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傷付いてるのは私じゃない『2023.10.18』
アルバイトの面接に行った。
今日一番の話題だ。今日はこれについて話したいと思っていた。
社会人という名の箱から惜しくも抜けてしまった私は、抜けてから二回目の面接に行った。
一回目とは違い、とても真摯に向き合ってくれる方だった。
まだ二回だし、そりゃそうだと思われるかもしれないが気付いたことがある。
・最初に名前を名乗らない人はダメだ
・威圧的に面接する人はダメだ
分かってた?分かってたよね。
でも経験から学ぶのと、何かを見て学ぶのは違う。
私は今日これが分かっただけでも十分成長したと感じたし、採用されたいと思った。
ここまでで約二百字。
私の日記は大体一〇〇〇字。多くても一五〇〇字。
面接よりも心にきているものがある。
一意見として捉えられないように、いつも以上に抽象的に話したい。
私は自分への皮肉や意地悪に中々気付けない。皮肉を言う人には、無意識に思う壷にならないようなコメントを返すし、意地悪な人には、無意識に同じくらいの悪夢を見せている。
その人に対して『怒』を見せることは全く無い。
私が唯一怒るのは、『大好きな人が傷付けられた時』。
綺麗事に見えるかもしれない。
まあそれでもいい。
私は人間ではない言動・行動をする生物には、言い返したり行動で訴えかけたり、自分のことは自分で解決出来る。
でも中には、意地悪されても言い返せない、皮肉を言われることが耐えられないが黙ることしか出来ない、と、『言葉』のフィールドで戦えない人を相手にして不戦勝で勝とうと思ってる生物がいる。
それが非常に許せない。
同じように、大好きな人の悩みや苦しみを背負ってしまうことが多い。今まさにその状態で、頼まれてもいないのに数日気持ち悪い。
私が解決出来るわけじゃないのに。
私が代わってあげることもで出来ないのに。
私が悩む意味なんて無いのに。
他人の話を自分の事のように考えて、親身になって行動したい私。
でも今だけは、他人の話を他人事として吸収出来る人を、今だけ、本当に今だけ尊敬する。私もそうなりたい、人は人だと思いたい。
でも私は、大好きな人の後ろに立ちはだかる大きな闇を自分の闇と受け取ってしまうようだ。
辛くて辛くて仕方がないその人を、どうにかして助けたいのに助けられない闇に変えて悶えているのだ。
この行動全然意味無い、辛い。
私が今見ている現実には、たくさんの出来事に溢れている。
面接に行った、ラーメンを食べた、買い物をした、自転車で運んだ、カフェでお茶した、脚本を進めた、寒過ぎて爪が紫色になってきた。
話したいことはたくさんあるのに、人の心配をし過ぎてそっちにしか体が向かない。
人の傷心に左右される人生は、どうしたら治るものかと考えると、次は頭が痛い。
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