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新卒入社したIT企業を9か月で退職した話

私は新型コロナウイルスの蔓延が始まった2020年4月に中小のIT企業に就職しました。
しかし、多くの仕事が失われる最中にも関わらず、私は僅か9か月後にその会社を退職してしまいました。

本当に自業自得な黒歴史……されど、今の私が出来上がる大切な出来事でもありました。
今回は私がコロナ禍にもかかわらず爆速で新卒カードを捨てたお話です。




4月 入社翌日からテレワークでの研修が始まる


2020年4月、当時は新型コロナウイルスが日本で蔓延し始めた頃で生活が激変しつつある中でしたが、大学を卒業し社会人となり、どのみち新生活を迎えることになった私は案外すんなり受け入れることができていました。

むしろ社会人としてやっていけるのかという不安の方が勝る中、入社日を迎えました。
まだ世間でテレワークが板についていない頃でしたが、IT企業ゆえに最低限のリモート環境が整っていたため、翌日から自宅で研修が始まりました。


5月 研修ができず1か月間の自宅待機期間に入る


突貫で始まったリモート研修なので私たち新卒も会社側もお互い四苦八苦していましたが、何とかスケジュール通りに進んでいました。

しかし、月末になると事態はまさかの展開を迎えます。
自宅での研修に限界が来た上に緊急事態宣言も出されたことが重なり、5月から1か月間の自宅待機となりました。

入社して僅か1か月で再び長期期間に突入しました。
仕事も研修も無いのにお給料は振り込まれるのは嬉しい反面、罪悪感も感じました。

待機期間中に何の成果も出さないわけにはいかないので、会社から取得を推奨されていたITパスポートの資格勉強をし、6月の試験で無事合格しました。


6月 出社を交えつつ研修が再開する


6月になると再び研修が再開しました。
1回目の緊急事態宣言が終了したこともあり、リモートだけでなく会社に出社しての研修も始まりました。

自宅待機により半ニート状態と化した私にとって研修再開すら厳しいのに、通勤まで始まりまるで拷問を受ける気分でした(社会人として当然のことをしてるだけなのに……笑)
でも、久々の電車移動に心身ともにズタボロになりながらも同期と会えることは嬉しかったです。

同期とは当時大人気だった「あつまれ どうぶつの森」を通じて仲良くなっていました。

さて、自宅待機を挟みつつも予定通り3か月で研修期間が終わり、いよいよ現場での仕事が始まる……はずだったのですが……。
ここからが地獄の始まりでした。


7月 研修が終わるも仕事が無く再び自宅待機期間に入る


6月最終日、リモートを通じて少しやつれた社長からお話がありました。
その内容は「7月から無期限の自宅待機期間に入る」というのものでした。

理由は単純で、私たちに回せる仕事が無かったからです。

私はIT企業でよくあるSESという派遣に近い部門に採用されていました。
そのため、クライアントと面接をして契約を結ぶ必要があるのです。

驚きはありませんでした。
ウイルスの蔓延により仕事が減っている現状で、スキルも経験も無い新卒ごときに任せられる案件が無いことなど容易に想像ができます。

そして、この自宅待機期間がなんと3か月も続きました

多少は勉強をしていたものの、ほったらかしにされていたこともあり何をどう勉強すれば良いかわからず、基礎以上のことに手を出せずにいました。
何もできないのにお給料を貰うことへの罪悪感で自分の首を絞めるようになりました。


10月 研修と面接、周りからの圧に心が不安定になる


半ニート生活から約3か月後、突如上司から連絡が入りリモート研修が再開しました。
内容は同期とチームを組んでWebサイトやアプリを作成するというものでした。
必要な情報や知識は全て自分たちで調達しなければいけなかったのですが、その情報のほとんどが英語で意味が分からないものばかりでかなり過酷でした……。

上司にはビデオ会議で常に監視されていたため気を抜くこともできず、まるで監獄にいるかのような感覚で過ごしていました。
勉強させてもらえてお給料も頂けて感謝感激……なんて思える余裕もありませんでした。

時折面接が入って中抜けしたりしたものの、面接が超絶苦手ということもありなかなか採用には至らず……。
その上、面接を通過できないことを上の人間から責められるようにもなりました。

一方で採用され研修を終える同期も出始めたため、私の精神は憔悴しきっていました。
こんなダメダメな私なのに周りからは「新人の中でも優秀な人」と評価されていたので、期待に応えられない辛さとプレッシャーで押しつぶされそうになっていました。


12月 無理やり契約させられた現場がパワハラ&グレーな業務内容だった


年の瀬に何度目かの面接に行ってきました。
個人向けテレアポ営業の代行会社でした。

ITエンジニアとは?という仕事内容でしたが、それ以上に場の雰囲気に異様さを感じました。
とんとん拍子で話が進みこちらから何か話すまでもなく採用通知が出されました。

明らかに人を労働力としか見ていませんでした。

営業担当からは「合わないと感じたら断っても構わない」と言われていたので、辞退したい旨を伝えたのですが……拒否されてしまいました。
話と違うとは思いましたが会社側としてはお荷物社員をさっさと減らしたいと考えているのだろうと言われずともわかっていたので、受け入れるしかありませんでした。

