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希望を失わずに生きようとしてきた人生だった。

いつか。
頑張れば。
視点を変えれば。
福祉のツテを当たれば。
休みながらやれば。

無理をしないように。
目標地点を見失わないように。
初心を忘れなければ。
焦ると本末転倒になる。

鬱の時は考えないでおこう。
体調が悪い時は養生しよう。
働けなくてもこれが私なら。
節約生活は嫌いじゃないし。



そんな話ではなかったみたいだ。
1年前の1月に2回粉々にされて、2月に更に粉々にされて、ストーカーちゃんで更に粉々になって、一人暮らしでも随分粉々になった。
もう割れる余地もなかったはずだけど、それでもまだ心は割れていくらしい。



みのりの輝きが好きだった。
みのりの輝きは、私が「福祉の世界で関わる人を幸せにするぞ」と同じだったから。
無謀でも頑張る姿。ブレない信念。
自分と同じところを走るから、みのりは好きだったし、その希望を忘れないでいた。
いられた。



でももう粉々になりすぎて、何をすればいいのか分からない。
死にたくなった時用の紐はあるけど。
看取りたいと言ったはずの人は私を悪様に言える状態になっているわけだから、ひとりさびしく死ねというわけだ。うんまあそれもどうでもいい。


信じていたかった。
希望はまだあると。
絶望する必要なんてないし、休めばよくなると。
でも時間が掛かるほど掛かるほど悪化していく。
繋がらない心を踏み潰されていく。
何言ってんだこいつってなってくる。



そんなことを思うくらいなら、やっぱり1月に死ねばよかったんだな。ストーカーちゃんの静止とか、無視すればよかったんだよな。あのまま10分放置すれば、眠るように死ねたもんな。



分かって欲しいなんて、願った私が馬鹿だったの。
根気強く話を重ねれば不可能ではないと、信じようとした私が馬鹿だったの。
生きてる価値のない命なの。
こころを与えてもらえない惨めな生き物なの。
棺に入ったらさすがに見てくれるでしょう?
謝らないんだろうけどね。



自分の方が調子が悪いんだから
気が利かない
使えない
役に立たない

そんなことで一々




壊れてしまうのは早いものだね。
どうせこの記事もなんの意味もなく流れていく。
誰の目にも無意味なものでしかない。




「俺は誰?」
「俺はオズだよ」
「じゃあ
 『おれ』は、だれ?」




15年前の自分からの問いに
答えは出ない。

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