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宝石も最初はただの石『2023.10.23』

昨日眠りについたのは、今日の朝八時だった。眠れなかった訳ではない。創作をしていたからだ。

一冊の本を読んでから、自分は脚本や日記だけではなく小説や詩、短歌や歌詞などにも手を付けてみようと思うようになった。

その本のレビューはこちら↓

自分の才能や、自分の好きはどこに埋まっているか分からない。掘り起こしてみたって分からない。掘り起こして、それがキラキラ輝いて見えるか、今は輝いていなくても、自分で磨けば綺麗な宝石になるかを見極めなければいけないのだ。

その第一歩として、小説のコンクールを調べた。

脚本やシナリオコンクールしか見てこなかった私にとって、月に何本も募集がある本の世界はとても魅力的だった。
賞のテーマに合わせて内容を考えるのがとてつもなく楽しかった。

昨日の夜にアイデアを思い付き、休憩を挟まず日付が変わり、寝る準備をして半目で書き続け、気付けば朝八時だった。

ああ、幸せだ。そう思った。

自分が好きなことを、明日の予定や体調面を考えずに出来る。自分の表現したいものを、思う存分引っ張り出せる。最高だった。

脚本と小説の違いは山ほどあるが、両方書いてみて感じたのは、言葉で全てを表現するかどうか。

脚本は、人物の動きと、場所と、台詞がきっちりと分けられていて、それ通りに本物の人間が演じてくれる。
一方小説は、人物の動きか、場所か、台詞かをフォントを変えて区別したりせず、全て同じ形で作り上げる。一文章の中に全てが完結している場合もある。私は小説のそこが気に入った。

外が明るくなり、カラスや雀が鳴き始めても私は手を止めなかった。自分が思い付いた事を、どうにかして忘れないようにと原稿用紙に連ねるのだ。

私の中で物語が出来ていて、それに倣って小説風に書いているだけだ。でも文章になり、目視出来るようになると、さらに作品として『出来上がった』と感じることが出来る。
脚本とは違い、完成形が目の前に存在する。

素敵だ。とても素敵だ。
私が見ていた夢の世界は、こういうものなのかもしれない。

今年の春。
『だが、情熱はある』というドラマが放送された。南海キャンディーズ山里亮太と、オードリー若林正恭のドキュメンタリーである。SixTONES森本慎太郎と、King&Prince高橋海人が演じていた。

何話か忘れたが、高橋海人演じる若林が、自分達の配役やネタ自体を考えていて、思い付いたことがあった。それは、人と変わった考えを持つ相方春日の感性にツッコむのはどうだろうか、と。

そのスタイルのネタは大盛り上がり。オードリーの漫才方式として広まっていった。

私はその時の彼らと同じ気持ちだ。

物書きになりたいと励んで、脚本家になりたいと執筆してきた。でも私がやりたいのは、自分で文章でオリジナルの物語を生むこと。それが出来れば良い。
回り回ったって、自分がやりたいことと軸を決めているうちは、廃れずに楽しめると思う。これしかないと思えると思う。

もちろん脚本家を諦めるつもりはない。
物書きとして、たくさんの文章に触れて、自分のことを深く知っていきたいと思った。

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