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【知られざるアーティストの記憶】第52話 マリの誕生日とコウケントーの照らし出す日々

Illustration by 宮﨑英麻

*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*

全編収録マガジン
前回

第8章 弟の入院

 第52話 マリの誕生日とコウケントーの照らし出す日々

彼の弟のマサちゃんは、2021年10月12日に脳出血による記憶障害のため市内にあるK病院に入院した。K病院は入院着がレンタルなので、家族が洗濯物を届けに行く必要がなく、当時は社会的な流行病への対策として、入院中は家族であっても面会が全面禁止であった。その状況は、マサちゃんをますます孤独へと追いやり、生きる気力と回復の見込みを奪い去るのではないかと思われた。いや、逆に、孤独と寂しさと絶望こそがマサちゃんから生きる気力を奪い、そちらの方向へ、つまり、入院という方向へと歩みを向かわせたというほうが正しいかもしれない。マリたちがマサちゃんにしてあげられることは、悲しいほどないに等しかった。

10月18日はマリの誕生日だった。彼とマリが一緒に過ごした十月十日とつきとおかの日々の中で、互いの誕生日というのは当然、一度ずつしか訪れなかった。

マリは彼が誕生日を祝ってくれるようなタイプの男ではないことを、すでに十分心得ていた。ましてや、プレゼントをくれるということなどは期待するほうが愚かであった。彼に社会的常識を当てはめてはいけないという以前に、マリのほうも「恋人なら誕生日を祝ってくれるべき」という決まりきった通念を持ち合わせてはいなかったが、誕生日というのは固有の記念日として、やはり少しばかり特別に扱ってほしいという気持ちは持っていた。

マリは事前にそれとなく、自分の誕生日を彼に知らせていた。
「え、10月18日が誕生日なの?マサさんも10月18日だよ。」
と彼は驚いた。そんな偶然ってあるものだろうか。マリは彼の言葉がにわかに信じられなかった。
「え、ほんとに10月18日?」
「そうだよ。マサさんの誕生日は、1957年10月18日だよ。」
「1957年ってことは、私が77年だから、私はマサさんの二十歳はたちの誕生日に生まれたってことじゃない?」

ちょうど二十歳はたち違い。そこには、強烈な縁を感じずにいられなかった。しかし、マリの誕生日の思い出について、特筆すべきことは以上であった。

「今日は私の誕生日だから、あなたと一緒にゆっくり過ごしたいなと思っているのだけど。」
当日の朝、マリが自分からそう言い出したのは、彼のほうから何か言ってくれる気が全くしなかったからである。それに対し彼は、低く一言、
「ああ。」
と言っただけであった。
(「おめでとう」でもない!)
想像を超える無反応に、マリは落胆を通り越して可笑しくなった。記念日などに興味を持たないタイプだろうとは思っていたが、甘かった。彼にとって、「この世に生まれた日」の重要度のなんと低いことか。むしろすがすがしい。結局、この日は昼ご飯くらいは一緒に食べたような気もするが、見事に記憶に残らない一日となり、マリは44歳となった。マサちゃんは病院でひとり、64歳を迎えた。


©Yukimi 若い頃の作品『LAGRANGE POINT JMN-003』(年代不明)より


ちなみに、これは自分の誕生日に前後して言ったわけではなかったと思うが、
「ねえ、17歳の時に似顔絵が描けるようになったと言っていたよね?それなら私の似顔絵も描けるってこと?」
と何気なく訊いてみたことがあった。どうしても描いてほしいというわけでもなかったが、「絵描きにとっての最上のプレゼントは絵に決まっている」とマリは信じていた。彼が作品の原稿を描くのに忙しいことはわかっていたが、もしいつか彼がマリの似顔絵を描いてくれたら、マリはそれを一生の宝物にするだろう。

「キミの似顔絵かあ……。」
彼はそんなこと思ってもみなかったという様子で、マリの顔を見据えながら手を動かす素振りをした。
「描けるかなあ?もう長いこと似顔絵は描いてないから。似顔絵ってのは、少しのデフォルメが必要なんだよ。デフォルメをしなけりゃ、描き手の個性が出ないから、誰が描いたって同じだもの。」
そんなことを語る彼は、マリが強く頼まない限りマリの似顔絵を描いてくれそうには思えなかった。

10月17日、メイから光線療法コウケントーの治療器を貸してもらった。コウケントーのドームの中央で出会った2本の炭の棒は、その間にじんわり温かく美しい炎を生んだ。そして時々、バチバチ、ジジジという原始的な音を立てた。炭が燃えて短くなり、2本の間が広がれば炎が消えてしまう。そのときは、栓を捻って棒の間隔を調整し直さなくてはいけない。

この炭の心地よい温かさについ惑わされ易いのだが、コウケントーは温熱療法なのではなく、あくまで光線療法なのだ。とはいえ、この温かさゆえに10月の気候であっても上半身裸になって長時間光線を当て続けることが容易にできた。真面目な彼は、事前にマリが販売元に電話で問い合わせてあった効果的と思われる照射例の通りに、毎日その光を背中(骨髄辺り)や足首などに当てた。炭火の温かな明かりが彼の白い体を浮かび上がらせながら、部屋中を照らしていた。

コウケントーは、試しに購入した一揃いのカートリッジをすべて使い切り、11月10日にメイに返した。彼は、介護の末に常態化していた左腕の痛みと痺れが改善したと言って喜んだが、コウケントーの購入には至らなかった。それは、その直後に受けた血液検査の結果に特に何の効果も反映されなかったためでもあった。

T大学病院での退院後2回目の血液検査は10月21日であった。

 明日は何も怖がらず無の境地で聞いて来てください。必要なことしか起こらないんだから。受け入れるだけ。私も一緒に居りますから、あなたと。
                2021.10.20. マリ
イクミ様、

マリの手紙(2021/10/20)より 抜粋

彼は検査に行くことに、哀れなほど怯えていた。マリのこのような率直な言葉がはたして彼の励ましになっていたのかどうかはわからない。そして今回も、二人の願いに対して無慈悲な結果が突き付けられた。血小板の値だけが、黙って無表情のまま、不気味な低下を示すのだった。

つづく

★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。

©Yukimi 『LAGRANGE POINT JMN-003』P・2


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