じゃあベジタリアンは「いただきます」って言わないよね
突然ですが、とても基本的な質問を。
僕がドイツで住んでいた当時、ドイツ人たちから時々聞かれた。
「日本人はどの宗教を信じてるの?」
こう聞かれたら、あなたはなんて答えるでしょうか。
「日本人は無宗教だよ」
という答えかも知れない。
ここでは特に、何かの宗教を信じていることが素晴らしいと主張する気もないし、逆に無宗教の方が平和だとか主張したいわけではない。
単に、外国の人に日本人について正しく理解してもらうには、何て答えるのが良いだろうか。
その答えを出す前に、ちょっと以下の話を読んでから、またもう一度最後に考えてみませんか。
ドイツの社員食堂で
「グーテン・アペティート!」
「グーテン!」
みんなナイフとフォークを手に持って、お互いに笑顔で顔を見合わせながら声を掛けあって、お昼ごはんを食べ始めた。
これは、以前働いていたドイツの会社のキャンティーン(社員食堂)での、日常の光景。
「グーテン」は英語で言えばグッド、つまり「良い」の意味。
「アペティート」は英語ではアペタイト、つまり「食欲」の意味。
つまり「良い食欲を!」と言って食べ始める。
日本でも日常的に見るような光景だけど、実は異文化で溢れている。
どこが異文化か?
ドイツ人同僚
「あのさ、日本語だと食事の前に『イタダキマス』って言ってから食べるんでしょ?むかし日本人の知り合いから聞いたことあるの。たぶん、グーテンアペティートと同じ意味よね?」
僕
「まあ確かに『いただきます』って食事前に言うんだけどね。でもドイツ語のグーテン・アペティートとは、ちょっと意味が違うんだ。いただきますって、『これから食べるもののいのち(life)をいただきます』という意味が込められていて、背後に仏教的な思想があるというか、少なくとも文化的な背景がある言葉だよ」
ドイツ人同僚
「へえ~、じゃあ、ドイツ人の私がこの言葉を使うのは、ちょっとふさわしくないのね・・・」
彼女はごく一般的なドイツ人。いくら現代のドイツ人たちは宗教色が薄くなってきたとはいえ、基本的には自分はキリスト教徒だと認識している。だから仏教的な思想と聞くと、そこは自分の領域ではないと思った様子。
なお、この時に「これから食べるもののいのちをいただきます」を英語でどう説明したかというと、
" I thank for being given the lives of what I'm going to eat."
みたいに表現した。「いまから食べるもののいのちを与えられることに感謝する」という感じ。「いただきます」ってアジアの概念だから、動詞はやっぱりthank(感謝する)が一番しっくりくると思って。
で、彼女との会話に話を戻すと、この説明を聞いた彼女は、次に少し意地悪な質問をするような表情になって問いかけてきた。
ドイツ人同僚
「でもそうなると、ベジタリアンの人は『いただきます』って言わないのよね!?」
一瞬、彼女の言っていることの意味を考えてから、言わんとすることの意味を理解した。
つまり、「野菜には命がない」という前提の発言。
「ベジタリアンが食べる野菜には、命がない」。だから「いただきますが成り立たないでしょ」という無言の前提が背景にある発言だった。
こういう会話って異文化コミュニケーションにはありがち。言っている言葉自体は理解できても、お互いに常識の前提が違うから、会話が噛み合わなくて、言わんとしていることが理解できない。そういうときには、前提の部分からキッチリと確認しないとコミュニケーションが成り立たない。
僕
「いや、それがね。そこは伝統的な日本の考え方としては『野菜や果物も命がある』ということになっているんだ。だから野菜しか食べなくても、『いただきます』って言うよ」
と言うと、何やらピンとこない不思議そうな顔をしていた。
たぶん彼女は、ジャガイモとかを思い浮かべて、一体どこに命があるって思えるの?と考えていたのだろう。
