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バベルの塔とグレートリセット


前回に続き、ふと読み返した創世記からのお題です。

前回はアダムの原罪がエゴエゴの実を食べたこと、そしてエゴで苦しむのはアダムの末裔子々孫々のわれわれにまで、遺伝子の中に刻まれてしまったことにあるってとこまででした。

まあ、擬人化しているお話しなので、簡単にいえば人類には初めからエゴは備わっているという解釈をしました。

それはとりあえずおいといて。

その先を読み返してみると、へーっと納得せざるを得ないような深いエピソードがぎっしり詰まっているのがこの創世記ですが、
バベルの塔のエピソードで、現状の世界とややリンクするところがあったので記事を書くことにしました。

前回でも書きましたが、原罪背負ったアダムの子のわれわれは、宇宙との一体感から遠ざかり、すでに分離をしています。

そしてそれはこれまでも何度も繰り返され、神(宇宙)からリセットされ再創造される。

そして現在に至り、またリセットされようととしているようです。
いろんな意味で。


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この世界はやっぱり仮想


昨年も思ったのですが、世の中はメディア的に偏向報道しまくっておきながら、
一部ではSNSの言論規制があったりして情報が錯綜しまくってます。

どれが真実かなんてサッパリわからないし、どこに焦点をあわせりゃいいものかもはやわかりません。

ニュースしかり歴史しかりルールしかり、情報はいつでも錯綜しつづけ、改ざんされ続け、正確な記録など、もうどこにもない。

どの方向から見たかで判断のしかたも価値も変わってしまう。
事実と違うことだらけ。

この一年ちょっとで、自分がこうだと信じてきたものが、実は無意味であったり実体がなかったり、あるいはすでに無いものであったり。
諸行無常、色即是空をしみじみ感じました。

でももしかしたら、それが普通なのかも?

例えば、先日友人と話ししているときに、私自身について全く別の記憶のエピソードを語られたことがありました。

内容から察すると間違いなくそれは私のことなんですが、私自身には全くその記憶がないんです。

友人は不思議そうな顔をしていましたが、本当に私はそこにいた記憶さえもないんです。
ゼロというか白紙!パラレルワールドに迷い込んだかと思いました。

こんな感じで、ある事象が起きたとしても当事者たちが忘れていけば、その事象はなかったも同然です。
記憶から消されてしまえば残った記録に信憑性などありません。
記憶ってリセットされます。

事実、私の両親は第二次世界大戦の記憶と印象が全く違います。

片方は悲惨で恐ろしくて辛い印象、
片方はこれから新しく時代が変わっていくひとつの過程と捉えていたようです。

その情報(記録や事象)そのものをどう捉えるかは、その人次第なので、実は情報そのものはたいした意味を持たないということになります。

それをその人がそれをどう判断するかだけ。

そんな曖昧な情報に振り回されて、好んで一喜一憂するのが我らが「エゴ」です。

そしてそんな曖昧な情報で、簡単に人はエゴを操作されてしまうんですね。

つまり思考コントロールや洗脳は、エゴの特性を理解した人なら容易いということです。

事実は小説より奇なりといいますが、この頃つくづくその通りだと実感します。

パンデミックや資本主義の経済システムも同じです。
よくよく紐解くと、こんな有るんだか無いんだかわからない状況や情報に惑わされて一喜一憂してしまいますし、
事実一喜一憂させられているわけですから。

本当にお釈迦様のいう色即是空空即是色なんですね、あるようなないような曖昧な世界。

やはりこの世界はバーチャルと言えます。

そしてエゴがそこに気づいたとしたら、今度はスーパーエゴがふたつの解釈を求めてきます。

この茶番劇を面白いと思うか、つまらないと思うか。 

全てが無意味に思えて、虚無感に襲われるかも知れません。
ところがですね、たいていの魂は知ってるんです。 
これが茶 番劇だということも、それを自分が面白がっているということも。

そして肉体をもたない魂は意識体だけの存在であって宇宙と繋がっています。
エゴが魂の入った肉体と宇宙を分けてしまいましたが、そもそもは切れるものでも分けられるものでもないわけです。

