(タイトル画像出展:Trans Bridget Mod↓)
※ギルティギアシリーズのネタバレ及び、一部にトランス差別的な表現が含まれます。閲覧の際はご注意下さい。
こんにちは。烏丸百九です。
人気格闘ゲームシリーズ「ギルティギア」の最新作、「GUILTY GEAR -STRIVE-」にて約10年ぶりにシリーズに再登場したプレイキャラクターである「ブリジット」が、なんと男子からトランスジェンダー女性に設定変更されていたことがネットで話題になりました。
オタク界隈では所謂「男の娘」キャラの代表格と言われていたブリジットが、公然と自分を「女の子」と宣言したことに対し、ファンの間では賛否あるものの、概ね好意的に受け入れているようです。
しかし、これを「女装男子/男の娘は最早ポリコレのために容認されない」と解釈した一部のオタク層が、当てつけ気味に本件をバッシングする光景が見られました。
本noteでは、そもそもの問題として、海外において「女装男子/男の娘は最早「ポリコレ」のために海外では容認されない」というのは事実なのか、また「「ポリコレ」的な西洋文化よりも日本のオタクカルチャーの方が多様性に富み優れている」のは事実なのか、きちんと事実を検証した上で論じていきたいと思います。
1.「男の娘」はとっくに海外進出している
まず単なる事実として、ブリジットは「男の娘」キャラとして長年海外ファンにも受け入れられていたことがあります。彼女がトランスジェンダーに設定変更されたところで、今更その事実が動くことはありません。
次に、「男の娘」と言われる表象が、特に日本のオタクカルチャーの中でしか見られない現象については、所謂コミック市場の特殊性と、ゲームカルチャーとの違いで大体の説明が付くように思います。
オタクの皆さんが自慢するように、日本のコミック市場規模は世界最大です。2021年度のデータによれば、紙+電子の売上額は6759億円で、近年売上が低下傾向の紙コミックのみでも2087億円という巨大市場を形成しており、これはコミックを含めた全出版物市場の4割を占めているそうです。
では、海外市場はどうなのでしょうか。アメコミ映画全盛の昨今、例えば北米では、コミック市場は拡大傾向にあると言われます。
しかし、確かに北米の紙コミック市場は20億ドルの売上があり、金額だけなら日本の紙コミックに匹敵しているのですが、一般書店だけで見ると、その売上の約76%が日本製コミックで占められていて、日本人になじみ深い所謂「スーパーヒーローコミック」のマーケットは全体の約6.5%しかないそうです。
物価の違いから単純比較は出来ないとはいえ、北米を始め、日本のコミックは想像以上に海外で売れているのであって、当然ながらそこには我々になじみ深い「男の娘」キャラクターも多数登場しているはずです。彼人らが「ポリコレ」のために設定変更された例などあるのでしょうか?
更に言ってしまえば、市場の8割近くを占める強力なライバルである「マンガ」にアメコミ作家達が対抗しようとするならば、「マンガ」にない表現を目指すのは(市場原理的にも)当然の話であって、殆ど文化侵略レベルの出版攻勢をかけておいて、「海外には「男の娘」が登場しないから遅れている」とコメントするのは、いくら何でも傲慢が過ぎるというものでしょう。
※追記:上記の一部に事実誤認がありましたのでお詫びして訂正致します。
記事の公開当初、「一般書店」というのはアメリカン・コミックを中心的に販売する所謂コミックショップ(アメコミ専門店)の売上を含んでいるものであると誤解していたのですが、実際にはコミックショップでの販売数は統計に含まれておらず、よってアメリカン・コミックと漫画の販売比率を正確に表したものではないということです。また、定期刊行される所謂コミック本(日本における雑誌に相当)も当然含まれていません。
コミックショップでの売上を合算した、2021年のグラフィック・ノベルの売上割合は以下の通りです。「マンガ」は全体の43%を占めているものの、キッズ向けも含めると、総売上でアメコミを圧倒している、とまでは言えないのが分かるかと思います。
とはいえ、「マンガ」表現への対抗という主張を変えるつもりはないのですが、全体的に誤解を招く記述であったことをお詫び致します。
こうした「男の娘」キャラクターは海外では「Femboy」または「Trap」と呼ばれ、詳しくは後述しますが、海外のコミックファンの間でも(日本と同様に)ニッチなファンを得ることに成功しているようです。
また、ゲーム市場とコミック市場との違いも重要です。
2020年の調査に寄れば、世界のゲーム市場規模は推定20兆円以上であり、現在その規模はさらに拡大しています。アプリゲーム等も全て含んだ数字とはいえ、日本が最大の市場であるコミック市場とは文字通り「桁が違う」わけです。そしてその中で日本の国内マーケットはわずか2兆円であり、うち1.3兆円をスマホアプリの売り上げが占めています。たとえコミック市場の6700億円にアニメ市場の2兆4261億円を合算したとしても、到底海外のゲーム市場規模の巨大さには追いつけないのです。
こうした状況下で、「ギルティギア」の制作者を含む日本のゲームクリエイターが「海外ユーザーを意識した」プロダクトをするのは当然の話であり、少数派の国内ユーザーではなく、様々な文化圏の集合体であるグローバル市場に挑戦するに当たって、「ポリコレ」を意識した作品作りをするのは、オタクが屡々主張する「マーケティングの大切さ」を考えれば、妥当な判断と言えるのではないでしょうか。
2.「Femboy」と「Trap」、そしてトランス差別
市場データの分析から、「女装男子/男の娘が最早「ポリコレ」のために海外では容認されない」のは嘘だと言えるにしても、「男の娘」的な表象が(やはり)あまりメジャーにならず、消費者に歓迎されないのだとしたら、「「ポリコレ」的な西洋文化よりも日本のオタクカルチャーの方が多様性に富み優れている」のは本当ではないでしょうか? 日本のオタク的アイディアが、何故そのまま海外で「素晴らしい多様性の表現だ」と言って貰えないのでしょうか?
