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ジョン・ミルトンの『失楽園』における服従の印としてのイヴの髪


『失楽園』


 ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるアダムとイヴの髪|M.ONO|noteジョン・ミルトンの『失楽園』におけるイヴの髪のエロティシズム|M.ONO|noteにおいて、『失楽園』のイヴの髪がエロティックであるという話をしました。そこから、シェイクスピのオフィーリア(シェイクスピアの『ハムレット』におけるオフィーリアの髪と「水」の形象|M.ONO|note)とデスデモーナ(シェイクスピアの『オセロー』におけるデスデモーナの髪|M.ONO|note)の話へと移っていったわけですが、再び『失楽園』に戻って、この一連の話を終わりにします。
 イヴの髪が、櫛けずられることもなく、飾りもつけられず、腰のあたりまで垂れていた、という描写に続く部分をみてみましょう。
 
. . . which implied
Subjection, but required with gentle sway
And by her yielded, by him best received,
Yielded with coy submission, modest pride,
And sweet reluctant amorous delay. (Paradise Lost, IV, ll. 307-311)
この長い髪は、
服従の印であった。しかし、優しく求められてはじめて服従するのだ。
そうするとアダムのほうもその服従を一層喜んで受けいれる。
恥ずかしそうに、内気そうに、でも同時に誇り高く。
嫌がっているかのように見せかけながらも甘美で艶なる様で焦らすのであった。愛ゆえに焦らすのであった。
 
 女性らしいともいえますが、怪しげですね。

イヴのアダムに対する服従


 イヴがアダムに服従的であるという描写はこの作品のなかで頻出します。もちろん、17世紀ですから当たり前のことではあるのですが、半世紀ほど前のシェイクスピアのロマンティック・コメディーを考えてみると、現実社会はともあれ、もっと闊達な女性として描くこともできたはずです。『じゃじゃ馬ならし』のケイトを思い起こしてください。
 ロマンティック・コメディーでなくても、一見従順そうにみえる、『ロミオとジュリエット』のジュリエットですら、ロミオに対して恥ずかしそうなふりをしたり、焦らしたり、なんてことはありませんでした。盲目的に恋に突き進んでいったがために、死んでしまったのですが、服従とは無縁の女性でした。
 『失楽園』は、聖書の話に基づいているために、筋書きを変更できなかった、という制限はあったでしょう。しかし、どのみち、『失楽園』は、聖書の描写からはかなり離れています。それに、聖書の創世記でイヴがアダムに対して服従するのは、堕落の結果としてなのです。
 『失楽園』においてイヴがアダムに対して服従的であることは、男女のヒエラルキーの教えであると同時に、イヴのエロティシズムを高めるためだと思います。今も昔も、女性が男性に対して服従するとき、男性はその女性をエロティックに感じるという男性心理がここには存在するわけです。
 長い髪もエロティシズムを喚起しますが、服従もエロティシズムなのです。しかも、その服従は、内気そうに(coy)、焦らし(delay)ながら、なのです。coyはshyという意味ですが、しばしば「恥ずかしいふりをする」というニュアンスが込められます。

イヴの焦らし


 sweet reluctant amorous delayにおいて、3つの形容詞はdelayという名詞を修飾しています。sweetは「甘美な」、reluctantは「いやいやながらの」、amorousは「愛に関する」、delayは「焦らし」です。アダムに「こっちに来いよ」といわれたとき、イヴは「嫌よ」というわけです。でも本当に嫌なわけではなく、焦らしているだけなのです。愛しているから焦らすのです。だからこそより一層美しくエロティックに見える、という仕組みなのです。いわゆる「手練手管」を使っているということになりましょう。

イヴの髪は服従の印


 しかも、この描写は、イヴの長い髪の描写からすぐ続いている部分です。最初の行のwhichの先行詞は、wanton ringlets(豊かで自由にたなびく巻き毛)です。イヴのアダムに対する服従を象徴するものが髪なのです。聖書には、女性の髪は常に覆われているべきだという記述があり、さらに、17世紀半ばまでは女性は髪を結うかまたは飾りか何かで覆わなければならないと考えられていました。それにも関わらず、イヴの髪には何の飾りもつけられず、自由にたなびいていた、という描写は、彼女が、狂気のオフィーリア、または、姦通の疑惑をかけられているデスデモーナー二人とも髪をほどいてなびかせていたーと同じように、「情欲」と関連づけて解釈されるべき存在であることを、示唆しています

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