エゴが分離したと感じさせているだけなんですね。

さて、人類に備わっているこの「エゴ」という機能、ちょっとだけなら肉体を守る「薬」となりますが増幅させると簡単に「毒」になります。

そして、人類は「欲」というエゴを簡単に増幅させちゃう自制のきかない種族なんです…。

もちろん全員ではありませんが。さてアダムの子孫がどうしたかと言うと…。


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ノアの子孫とバベルの塔


アダムたちの楽園追放から年月が流れ、彼らの子孫は案の定、エゴ暴走民族と化しました。

神はまたがっかりし傲慢になった人類をノアの家族と一対の動物たちのみを船に乗せて、潔く洗い流しちゃいました。

例のあの洪水です。

どうも神(宇宙)のよく使うリセット方法は概ね三種類のようですね。

①洪水で洗い流す 
②隕石&火山で焼き尽くす 
③冷凍しちゃう

それでも唯一、神を信じて生きのこったノアの子孫はどんどん増えていきました。

このエピソードは有名ですので割愛します。そんなノアをもってしても、それでもエゴの遺伝子はやっぱり拭えないのですね。

歴史はまた繰り返します。

物語の前提として、このころの言語はひとつでした。言語がひとつということは伝達が楽なので意思の疎通がスムーズですよね。
いわばひとつの大きなコミュニティの時代でした。

ノアの子孫にはニムロデ​と​いう傲慢な​人​が​い​まし​た。
ニムロデ​は​動物​や​人間​の​あと​を​追いかけ​て​は​殺し​たり、​あげくは自分​が王​にとなっ​て他​の​人間​を​支配​コントロールしようとする大迷惑な男です。

ニムロデ​は,さらに人々​を​支配​コントロールしやすいように都市​を​作っ​て人々を一か所に集め、
そしてそこに天まで届くレンガ作りの大きな​塔​を​建てる​こと​にしました。

『天にも届く巨大な塔をたて、神の如きその誉れを我のものとしよう』

ああ、どっかで聞いたことある思想。

人間が神(宇宙)を超える存在になろうとしている。
というか、なれると信じている。
人間が人間たちを支配コントロールしようとしているわけです。

そして当然、神​は​調和を乱すニムロデ​が​好き​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。

で、この時の神(宇宙)はいつものリセット方法を使いませんでした。

この時の人類への制裁はこれ以上、神の領域に近づかせないための措置でした。

それまで統一されていた言語をバラバラにして、人間同士で意志の疎通をとれないようにしてしまったんです。

さらに同じ言語で話すグループごとに世界中に散らしてしまいます。 
 
そうすれば今後もニムロデのように、己を神のように崇めさせるような人間が現れても、
そう簡単には人類をまとめあげて支配コントロールしようなどとできなくなります。

当然、神に近づく塔の建設は中止になります。

言葉がバラバラすぎて人間たちはパニックになりました。バベルの塔の「バベル」とは「混乱」という意味だそうです。

まあ、いつものように洪水とかでリセットされなかった分だけ、愛を感じますよね。
あるいは実験かも知れませんが。

どのみち神(宇宙)の領域にやすやすと立ち入ってはならない理由があるということですね。

ちなみに現在、人類の叡智で宇宙について知り得ているのは全体の5パーセントにすぎないそうです。

しかも全体像すらつかめていないのですから、その5パーセント説ですら怪しいです。

その残り95パーセントに、勝手に組み替えてはならない宇宙の法則が含まれているということですよね。原子とか素粒子、あるいはまだ見つかっていない何らかの波動エネルギーとかですかね。もう一部やらかしてますが…!