アメリカ在住のフォロワーさんからの情報に寄れば、海外カルチャーでも「男の娘」的な表象が生み出されなかったわけではなく、そうしたキャラクターは度々登場しては注目を集めてきたそうです。代表的な例を幾つか教えて頂いたのでご紹介します。
a.バッグス・バニー
映画「トランスジェンダーとハリウッド」でも取り上げられたように、ワーナー・ブラザーズのマスコットキャラクター・バッグス・バニーはアニメ内で頻繁に女装し、しかもしばしば「女の子」として扱われます。バニーが生み出されたのは1930年代であり、コミック版は40年代から出版開始、80年代にはゲイの権利拡大のためのアイコンとして扱われたこともあったようです。
b.ベンダー
アメリカのヒットコメディアニメ「フューチュラマ」に登場するロボットのベンダーは、ギャグのために何度も女装姿を披露します。同アニメは1999年からスタートしており、アメリカのキッズには非常に有名な作品のようです。
c.エンジェル・ダスト
エンジェル・ダストはアメリカの大人向けミュージカルアニメ「ハズビン・ホテル」のキャラクターで、見た目は女性に見えますが、歴とした男性でゲイの悪魔という設定です。本アニメはアメリカ人オタクの間では非常に高い評価を受けているとのこと。
このように、メジャーなカートゥーン作品でも「女装キャラ」あるいは「男の娘」と言えそうなキャラクターは昔から登場しており、またフェティシズムとして嫌われているというわけでもなさそうです。Pixivで「Femboy」「Trap」を検索すると、前者が16,388作品、後者が15,675作品となっており、殆どが日本の「マンガ」の二次創作とはいえ、英語圏で不人気な表現とまでは言い難いと思います。
それでも「Femboy」や「Trap」が「歓迎されない」背景には、やはり欧米の深刻なトランス差別の問題があります。特に「Trap」は、ワード自体がトランスジェンダー差別的だとして、redditなどの大手コミュニティサイトでは使用を禁じられています。
ワードそのものの差別性を脇に置いても、「男の娘」にせよ「Femboy」にせよ「Trap」にせよ、「実は男”なのに”可愛い女の子の見た目をしている」キャラクターを指す用語である事は、大凡議論の余地がないのではないでしょうか。
前述した在米フォロワーさんの情報に寄りますと、「Femboy」はより包括的な用語として、男装女子も含むタームに一部では変化しつつあるようですが、それでもトランスパーソンに向けて使うのは失礼だそうです。まあ当然だと思います。
※追記:在米フォロワーさんから「Femboy」について注釈を頂きましたので、そのまま掲載致します。
「トランスジェンダーとハリウッド」にも描かれたように、「男の娘」的なキャラクターはメディアの中で「(特にシスヘテロの)男性を誘惑する女装男子」として扱われ、笑い、悪徳、そして性的フェティシズムの象徴となってきました。
ここで行われているのは、(「オタク独自のファンタジー」などではない)現実に存在する性的マイノリティのカリカチュアであり、それが一部の人々を深く傷つけてきたからこそ、多様性を重んじる社会では「差別的だ」という声が大きく聞こえる(よってビジネス上も配慮せざるを得ない=「ポリコレ」)のであって、性的マイノリティの人生や、受ける差別に無関係なマジョリティの意見が「多様でなく一致している」のは、むしろ日本のような社会の方なのです。
こうした数々のデータが示す事実に目を向けず、ただひたすら「日本は海外よりも優れているはずだ」と喚き立てている人々は、実は「オタク」でもなんでもない、単なるガラパゴスネトウヨではないでしょうか。
3.神様が作った自分を信じて―「男の娘」とクィアパーソン
とはいえ、「男の娘」表象が全く差別的であり、評価に値しないとするのも、当然ながら一面的な見方です。実際に、ブリジットのような「男の娘」は、現実を生きるクィアパーソンに少なからず勇気と自己肯定感を与えてきたのであって、問題はマジョリティである我々がそれをどう受け止めるかにかかっているのです。
ところで、「不可解なぼくのすべてを」には英語版wikipediaの記事が存在しますが、日本語版はありません。
こういう文章が、日本にいるトランスパーソンは勿論のこと、「オタク」の誰からも上がってこないというのは、全員にとって実に不幸な話だなあ、と思います。
「オタク」の一人としてはせめて、日本が誇れるゲーム・クリエイター達の勇気と、ブリジットの新たな歩みを素直に祝福したいところです。
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