作る妻~

        • シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(4)-ヴァイオラの男装は女性解放を意味するのか?

        • シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(3)-服がジェンダーをつくる

          シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(2)-セックスとジェンダーと服

          「変装」  大学時代、シェイクスピアを読んで、「変装」(disguise)に驚きました。というのも、男性の服を着ただけで、誰も彼もがその女性を男性だと思うのですから。そんなに簡単なことなのでしょうか。と思いつつも、先生に突撃して「変だと思います!」という勇気はありませんでした。  実は私はシェイクスピア劇が専門ではないので、長い間、そのことを特に研究することもなく、過ごしてきましたが、大学でシェイクスピアを教えることが多くなって、いろいろ本を読んでみました。すると、W

          シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(2)-セックスとジェンダーと服

          シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(1)-男装する女性

           『十二夜』  大学のゼミでシェイクスピアの『十二夜』をやっています。ヒロインのヴァイオラは男装して、オーシーノ公爵のもと、宦官として仕えます。その「男装」の意味を、思想的歴史的背景とともに、さらに、作品内から、解きほぐしましょう。  今回は、『十二夜』には入らずに、「男装」思想的歴史的背景の部分を解説します。 男装する女性  16世紀の終わりから17世紀初頭は、男装する女性に対して批判が噴出した時代でした。裁判記録でも、男装の女性が売春婦として告発された例が多くみられ

          シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(1)-男装する女性

          ジョン・ミルトンの『失楽園』における服従の印としてのイヴの髪

          『失楽園』  ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるアダムとイヴの髪|M.ONO|note、ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるイヴの髪のエロティシズム|M.ONO|noteにおいて、『失楽園』のイヴの髪がエロティックであるという話をしました。そこから、シェイクスピのオフィーリア(シェイクスピアの『ハムレット』におけるオフィーリアの髪と「水」の形象|M.ONO|note)とデスデモーナ(シェイクスピアの『オセロー』におけるデスデモーナの髪|M.ONO|note)の話へと移って

          ジョン・ミルトンの『失楽園』における服従の印としてのイヴの髪

          シェイクスピアの『オセロー』におけるデスデモーナの髪

          オフィーリアは「水」の女  多摩地域のC大で教えているミルトンの『失楽園』の話をしておりましたが、この前は、イヴのエロティシズムを論証するために、シェイクスピアの『ハムレット」におけるオフィーリアに注目し、オフィーリアが「水」の女であること、情欲と狂気と「水」が相互に関連していることを確認しました。 シェイクスピアの『オセロー』  もう一つ例を出しましょう。同じくシェイクスピアの『オセロー』から。実は、『ハムレット』と『オセロー』については、都心のほうのM学院大で教え

          シェイクスピアの『オセロー』におけるデスデモーナの髪

          シェイクスピアの『ハムレット』におけるオフィーリアの髪と「水」の形象

            髪を垂らす女性  前回は、イヴの髪が飾りもつけず櫛を入れることもなく、その細い腰のあたりまで、ヴェールのように垂れていたことに注目しました。今回は、髪を結わずに垂らす女性のイメージを他の文学作品―シェイクスピアの『ハムレット』―でみてみましょう。それに含意されるエロティシズムをみるためです。  シェイクスピアの『ハムレット』の上演では、大概、気が狂ったオフィーリアは髪をなびかせています。シェイクスピアの時代においてもそうだったようです。 女性は水  中世以来、女性

          シェイクスピアの『ハムレット』におけるオフィーリアの髪と「水」の形象

          ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるイヴの髪のエロティシズム

          非常勤講師  前回、ジョン・ミルトンの『失楽園』第4巻で描かれるアダムとイヴの髪の話をしましたが、まだまだ続けなくてはなりません。授業ではこれほど詳しくはいいませんが。  授業というは、非常勤で教えている、T大の隣のC大の授業のことです。水曜日の4限、直前に駆けつけ、終わるやいなや車でピューっと帰宅するのです。 ヴェールのようなイヴの髪  前回に引き続き、イヴの髪が、1)飾りもつけず櫛を入れることもなく、その細い腰のあたりまで、2)ヴェールのように垂れていたことに注目し

          ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるイヴの髪のエロティシズム

          ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるアダムとイヴの髪

          ジョン・ミルトンの『失楽園』  授業で、ジョン・ミルトンの『失楽園』(1667年)をやっています。初めてアダムとイヴが登場する場面に関して、講義を補足します。特に、二人の髪に関して。学生たちはここまで深く考察しなくてもよいのですが、私自身が今非常に関心をもっているトピックなので、お話させてくださいませ。  当該箇所を引用します。翻訳は、岩波文庫の平井正穂先生の訳を参照しつつ、私なりに変えました。 . . . And hyacinthine locks Round for

          ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるアダムとイヴの髪

          いとこたちとの東北旅行(3)

           旅も3日目、我々は秋田へと向かった。Yの巨躯を入れるにふさわしいダイハツ・トールは山を越え、横手を経由し、我々を角館へと導いてくれた。前日の遠野同様、角館も、新幹線の駅から離れているため、行きにくい場所にある。今まで何度もその近くまで行きながら、(そのころは車を運転できなかったため、行きそこねていた。死ぬまでにはぜひ行きたいと思っていた私は、「ナポリ見ずして死ぬことなかれ (See Naples before you die)」の境地に達していた。  武家屋敷が町としてこの

          いとこたちとの東北旅行(3)

          いとこたちとの東北旅行(2)

          「いとこたちとの東北旅行(1)」の続き   私たちの母方の祖父母は、一族郎党を連れて、岩手県気仙郡住田町から北海道の伊達に移住した。祖父母の名前は平四郎とナツという。伊達で二人の間には十二人の子どもたちが生まれた。母の上にはたくさんの兄と姉がいた。  平四郎とナツが伊達でどのようにして生きたのか、いつどんなふうにして亡くなったのか、語ってくれる人は誰もいない。  私は、新潟の父方の祖父母の家で、両親と姉と一緒に暮らしていたが、母方の祖父母のことは何も知らない。恐らく早い時期に

          いとこたちとの東北旅行(2)

          いとこたちとの東北旅行(1)

           4月×日17時57分、北上到着。東北新幹線沿いに北上という駅があることすら知らなかった。いとこのM子が集合場所として指定した駅であった。  いとこたちは北海道の苫小牧港からフェリーに乗り、青森県の八戸港に上陸。そこから陸路、北上に来た。母の姉の娘たちのY子とM子、M子の旦那のY。八  その夜はおでん屋へ。北海道のおでんと違うという感想をいとこたちが口々に言っていたが、北海道のおでんって何?生ビール2杯。Yは4杯。東北の旅の最初の夜。雨が降って冬のように寒い。  4月×日8時

          いとこたちとの東北旅行(1)