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三島由紀夫の『豊饒の海』と「母なる海」

『母恋い』と『母なる海』

上の写真は、私が2021年と2022年にPHPエディターズ・グループから出版させていただいた、2冊の双子のような本-『母恋い』と『母なる海』-でございます。真ん中におりますのは、ゼミの卒業生たちからもらった、クリスマスプレゼントのプーさんです。「ゆずくん」と呼んで、かわいがっております。

『豊饒の海』

『豊饒の海』(1969-1971年)は、三島由紀夫(1925-1970年)最後の作品です。『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の4作品からなりますが、最後の『天人五衰』の擱筆日と三島自決の日とが一致するということでも、知られています。几帳面な三島らしく、作品と人生とを一致させたわけです。

長い作品なので、4冊全部読んだ人は少ないかもしれません。特に『暁の寺』では、「輪廻転生」とか「アーラヤ識」とか、仏教哲学のむずかしい理論が語られるので、ここで諦める人も多いでしょう。そこを飛ばして、後半にいくと、ちょっとエロティックになっておもしろいですよ。

『春の雪』は悲恋ではない

1作目の『春の雪』は、竹内結子(お美しい!)と妻夫木聡の主演で2005年に映画化されていますので、4作品の中では一番知られているでしょう。大正初期の豪華絢爛な華族の世界を背景にして、運命にもてあそばれた若い男女の悲恋-これが映画です。しかし、原作は、三島特有のマゾヒスティックな情念に溢れており、「悲恋」とはほど遠い世界です。

清顕も聡子も恋を成就させようとは思っていなかった。私はこのように考えます。二人とも、〈海の彼方〉へ行きたかったのです。〈海の彼方〉とは、三島文学において重要なイメージですが、ここでは詳細は省きます。

「海にならなくてはならぬ」

聡子は、宮家との婚姻に勅許が下りたあと、清顕と夏の鎌倉の海で密会します。彼女は船の影に身を横たえながら、「海にならなくてはならぬ」と思います。そして「重い充溢のなかで海になった」のです。

このメタファーこそが、『豊饒の海』4部作解釈のための要です。このメタファーは、シニフィエを透かし見せない「不透明なメタファー」です。このメタファーは現実を創りだすのです。聡子は本当に「海」になったのです。

『豊饒の海』の結末の謎

聡子は奈良の寺で尼になり、清顕は20歳で早世します。親友の本多は、『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』で、清顕の生まれ変わり(と思われる)の若者たちと遭遇します。輪廻転生が2作目以降のテーマとなるのです。

しかし、『天人五衰』の最後に、奈良の寺に聡子を訪ねた本多(二人とも80歳を超えています)は、驚愕します。思いがけない言葉が聡子から発せられるのです。「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません」と。

これはどういうことでしょう?『春の雪』で勅許を犯してまで情事に走った二人の恋(というか「情念」)は何だったのでしょう?輪廻転生はどうなったのでしょう?この謎に対して明確な答えは提示されておりません。

三島学者ではない、この私め(もともと英文学が専門でございます)が、これが決定的な答えだ!と言い切るのもはばかられるのですが、私なりの解答に到達したのが、『母なる海-『豊饒の海』にみる三島由紀夫の母恋い』という本でございます。

聡子は海になった。母なる海に。彼女にとって、清顕の存在も非在も関係ない。海のように彼を包み込んだ。聡子も、そして、聡子を通して三島自身も、海の彼方に行った。このようなことを論じております。

ご興味のある方々はどうぞお手にとっていただけますと幸甚でございます。

村上春樹と東野圭吾における「母恋い」に関しては、またの機会にお話しできればと存じます。


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