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”注釈付きの”成功者

今回は、僕がドイツで働いていた当時に、競合他社からヘッドハンティングで入社してきたエグゼクティブなドイツ人同僚にまつわる話を。


「ようこそ当社へ!これから一緒に働くことを楽しみにしてます」

ドイツ人同僚
「フフン、どうぞよろしく。聞くところによるとキミは、同僚たちからの信頼が厚く、そして情報も集まってくる、この組織の中のキーマン。派手な動きはせず目立たないが、人に対して非常にフェアに接するという評判。楽しみにしているよ」

前述のとおり、彼は競合他社からヘッドハンティングで当社に入ってきたエグゼクティブなドイツ人同僚。組織のリーダーの一員としての役割を期待されて、採用された。

彼との初めての会話は印象的だった。

彼は決して「新しい会社なので頑張って勉強します」といった、まずは頭をかがめて玄関をくぐって入るような謙虚な姿勢ではなかった。

あくまでも相手と対等に立つために、自分はもう情報を集めていてキミのことも分かっているんだぞ、という姿勢を示す。一筋縄ではいかない相手だという印象を与える目的がありありだった。

ファーストコンタクトから、強いリーダーとしての自己ブランディングに取り組んでいるように見えた。

彼の名前は仮名でヴァルターとしておこう。

強いリーダー

ヴァルター
「いいか!キミたちは経営者の指示を待って、それを実行するためだけに雇われているんじゃない。我々が成功できるように、現場を知っているキミたちが経営者に対して付加価値のある提案をする。それが給料をもらえる理由だ。ただ文句を言うだけだったり、経営者の決断を待っているだけのヤツは、この会社の中に居場所がないことを理解しなければならない」

こんな調子で部下たちを力強く引っ張る。なるほど、これがドイツにおける強いリーダーの一つのかたちか。

彼がそうやって部下にはっぱをかけるときには、いつも自信満々の笑顔でみんなを見渡す。僕の目にはそれが「人を説得するときに使う笑顔」と映った。

でも、僕は気づいていた。

彼はいつも、自分よりも立場が上の人たちの言動を注意深く観察している。そして、自分よりも上の人たちに合わせて、自分の言動を微妙に調整していることを。

彼は、誰に何と言われようと自分の信じる道を貫くタイプではない。ドイツ人リーダーの中でしばしば見かけるタイプには、自分の信じる道を決して譲らない人もいる。自分の考えと会社の考えが根本で衝突した場合、それは自分が会社を去る時だ、という覚悟で働いている。

しかしヴァルターは、一見すると強いリーダーではあるものの、実はよく観察すると、他の幹部の意見や空気を窺いながら上手くそれらに沿うかたちでチームを率いていく。

もちろん、それはそれで悪いことではない。むしろ、それでみんなが円滑に働けて会社がうまく回るなら、有能だとも言える。

ただ、とにかく猛烈に我を押し通すドイツ人リーダーたちと働いたことのある僕の目からみると、ヴァルターは”注釈付きの”強いリーダーとでも言うべきか。

どんな状況でも無条件で勝ちをむさぼりにいくわけではなく、自分が勝てる土俵を注意深く探りながら、戦う。

彼は確かに強いリーダーではあるが、何かひとこと補足を付けたくなる。そんなリーダーを僕が表現するならば”注釈付きの”という言葉を付したくなる。

成功者は別荘とヨットを所有する

そんなヴァルターと働き始めて、彼についての知識も深まっていった。

結婚していて、子どもは思春期の男の子が二人。スポーツは主にサイクリングで、日の長い季節は、仕事から帰宅してサイクリング仲間たちと1時間くらい自転車を走らせることも。好物は肉。というかほぼ肉しか食べず、魚は食べない、野菜も好きではない。

そんなある日、彼を含む職場の同僚たちと一緒にお昼ご飯を食べながら、話題は夏休みの計画に及んだ。

ヴァルター
「僕はリューベックというバルト海近くの街に別荘を持っている。そこで家族とのんびり2週間を過ごす予定だ。気ままにヨットに乗って・・・、まあ、典型的なドイツ人が好む休暇の過ごし方と言えるね」

彼は言葉にしなかったけど、典型的な「成功している」ドイツ人が、という心の中の声が聞こえたような気がした。

ドイツでは、湖など水辺の風光明美な場所にはヨットや小型ボートがわんさか停泊していて、天気が良い日の水辺はそれらで溢れかえる。

こういう過ごし方がドイツ人の保守的な価値観における「ステータス」なんだと思う。

ドイツにおける「ステータス」や「成功者」という言葉は、基本的には文字どおりポジティブなイメージを帯びている。

高い報酬は、自分が仕事をすることで世の中に貢献している付加価値の証。働くことで社会に貢献しているんだから、胸を張ることだろうという意識が根強い。ノブレスオブリージュとも繋がっている考え方。

