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シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(3)-服がジェンダーをつくる

 前回、『十二夜』の着目ポイントとして3つあげました。1)服を着替えただけでそう簡単に男になれるのか?2)男だったときのヴァイオラに向けたオーシーノの好意的眼差しは何を意味するか?3)女性の男装は女性解放を意味するのか?

服=ジェンダー


 1番目のポイント。ヴァイオラは意図的に、兄のセバスチャンと同じような服を着たようです。「お兄様はいつだって、 / こんな色の服や飾りを身に着けていた。だって、/ 私はお兄様を真似たのだもの」(河合祥一郎訳、角川文庫)。それにしても、女だということがばれないのは不思議です。シェイクスピアの劇団には双子はいなかったそうですので、顔が違う二人の役者が演じたわけです。当時、劇を見ていた人々は納得して見ていたのでしょうか。
 この疑問に対する答えとしては、前回書いたように、服が「補綴的(ほていてき)」に身体またジェンダーを決定づける重要な役割をもっていた、ということです。人は服によって男になったり女になったりすると考えられていたのです。当時の子どもたちは七歳くらいになるまでみんなスカートをはいていたそうです。ズボンをはくことをbe breechedと表現した(する)のですが、それは「男になる」ことも意味していました。ズボンをはくことによって、それまで「子ども」というカテゴリーにいた人間が、「男」というカテゴリーへと移行するのでした。
 服が人のアイデンティティーを形成する大きな役割を担うわけですから、「双子」とは、「同じような服を着ている二人」だったのです。

ヴァイオラの特定の服が大事


 ヴァイオラが女だということがわかったとき、オーシーノはヴァイオラに「この手を取ってくれ、今よりあなたは、/ あなたの主人の女主人だ 」と言います。もう召使ではなく、我が家の女主人だと言って、求婚しているのですが、実際の結婚には至らずに劇は終わります。三組のカップルたちの結婚式で終わる『夏の夜の夢』とくらべると、祝祭感が今一つ盛り上がりません。
 ヴァイオラの女の服は船長のもとに預けてあるのですが、船長が投獄されているので、すぐに取りに行くことができないのです。ドレスなんて、義理の妹になったオリヴィアに借りればいいじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、それではだめなのです。もともと着ていたその特定のドレスを着ないと、シザーリオはヴァイオラに戻ることができないのです。
 オーシーノの最後のセリフはまさにそのことをあらわしています。「君は男のあいだはシザーリオだからな。/ 別の服の君を見るのはまだ先だ / そのときこそ君はわが妻、わが恋の妃だ。」
 やけに服にこだわりますね。女の服を着ないと、女として認められないのです。しかも、ヴァイオラが以前着ていたその特定の服を着ないとだめなのです。服=ヴァイオラなのです。服が、人の身体と連続したものとして、その人のアイデンティティーを形成する「補綴的」な役割をもっていることがわかりますね。髪や髭と同様に。

男装のヴァイオラが好かれる理由


 2番目のポイント。オーシーノはヴァイオラを男だと思っていたときから、好きだったみたいです。オリヴィアも男装のヴァイオラにぞっこんでした。これは何を意味するのでしょう。
 女性的な男性に対する賛美は、シェイクスピアの『ソネット集』においてもみられます。『ソネット集』において、詩人は「若者」に対して愛の言葉を贈るのですが、その愛にはパトロンに対する尊敬、男同士の友情、ホモセクシュアルな感情-いろいろな種類の愛が混じっています。詩人と若者との愛がホモセクシュアルかどうか、議論されることが多いのですが、その議論自体、意味をなしません。
 というのも、プラトンの昔から男同士の友情は、男女の異性愛よりも高次の愛とみなされていました。ルネッサンスにおいては特に、女性の性 (sexuality)に対する恐怖感が強く、女性を愛しすぎると、男性は女性化すると考えられていました。

ロミオのロザラインに対する愛が意味していること


 『ロミオとジュリエット』において、ロミオがジュリエットに出会う前、ロザラインという女性に恋していたことを知っていますでしょうか。仮面舞踏会でジュリエットに一目惚れする場面が有名なので、ロザラインのことを多少不思議には思いながらも、そのことを追求しない傾向があるようですが、これはロミオが女性を恋することによって、「女性化」していることをあらわしていると、私は思います。実際、モンタギュー家とキャピュレット家の諍いにロミオは参加しません。男らしく剣を振ろうとはしないのです。

ホモエロティックな愛


 さて、男性同士の友情は、現代における異性愛と等しい熱烈さとともに存在しました。『十二夜』においてはセバスチャンとアントーニオの間にみられますね。
 愛の対象が男であることはまったく問題ではなかったのです。むしろ、女を対象にするよりもすばらしいとされたのです。さらに、女性的な男性は、男性にも女性にも好まれました。オーシーノとオリヴィアが男装のヴァイオラに寄せた好意は、女っぽい男に対する賛美でした。『ソネット集』において詩人が若者を愛したのと同じです。
 シェイクスピアの時代の劇団では、少年が女性の役を演じましたが、少年俳優が人気だったのは、女っぽい男を男も女も好んだからです。男にとっては、女という下位の性を愛するよりもまっとうな愛でした。女にとっては、支配的で暴力的な男よりも優しい少年は魅力的でした。男女それぞれに少年俳優に熱狂する理由があったのです。
 3つ目のポイントに関しては次回。

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