それでも、まあアジアにはそんな世界観もあるのね、という風になんとなく納得した様子。
そして後日、別の日に、別の同僚に問いかけてみた。
別の同僚もまったく同じリアクション
僕
「あのさ。日本だと食事の前に『いただきます』って言って食べ始めるんだけど、それには意味があって ~(後略)~」
という話をしたら、彼は間髪いれず、
ドイツ人同僚
「ということは、ベジタリアンは 『いただきます』って言わないんだよね」
と、前述の同僚と全く同じツッコミをしてきた。
つまりドイツ人にとっては、野菜と命は、いかにも全く結びつかない関係みたい。
僕
「じゃあ、たとえ野菜とかであっても、大事に扱わなくちゃいけないって感覚は理解できるかな。日本だと一粒のお米には七人の神様が宿っているって言われて、粗末にしてはいけないって教えられるけど」
ドイツ人同僚
「いや、モノはどこまでいってもモノとしか見られないね。野菜や果物や石に感情(emotion)はないでしょ。自分が働きかけて、リアクションが返ってこないものに対して、生きているという見方は全くできないな」
僕
「日本人のベースにある世界観として、『宇宙の中の万物は、巡り巡っていく。だから、万物に命が宿っている(宇宙は全体で一つ)』という考え方があって、これが影響していると僕は思う。自分の体も亡くなってから燃やされて、煙になって、雨と一緒に地面に落ちて、木の根から吸い取られて、それを虫が食べて、動物が食べて、と輪廻していくでしょ。こうやって人間も動物も植物も虫も土も、あらゆるものは宇宙の中でグルグルと廻り巡っていく。だから、人間や動物だけにいのちがあって、植物や土にはいのちがない、ということではないという考えがあると思うんだ」
ドイツ人
「それってひょっとして、仏教でいうところの『この石ころは僕のご先祖様かもしれない』っていう、アノ有名な考え方?でも、僕にとっては、やっぱり石ころは石ころ。野菜は野菜。そういったモノに命があるという感覚はピンと来ないし、そういうものに神様が宿るとか、更にピンと来ないなぁ」
あなたはパンを投げられますか?
また全然別の機会に、会社で納会みたいなことをやった時の話。会議室にパンやハム、チーズなどを並べて、みんなで立食しながらおしゃべりしていた。
その時にドイツ人同士で、
「ちょっとそのパンを取ってくれよ」
「はいよ~」
って言って、パンをまるで野球のボールを投げるように上からポーンと投げて、渡していた。
うーん、僕だったら、食べ物の扱いでコレはないなー、と思った。
改めて、ドイツ人の食事の光景を
さて、ここで冒頭のドイツ人たちの食事の光景に戻ってみよう。
ドイツ人同僚たちは、みんな「ナイフとフォークを手に持って」、「お互いに笑顔で顔を見合わせながら声を掛けあって」、「グーテン・アペティート」と言った。
つまり、一緒に食べる人たちに向けて、おいしく食べられるように!って伝える。だから「一緒に食べる人たちの顔を見ながら」言うことになる。もちろん、手を合わせる必要はない。
こうやって、一緒に食事をする人たちに対して、おいしく食べられるといいね、と顔を見合わせながら笑顔で食事を始める人たち。とても社交的な人たちで、人の幸せを大事にしている社会だと思う。
ただ、この行動は、日本人が「これから食べるものの命をいただきます」と、自分の精神の中にある何かと向き合いながら、手を合わせて食べ始める世界観と、土台が違っている。
これほど基本的な言葉や動作でも、というか基本的な土台の部分だからこそ、全然違っている。
「日本人はどの宗教を信じてるの?」
さて、では改めて、一番最初のとても基本的な問いを改めて考えてみたい。
正解の答えがあるわけではないし、答えは必ずしも短く簡潔でなくてもよいと、僕は思う。
「日本人はどの宗教を信じてるの?」
あなたはこの問いに、どのように答えるでしょうか。
by 世界の人に聞いてみた
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