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丁度いい『これはこれでいい』だけをまず定める

通院で、医師と話をしていて
『過酷な環境に耐えるために、認識を歪ませることで生きてきた可能性があり、そのせいで本来の自分の感情が分からない状態なのかもしれない』と言われたのを、2日くらい考えてました。
あと『お父さんは変われないし、あなたは変わる意思があっても疲れ切っているから、いっそ仰々しいほど分かりやすく「ありがとう!嬉しいなぁ~!」とか、相手が気分が良くなる出し方をしてみては。』というのも考えました。
後者は何故か悪寒がしたので、悪寒がするということはこれは「恐怖」なんだと思う。
焦燥感も根をたどれば恐怖なのは理解しているのです。ちょっと早口になるので。あと割と意固地になるので。これは恐怖反応です。
なので後者は没です。友人も良い顔はしなかった。

話が戻りますが前者
まだきちんと分かってはいないですが、「父さんはあのままでいい」と「私も頑張るのはもうやめていい」はあって
要は「どうしたら目標に辿り着くかを決定しない」という膠着状態をキープすることが、今の私に出来ることなのかなぁと思います。

父さんが変われないのは、まあ心理学的にも立証がありますが、個人的に見てきた所感としても無理なのは分かっています。頑固なところは父譲りだなって思う(私)
つまり頑固vs頑固が話をしたところで、衝突するなり喧嘩するならまだしも、「父親の役」を継続し続ける以上は「父親が娘に(恣意的な)暴論を吐く」ことはないわけです。無意識には言ってるんだけどな。
衝突しない話ほど進まないものはなく、なんの意味もありません。

私にとって、何かしら問題が起きた時に、相手の感情を決め付けないというのが前提であり土台であり無意識的に前に置いてしまうものがあります。
私の人生史において、私の感情だけで相手を見るなら、母の言葉に対して「私を見下しているんだ」と感じることは出来たでしょう。本当に見下してたならとんでもないよね。
実際は薬害で八つ当たりをしていたというのが事実でしたので、見下されてはいないものの、見下すような言葉を向けたことを一度の謝罪で容赦できるほど、浅い傷では無かったのは確かです。
いや、何回も詫びられても困るんだけどね。
重ねればいいってもんじゃないし。

そもそも、まあ家族間では例にならないですが、いわゆる「相手の気持ち」(私世代の道徳の時間で教わる手法です。)を前に出すと、今の新卒年代には通用しないのですよね。自分が一番だから。要するに私は一番以外の何かだから。
自分が自分が自分がと言う相手に、どうやって伝えられるというのでしょう。膠着したまま進まないのは、全く同じなのです。

膠着したまま進まないのも確かにストレスなんだけど、まずは「膠着状態」を許容するのも一手なのかもしれないなと感じます。
だって私がエネルギー使い果たしてもあっちが聞かないのだもの。エネルギーないわ。
確かに先に死なれたら困るんですけど、じゃあ膠着状態を受け入れられないってなると、私は自殺しようとするわけです。

このままでいいとまでは、思えないけど。
まずは、「父さんはそのままでいい」し、「私はもう頑張らなくていい」のふたつは、多分変えなくていい。
それだけ。

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