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パンデミックとグレートリセット


さて、創世記をふりかえると神はけっこう潔くリセットしますよね。

ザーッと洪水で流したり火山で町を焼き尽くしたり。

もちろん創世記は伝承をもとに人間が記述した書物なのでそこにフィルターのかかった情報しか収まっていません。

その当時のボキャブラリーを駆使して民間に伝えようとしているので、擬人化していたり比喩していたりと、現代人には余計理解しにくい部分もあります。ま、ある意味ロマンチックですけども。

ボキャの多さや映像や音なども情報伝達手段ですから、今とは比べものにならないくらい情報量は少ないです。

少ないからこそ、各々が想像し解釈するしかないのですが、各々に任せると当然またエゴ合戦になります。

そのせいで宗派までもバラバラに分岐していくわけですねー。

そうしてより複雑化し、よりまとまりがなく、

いつまで経っても神にも宇宙にも辿りつかないばかりか、どんどん遠のいていくような気がします。

そろそろ、源流に戻らないといけない時期なのかも知れません。

このパンデミックで、世界がさらに分断されていくように思うんです。

言語の統一こそないものの、インターネットやSNSで世界中みんな繋がることができるので意味合いとしては近いものがあります。
翻訳機能を使えばそこそこの意思疎通もできます。
誰かが呼びかけようとすれば、それで意志を統一させることも可能になるでしょう。

しかし現状は言論統制が入っていますよね。
人為的にですが。

パンデミックが理由で各国ほぼロックダウン状態になりました。
自国内での自給自足を見直すきっかけになりました。

極端に偏っていた輸出入に制限をかけざるを得なくなりました。

己の国の経済成長のためにそこまでするのか、という非人道的な振る舞いにようやく気づくことになりました。

自国や自社の優位性や経済発展のために、ここまでしていいのだろうか?

資本主義経済は人類優先と考え、いや人類をも蔑ろにし経済優先になっています。

ほかの動植物が何も言えないことをいいことに地球もろとも破壊し、誰のものでもなかったはずの地球の土地を奪いあう。

そして信仰が違うからといってお互いに戦い傷つけあう。
お互いに戦うためにより破壊力のある武器を作る。
食料用に遺伝子を組み換え、大量生産し大量廃棄する。
人工知能やロボットを作り人類の労役を肩代わりさせようとしている。
地球に住めないといって住めそうな惑星を探しにいく。
病気のもとを作っておいて治す方法を作り売りさばく。 

すべて経済成長の名のもとに正当化していますが、そもそもは資本主義の在り方が間違っているからかも知れません。

経済成長のためなら何をしても構わないはずがありませんよね。
この数百年でまた人類のエゴが暴走を始めたようです。.


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今年のダボス会議のテーマがまさに『グレートリセット』ということですが、すでにリセットは始まっているように思います。

バベルの塔の崩壊のときのように、人間は賢くも愚かしくも神のように振る舞いたがります。

今回のパンデミックとグレートリセットはバベルの塔のエピソードを彷彿させます。

この場合の『神』は何に相当しているのは定かではありませんが、
国交を極力避け、国内でもマスクで顔を覆い、人との会話や接触を避け、コミュニケーションを分断する。

情報の操作が加わり、内容によっては配信停止やアカウント凍結などという言論統制も実際にあります。

このバベルは人為的ですけどね。
何か試されているような気さえします。

人類のエゴを増長させる最たるものが、この資本主義社会と金融システムだと思います。
生きていくとは肉体を保つこと。そのために衣食住が必要でそれを買うにはお金が必要です。

長い年月の間にお金に関するエゴが遺伝子の中に刻まれて、
潜在意識に染みこんで、勝手な価値基準で自他をジャッジメントします。

グレートリセットが可能なら、この価値観のリセットだと思います。

物質的な金融至上主義から抜け出して、お金はただ交換ツールとしてただ「ある」という本来の目的に戻すことだと思うんです。

エデンの園を作り、神が「人類」という意味の「アダム」をつくり、エデンの園の管理者としたなら、人類は地球と地球に住むさまざまな動植物を守ることが本来の使命なんですけどね。

長くなりました。ダボス会議でのグレートリセットについては、こちらにわかりやすい記事がありましたので、リンクをつ けておきますね^_^



それではまた。

心の平穏めざして♪


おわり




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