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胸を焦がす炎から目を背ける

小さい頃からそうだった気がする。
いわゆる『負の感情』というものは、いたく気持ちが悪いのだ。
特段、自分にむくものより、他人にむくものの方が気持ち悪くて、気持ち悪くて、気持ち悪くて、その度に目を瞑ってきた。

眠る時もあれば
瞑想する時もあり
祈る時もあった
この他害感情から逃れたいと
けどどんどん火が燃え盛る
耐えきれなくなった自分に、三回覚えがある
鬼になりかけて燃やされた時だ

社会福祉的には
問題行動が起きない人には目が向かない
何も起きてないから。
私みたいに耐久しようとしない
普通なら問題行動として露出する
ふた回りくらい昔ならリスカとかそうだったね
問題行動として気付いて欲しい
まぁ問題行動と言うより先にメンヘラとか構ってちゃんとか侮蔑されて、さらに傷つく人が多かったと思うけど

怒りが嫌いだ。他人を責め立てる。
憎しみが嫌いだ。他人を傷付ける。
悲しいとかは泣いてきたけど、私が泣いてるのを誰も知らない機能不全家族、虚しさなら生まれる。
泣いても苦しんでも応答されない。
反応性愛着障害の人間なら、泣かない赤子のような、「なんで気持ち悪いとか甘えたい時に泣かないの?」みたいな人間になる。
どこかで応答を諦めている。

笑顔を貼り付けて隠した下で燻っている。
苛立ちも憎しみも全部、土の下に埋めているだけ。
土は燃えない。
ただ、植物が生えてしまったら、燃え移る。
そんな話なんだ。


昔は「~姉」と呼ばれて、誰かに頼られることが多かった。
誰かの困り事に対処する時だけは鎮火した。
だから自分の弱みは隠した。弱ってる相手に頼ろうとか思えないから。でも遠慮は却って私を救わない。ジリジリと焦げていく心が、他人への敵意を育てていくばかりだ。


そんななら死にたい。
誰かを傷つけるなんて、自分のしたくないことをする人間になる前に、自分で終わりたい。
私の希死念慮は「苦しいから死にたい」という背水の陣ではなくて、「苦しいから自我が無くなった時に他害したくない」から死にたいのだ。自己満足なんだ。


アチラサマも軒並み頑張ってくださってるけど、祈っても、瞑想しても、どこからそんなに湧き上がるのか敵意だらけの害意に塗りつぶされる。



嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ



どれだけ拒んだって
誰も助けてはくれない
応答してくれはしない



ならいっそのこと
どんぞこまで突き落としてよ

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