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シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(2)-セックスとジェンダーと服

 

「変装」


 大学時代、シェイクスピアを読んで、「変装」(disguise)に驚きました。というのも、男性の服を着ただけで、誰も彼もがその女性を男性だと思うのですから。そんなに簡単なことなのでしょうか。と思いつつも、先生に突撃して「変だと思います!」という勇気はありませんでした。
 実は私はシェイクスピア劇が専門ではないので、長い間、そのことを特に研究することもなく、過ごしてきましたが、大学でシェイクスピアを教えることが多くなって、いろいろ本を読んでみました。すると、Will Fisherの Materializing Gender in Early Modern English Literature and Culture (Cambridge University Press, 2006)に、興味深い考察が書いてありました。

sexとgender


 16世紀、あるフランスの医者が、男と女の見分け方について書いていて、顔や性器が絶対的な基準ではなく、髪の長さや、しぐさや性格も、男女を決定する際の要因としたそうです。現代、sexは生物学的な「性」、genderは後天的に獲得された「性差」として区別しますが、この区分けの前提にあるのは、セックスは生物学的男女差として厳然と存在し、それが「修正」されたり「構築」されたりすることによってジェンダーが生まれるという考え方です。ところが、前近代のヨーロッパにおいては、natureとcultureの二項対立において、「自然」が「文化」に先立つというふうには考えなかったのです。

服は「補綴的」


 フィッシャーは続けて、ハンカチや髭や髪やコッドピース(エリザベス朝において男性のズボンの付属物で性器を包んだ)などが、男女の性差の構築において決して周縁的ではなく、「補綴的(ほていてき)」であると論じていきます。「補綴的」というのは、身体に連続するものとして身体の補助的な器官として機能する、ということです。髪や髭は身体の一部ですが、切ったり伸ばしたりすることによって、その形態を変更することは可能です。身体にとっての補綴的な付属物なのです。同じように、身体とは完全に切り離された物であるハンカチやコッドピースも、身体の一部として、その身体を規定する役割をもつとフィッシャーは考えるわけです。
 身体の一部また一部ではないものが、身体と連続的なものとして、ある人の性差を決定するのであれば、服もやはりその人の性差を決定する重要な補綴的機能をもつと考えるのは当然です。当時の人々は、男の服を着ていると男になってしまう、逆に、女の服を着ていると女になってしまうと本気で考えたらしいです。

『十二夜』あらすじ


 さて、本題の『十二夜』をみてみましょう。
 海で船が真っ二つに割れたとき、兄のセバスチャンも海の底に沈んだと思いこんだヴァイオラは、流れ着いたイリリアという国で、男に変装し、シザーリオと名乗り、オーシーノ公爵のもとに仕えることにする。オーシーノはオリヴィア姫に求愛の言葉を送り続けているも、父と兄を亡くして悲しみのなかで暮らすオリヴィアは見向きもしない。ヴァイオラは、シザーリオとしてオーシーノに仕えて早や三日目にしてオーシーノのお気に入りになっている。
 オーシーノはヴァイオラのことを次のようにほめそやす。「女神ダイアナの唇も、/ これほどなめらかで、ルビーのように赤くはない。/ そのか細い声は、乙女のように高く透き通り、/ どこをとっても女のようだ。」(河合祥一郎訳、角川文庫)
 ヴァイオラはオーシーノの恋のキューピッド役を命じられ、オリヴィアのもとに日参する。オリヴィアは男装姿も美しいヴァイオラを男だと思って好きになってしまう。しかしヴァイオラが胸を焦がしているのはオーシーノ。彼女は、「誰を口説こうと、あなたの妻となりたいのはこの私」(前掲書)と辛い胸の内を独り言つ。
 このような主筋が展開する合間に、自惚れ病の執事マルヴォーリオをいじめる話が副筋となって時折さしはさまれる。
 何だかんだ誤解が生じて事態が最も複雑になったときに、死んだと思っていたセバスチャンが登場し、兄と妹は再会の喜びを交わす。兄は妹と間違われた結果オリヴィアに求愛されて、「こんなにも突然、幸運が押し寄せてくるなんて」と天にも昇る気持ち。二人はすぐさま司祭を前にして結婚の儀式をあげる。
 オーシーノのほうは、ヴァイオラが女だということを知り、男だったヴァイオラがほのめかしていた愛の言葉「僕が女だったらあなた愛したように. . . .」を思い出して、ヴァイオラに求婚する。

服を着替えただけでそう簡単に男になれる?


 こんなふうに二組のカップルが生まれ、ハッピー・エンドで劇は終わります。
 いくつか着目ポイントがあります。1)服を着替えただけでそう簡単に男になれるのか?2)男だったときのヴァイオラに向けたオーシーノの好意的眼差しは何を意味するか?3)女性の男装は女性解放を意味するのか?
 長くなってきたので、具体的な分析は次回に回します。

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