ヴァルターもご多分に漏れず、そのようなドイツの保守的な価値観に忠実に従って別荘とヨットを所有している。「成功者」としての歩を着実に進めている、ということのようだ。

転職

そんなこんなで彼が入社してから5年くらい経った頃。その間に僕は別の会社に移ったが、風の噂で彼についての情報が耳に入ってきた。

「ヴァルターは会社をやめて、元々働いていた古巣の競合他社にまた戻っていくらしいぞ」

そこで詳しい人に、何が起こったのか聞いてみた。彼は会社へ退職を伝えるにあたって、その理由をこう説明したらしい。

ヴァルター
「僕も家族を抱えていて、家族を養わなければいけない。だから、より高給を出してくれる会社へ転職することを決断した」

ただ、僕の知る限りでは、彼の給料であれば家族を養うことに全く不自由するとは思えない。別荘やヨットを保有し続けることにも、それほど苦労するとは思えない。

それよりも、別の理由の方が僕にとってはしっくりくる。

ヴァルターと僕が働いていた会社では、もともと新たに立ち上げようとしていたビジネスがあった。それはヴァルターの専門性を活かせる分野。しかし不幸なことに、会社はそのビジネスの立ち上げに失敗した。それはヴァルターの責任ではない。

だから、ヴァルターが自分のキャリアをより価値のあるものにしていくために、よりチャレンジングな環境を求めて転職することは充分理解できる。

しかし、彼の口から出た退職の理由は、給料のことだったらしい。しかも「家族を養わなければいけない」という表現で。

また、彼の去り際はあまり美しいとは言い難かった。

彼は会社へ退職を伝えた日を最後にして、仕事を完全にストップした。引継ぎは一切なし。普通は彼のクラスであれば、退職を表明してから半年間や一年間は猶予期間として仕事を継続させることができる契約を結ぶのが一般的。しかし彼との雇用契約には穴があったため、会社はその状況を受け入れざるを得なかった。

そして転職後にも、元部下たちを自分の会社へ引き抜いた。

まあ、ドイツでは転職してから前の部下を引き抜いて、再び一緒に働くことは何も珍しいことではない。そういう文化だ。とはいうものの、彼の露骨なやり方に対して、苦々しく思っている同僚たちはたくさんいた様子。

会社の幹部たちも完全に虚をつかれた。ヴァルターが機密情報を隅々まで知った上で競合他社へ移籍していったことに地団駄踏んでも、後の祭りだった。

一方で、ヴァルター自身は古巣に戻って、その会社のヨーロッパ地域のトップまで上り詰めることになった。仕事の内容も、自分の実力を遺憾なく発揮できる。給料も、日本人が聞けば驚くような金額になったことだろう。

その後のヴァルター

という経緯を経て、エグゼクティブな立場にいる彼。いま彼の名前をネットで検索してみると、いろんなビジネス雑誌からの取材に応えている彼の写真と記事が出てくる。

僕と働いていたころと比べると、かなり貫禄もついた。立場がそうさせたのか、それか食生活に起因するものなのか。

今後の彼は、さらに人生の成功者としての道を進んでいくのかもしれない。

僕としては、彼に対してなんらわだかまりを持っているわけではない。感情的になるには、彼との関係が離れすぎている。

彼自身は有能だし、社会にとって有用な人物。それでも、彼について何か語るときには、賛辞の言葉にプラスして、ひとことふたこと付したくなる

仕事人生を総括すると

さて、そんな彼が仕事を引退する時期が、あと10年弱くらいでやってくるのだろう。

もしも彼が引退する時に、仕事人生の総括について人から問われたとしたら。

「あなたは、仕事人生において自分が成功者だったと思うか?」

そのとき彼は、どう答えるだろうか。

「まあ、100万人に一人というわけではないが、成功者と言っても差し支えはないだろうね。少なくとも僕は満足しているよ」

くらいは言うような気がする。人を説得するために使う、あの笑顔をみせながら。

その時、彼は全く心にひっかかるところがなく「自分は成功者」と心の中で感じるのだろうか。

「オレは機微な状況であっても、状況をみながら上手に乗り切って、自分の人生を狙ったとおりにうまく運営してきた。人生ってそんなものだろう」と、わだかまりもなく信じているかもしれない。

それとも彼は、完全にはスッキリしない、喉のどこかに魚の骨が刺さっているような感覚を感じることになるのか。

つまり彼は、自分のことを「注釈付きの成功者」と感じることになるのだろうか。

もしも彼のこころのひだをめくってみることができるなら、一体そこには何が見えるのだろうか。

by 世界の人に聞いてみた

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