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ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるイヴの髪のエロティシズム

非常勤講師


 前回、ジョン・ミルトンの『失楽園』第4巻で描かれるアダムとイヴの髪の話をしましたが、まだまだ続けなくてはなりません。授業ではこれほど詳しくはいいませんが。
 授業というは、非常勤で教えている、T大の隣のC大の授業のことです。水曜日の4限、直前に駆けつけ、終わるやいなや車でピューっと帰宅するのです。

ヴェールのようなイヴの髪


 前回に引き続き、イヴの髪が、1)飾りもつけず櫛を入れることもなく、その細い腰のあたりまで、2)ヴェールのように垂れていたことに注目しましょう。(アダムの髪に関してはまたあとで)。
 1)原文では、unadorned, dishevelledとなっている部分です。unadornedには、unbound and unadorned(「結わない、飾りをつけない」)という2つの意味が含まれていると思われます。イヴは、髪に手を加えることなく、自然のままに垂らしておいたわけです。dishevelled(「櫛を入れていない」)というのは、「ボサボサ」というよりは、「髪が自由になびいていた」ということです。

ピューリタンの髪についての考え


 前回お話したように、女性は髪を結わないで垂らしておくべきだというのは、議会派またピューリタンの考えです。17世紀前半、徐々にカトリックに傾いていったチャールズ1世を擁護したのが王党派、それに反対したのが議会派です。(議会派が勝利、1649年にチャールズ1世は処刑される)。
 ピューリタンは虚飾を嫌いましたので、女性の髪飾りも嫌ったのでしょう。しかし、この歴史的事実とは別に、女性が髪を垂らしている姿は、エロティシズムを喚起するのです。これが今回の注目ポイントです。

wantonの意味


 エロティシズムがあらわれているのが、前回引用した部分では、 "in wanton ringlets waved"(「豊かな巻毛」)、それから、"as a veil "(「ヴェールのように」)、この2つの箇所です。
 wantonは、一義的には、「制御されない、自由な、気ままな」という意味です。しばられていない、結われていない髪は、風に吹かれてなびいているでしょう。ここでは特に「風に吹かれて」という描写はありませんが、直前の部分で、エデンの園の「春風」が葉を震わせている風景が描かれているので、自然なイメージの連環があります。エデンの園は「永遠の春」です。西風が春の前触れとなる、ヨーロッパの気候的状況、また、それがしばしば文学や絵画に描かれる、芸術的伝統を考えると、ぴったりです。
 wantonは確かに「自由な」という意味です。しかし、ルネッサンスの詩において、 "lustuful"(「情欲に満ちた」)という意味で用いられることが非常に多いのでした。これが、この描写にあやしさを付け加えるのです。wantonには2つの意味が同時に響いているのです。読者は表面的には「巻毛が自由に風になびいている」という意味として解釈しながらも、同時に、イヴの巻毛こそが彼女の情欲のあらわれであるという意味も聞きとるのです。

葡萄の蔦のように絡まる髪


 それに、その巻毛は、「葡萄の蔦のように」絡まっているのですから、イヴがアダムに巻きついているイメージと重なってきます。ますますエロティックですね。イヴは「自由に」アダムに巻きつくのですが、「情欲をもって」巻きついている姿も同時にみえてきます。
 2)さらに、イヴの髪は「ヴェール」のようなのです。前回、聖書には、女性の髪は「覆い」("cover")であるという記述があるといいました。そしてその記述の正確な意味は不明であるともいいました。

髪で体を隠す


 恐らく、女性の髪が長いのは、体を隠さなければならないからなのです。なぜ隠さなければならないか。1)男性よりも劣っている存在であるがゆえにその体は恥ずべきものだから、2)逆に、美しい体が男性の情欲をそそるといけないから―この2つの理由が考えられます。
 イスラム教の考え方と似ているようで異なりますね。イスラム教では、女性の髪は、美しいがゆえに男性を情欲に誘うと考えられており、そのために女性は髪をスカーフで覆わなければいけません。
 髪で体を覆うか、それとも、髪を覆うか、の違いは、実は、それほど大きな違いではないと思います。とにかく女性は隠さないといけない。そしてこの「隠す」という行為がかえって情欲をそそるのです。髪が「ヴェール」のようにイヴの裸の体を覆っているのは、大変エロティックであるといえましょう。彼女の裸がアダムの情欲をそそるから、彼女は髪で体を隠さないといけない。隠すからその下にある体をみたくなる。それに、体を覆っている髪もまた美しいから情欲をそそる。

エロティックなイヴ


 髪をヴェールのように垂らしているイヴはエロティックである―このことを証明するために、文学の伝統をみる必要があるでしょう。次回は、シェイクスピアとエドマンド・スペンサーの作品にその例をさがしてみるつもりです。
 そしてまた、どうして「情欲」がエデンの園に存在するのだ?と疑問に思う人もいるでしょう。それはまた別の機会にお話します。
 To be continued.

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