そして、SESとして初出勤。
その異様さは勘違いではありませんでした。

勤務地は雑居ビルだったのですが、案内された階のテナント看板は空白でした。
その階に着くと山積みにされた段ボールと二重にも三重にもなった扉の奥へ案内されました。
その部屋はブラインドで閉ざされ、まるで存在を隠すようにその職場はありました。

現場は怒号が飛び交う危険な環境でした。
渡されたトークスクリプトにも顧客を騙すようなことが書かれ嫌悪感を抱く内容ばかり。
法律にも抵触していそうなグレーな会社だったのです。

そんな仕事を夜遅くまで、さらに年末年始も容赦なく出勤日とされていました。
このパワハラ&詐欺まがい職場で最低半年は続けなければならい。

頭の中でぐちゃぐちゃ考えてしまい、既にすり減っていた私の精神はとうとう限界を迎えました


1月 適応障害と診断され、即決で退職する


忘れもしない12月24日。
クリスマスイブに私は助けを求めるかのようにメンタルクリニックへ駆け込みました。
家の近くのクリニックはどこも予約がいっぱいだったので、予約不要な都内の方まで向かいました。
皆さんも心が疲れてしまっているんですね……。

そこで私は適応障害と診断されました。
後日、それを会社の人に伝え、その上で退職を申し出ました。

……そう、退職です。

あまりにも早すぎる判断。
これには鱗滝さんもニッコリです。

この診断が下されていなくてもテレアポ業務に携わった時点で退職の決意は固まっていたので、この診断結果はもはや辞める口実に過ぎませんでした。

素直に休職を取れば良かったのでは……と思うのですが。
会社からの圧の恐怖ややっと取れた案件なのに速攻で契約解除させてしまった罪悪感から逃げ出したくて仕方ありませんでした。

そして年明け早々、私は9か月でIT企業を去りました。

冷静になれず勢いそのままで退職してしまいましたが、あのまま案件を続けていたり休職という手段を取っていれば今より良い未来だったのか……考えても仕方が無いことです。
1年未満で退職してしまったことは私の経歴として残り続けますが、私はこの判断は間違えてなかったと信じています。


5月 母を泣かせながらも再起し、奇跡的に再就職を果たす


仕事を辞めたことは母とも揉めました。
最初は私が苦しんでいる姿を見て「もう辞めても良いよ」と言ってくれていたのに、
いざ辞めると「早く仕事見つけて」「ニートにならないで」「もっと図太く生きて」と、途端に手のひらを返されてしまったことにとてもショックを受けました。

当時は新型コロナウイルスの感染が再び拡大し第2回緊急事態宣言が発令され母の稼ぎも減っている中だったので、私に早く稼いできてほしいと思うのはとても自然なことです。
でも、その言葉は適応障害と診断されていた私には耐え難いものでした。

私は自分の気持ちを伝えるためにA4用紙に手紙を書き、それを母に読んでもらいました。
「お母さんの言葉がつらい」「良くなるのを待っていてほしい」と、そんな内容を紙にビッシリと書きました。

それを読んだ母は泣いてしまいました。
母子家庭なので頑張ってくれている母を楽させるどころか苦しめてしまうことが本当につらかったのですが、このおかげで病気のことを理解してくれて楽になりました。

その後はカウンセリング治療のためクリニックに通院してましたが、回復傾向にあったことと治療代が馬鹿にならなかったため1か月ほどでやめました。
もっとゆっくり休むべきだったかもしれませんが、私自身職歴に空白期間を作りたくなかったので、2月から転職活動を開始しました。

そして、4月末の面接でついに今の会社で採用してもらえたことで晴れて5月から社会人に復帰することができました。


まとめ 退職は慎重に。でも、自分の心を一番大切に。


入社から退社、そして社会復帰までの壮絶な(?)ストーリーをお送りしました。
当時の私は被害者面が酷かったのですが、振り返ってみると自業自得なことばかりで当時とは違う意味で苦しくなりました笑

早く社会復帰したいという焦りから手当たり次第に応募しましたが、奇跡的に事務職につくことができて本当に運が良かったです。
まあ、今の会社もいろいろと問題はあるのですが……それはまた別の話ということで!

無責任なことは言えませんが、退職は慎重にしましょう
私が無鉄砲に辞めてもスムーズに社会復帰できたのはただただ運が良かっただけです。
「何も考えず退職しても何とかなる!」と安易に思ってはいけません。

でも、自分の心を守ることを最優先にしてください。
私が転職活動を早めに行えたのは「会社に残らない」という選択肢を選べたからだと思っています。
この選択が最善だったかはわかりませんが、会社に残ることを選んだことで症状が悪化していたとしたら……今も社会復帰できていたかわかりません。

私が選んだ道が正解になるように、これからも励んでいこうと思います。

ちなみに同期は私含め7人ほどいましたが、僅か2年で全滅しました
……やっぱり辞めて正解だったのかもしれませんね笑

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