#精神障害
季継のルートを見たいのに悪虂の声を聞きたい矛盾
いやまあ季継はおさらいを兼ねてるので、絶対じゃないんですけどね。悪虂を見てもいいのだし。
自分のタルパが悪虂の姿を取ってくれています。
グッズを眺めると話しかけてきます。
時間が出来ると虚しくなる。
悪虂には、甘えたいような、甘えると情けない自分を見せるようで恥ずかしいような、相手を支えたいならこれはどうなんだろうかと、気持ちがとてもフラフラします。
なんの漫画だったかな、悲しみで繋がった慈愛
フォロワーさんの記事が並んで二律背反してる
ちょっと面白かった。(終わり)
別にそれがどうこうという記事じゃないし、私にあてはまらないことがあっても他人には心救われることもあるだろう。
話が時系列巻き戻るのですが、最近仲違いした子が、まだ唯一残っているTwitterDMから謝罪をしてきました。
うん、ストーカーちゃんにもあるはずだけど。こっちの人だけは気付いたようですね。
謝ることも出来て立派です。そこは認めます。
①何を謝ってるのか分
この漫画を読み返したかった理由
こちら
「親の真意を知るために旅に出て、打ち破られる」みたいな話です。
いつかは私もこうなるのかもしれない。
そんな気がしてくるのです。
大体私が読みたくなる瞬間ってそうなの。
アルピがまた歩き始められたように、ベレナイのような存在がない私には、一体何がどう転ぶか分からない。
医師と話をしていました。
「今まで理性で生きてきた、というのが勘違いである可能性(感情を認識するのを拒否してきた
丁度いい『これはこれでいい』だけをまず定める
通院で、医師と話をしていて
『過酷な環境に耐えるために、認識を歪ませることで生きてきた可能性があり、そのせいで本来の自分の感情が分からない状態なのかもしれない』と言われたのを、2日くらい考えてました。
あと『お父さんは変われないし、あなたは変わる意思があっても疲れ切っているから、いっそ仰々しいほど分かりやすく「ありがとう!嬉しいなぁ~!」とか、相手が気分が良くなる出し方をしてみては。』というのも考
胸を焦がす炎から目を背ける
小さい頃からそうだった気がする。
いわゆる『負の感情』というものは、いたく気持ちが悪いのだ。
特段、自分にむくものより、他人にむくものの方が気持ち悪くて、気持ち悪くて、気持ち悪くて、その度に目を瞑ってきた。
眠る時もあれば
瞑想する時もあり
祈る時もあった
この他害感情から逃れたいと
けどどんどん火が燃え盛る
耐えきれなくなった自分に、三回覚えがある
鬼になりかけて燃やされた時だ
社会福祉的に
希望を失わずに生きようとしてきた人生だった。
いつか。
頑張れば。
視点を変えれば。
福祉のツテを当たれば。
休みながらやれば。
無理をしないように。
目標地点を見失わないように。
初心を忘れなければ。
焦ると本末転倒になる。
鬱の時は考えないでおこう。
体調が悪い時は養生しよう。
働けなくてもこれが私なら。
節約生活は嫌いじゃないし。
そんな話ではなかったみたいだ。
1年前の1月に2回粉々にされて、2月に更に粉々にされて、ストーカーち
2024-04-25
私が金銭での誕生日祝いを喜ばないと知っていても、それを伝えても、金を振り込む父に失望感というのか虚無感を覚えた
が第一印象の日でした。
5万を拒否したことは覚えているくせに(だから減額したんだろうな)、何故それを拒否されたのかを考えていない。
5万10万20万積まれても、私にとってそれは価値がない。だって金だもの。
「××、誕生日おめでとう」
これに勝てる金があるのか。私には無いな。
「直接祝い
2024-03-24
今日は友人が来る日なので、ちょっとバタバタしました。
お客様を迎えるお作法は両親から継いだ古いやり方ですが、準備するのは何故か楽しくなるものです。
今はお客さんにお菓子を出したり飲み物出さないのもおかしくないそうですね。私はそれを準備するの楽しいから些末なことだなぁ。
さて、友人に我儘を聞いてもらう2ヶ月目です。
今日は駅地下へ。
まずは花屋へ。
うちが総本家の両親とは話しましたが、母方は生け花