シェイクスピアの『オセロー』におけるデスデモーナの髪


オフィーリアは「水」の女


 多摩地域のC大で教えているミルトンの『失楽園』の話をしておりましたが、この前は、イヴのエロティシズムを論証するために、シェイクスピアの『ハムレット」におけるオフィーリアに注目し、オフィーリアが「水」の女であること、情欲と狂気と「水」が相互に関連していることを確認しました。

シェイクスピアの『オセロー』


  もう一つ例を出しましょう。同じくシェイクスピアの『オセロー』から。実は、『ハムレット』と『オセロー』については、都心のほうのM学院大で教えています。C大もM学院大も、非常勤講師としてそれぞれ週1回通っています。この前、C大には直前に駆けつけ、終わるとすぐ帰るといいましたが、別の日には図書館で一日中過ごすこともあります。この季節は特に、図書館の窓が緑一色に染まって、気持ちいいんですね。M学院大は週に1度の都心へのお出かけなので、これもまた別の楽しみです。(本務校の八王子のT大の授業の話もそのうちしますね。)
  M学院大でやっているのがシェイクスピアです。『失楽園』も、『ハムレット』と『オセロー』も、私にとっては、女性蔑視の伝統という観点からひとつにつながっているのです。

「ピンをとって」


 『オセロー』において、姦通を疑われたデスデモーナが、嫉妬に狂ったオセローに殺される夜、寝る前に侍女のエミーリアに言うのが、"Unpin me"。このセリフは、「服のピンをとって」(当時、服は着てから胸元や襟や袖をピンでとめたので、脱ぐときはピンをはずす必要がありました)とも、「髪のピンをとって」とも解釈することができますが、私は後者だと思います。それを証明しましょう。

ナイトガウン


  そのセリフの前に、エミーリアはデスデモーナに向かって「ナイトガウンをお持ちしましょうか」と問います。「ナイトガウン」とは何でしょう?OED (Oxford English Dictionary)を調べると、1700年以降は、「女性のフォーマルなドレス」という意味、1824年以降は、「ベッドで着る体を締めつけない服」という意味で使われたようです。どちらも、シェイクスピアのずっと後の時代で発生した意味ですから、この場面における「ナイトガウン」の意味ではないですね。この場面においては、OEDの1番の意味、「通常寝巻の上に着る体を締めつけない服」という意味でしょう。
  ちなみに、この意味ではdressing-gownとも呼ばれました。Dressing-gownは、「メイクアップなどをするときに着用する服」のことです。日本ではお風呂上りや、朝メイクアップするときにガウンを着たりということはあまり一般的ではないと思いますが、アメリカやヨーロッパの人々はけっこうガウン着ます(私の印象ですが)。

「髪のピンをとって」


  エミーリアがデスデモーナに向かって、「寝巻の上に着るためのナイトガウンをお持ちしましょう?」と尋ねるのです。ということは、デスデモーナはすでに寝巻を着ているのです。そのため、服のピンをはずす必要はありません。彼女がエミーリアに「ピンをとって」と言ったのは、「髪のピンをとって」という意味になります。
  寝るのですから、髪のピンをはずして、アップに結っていた髪を垂らすのは普通です。しかし、『失楽園』のイヴが、飾りもつけず櫛を入れることもない長い髪を、ヴェールのように垂らしていたこと、『ハムレット』のオフィーリアが、その狂気において、長い髪をふり乱していたこと―これらのイメージを思い出すとき、デスデモーナもイヴとオフィーリアと同じ系列の女性であることがわかります。

デスデモーナの髪


  デスデモーナが髪を垂らすのは、彼女のなかで「女性性」が「水」のように溢れていること、すなわち「情欲」が激しいことの表象です。その激しい情欲のゆえに、彼女はヴェニスの貴公子たちの申し出を退け、ムーア人であるオセローと結婚したのです。黒人は性欲が激しいと思われていましたから。

オフィーリアとデスデモーナの情欲


  オフィーリアは、ハムレットに「尼寺へ行け」と言われたことで、情欲のやり場を失って気が狂ってしまいましたが、デスデモーナも、オセローに姦通を疑われ、彼の愛を失いました。二人とも、自分自身で愛する男を選んだがために、不幸になって、その挙句に死んでしまいます。『ロミオとジュリエット』のジュリエットも、父親が選んでくれたパリス伯爵ではなく、自分で選んだロミオを愛したために、死んでしまいますね。喜劇のなかの女性たちは、好きになった男たちとハッピーエンドになりますが。

長い髪は情欲の象徴


 髪が長いのは体に水分が多い女性の特徴だったわけですが、その長く美しい髪を垂らしているのは、女性性を誇示する行為となり、情欲が激しいことの表われになってしまうのです。デスデモーナがオセローに殺される直前に髪のピンをはずして髪を垂らしたのは、象徴的な行為となりました。
 次回は『失楽園』のイヴに戻りましょう。


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