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15 審判に対するリスペクトを考える

みなさん、こんにちは。

今日は、スポーツの世界における審判に対する姿勢について考えてみたいと思います。この記事は私の個人的な意見が多分に含まれていますが、軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。

少年サッカーの試合でも、時折コーチや監督がレフリーに対して厳しい言葉を投げかける場面を目にします。

「おいレフリー!ファールだろ!」

「レフリーちゃんと見ろよ!」


といった言葉が飛び交うことがありますし、私自身も何度かそのような指摘を受けたことがあります。

試合に臨む子どもたちも、たまに「は?」「おかしいだろ?」と口にすることがあり、これは日常的な光景です。試合のハーフタイムや終了後に、チームがレフリーに対して不満を口にすることも少なくありません。

これらの出来事を目の当たりにするたびに、私は

とても悲しい気持ちになります。


もちろん、誰もが勝つために試合をしていることは理解していますし、一つのプレーが勝敗を左右することもあります。しかし、だからといって、レフリーに対して威圧的な言葉を投げかけることが正当化されるのはおかしいと感じています。

私は高校時代に野球をしていました。野球では、当時抗議する際はキャプテンが帽子を取って審判に対して正式に行うというルールがありました。

「審判さんに感謝しろ!」

「審判さんに失礼な態度を取るな!」

「審判さんがいなければ公式戦は成り立たない!」

と、まるで脅しのように教えられてきたのです。

そのため、引退して何十年も経った今でも、判定に対して不満を抱いたことは思い出せません。

ある種の「諦め」


とでも言いましょうか、

「審判さんが言っているのだから仕方ない」

と思っていました。これは昭和的な教えで、ある意味、野球らしいとも感じます。

スポーツにおいて、理想はレフリーは補助的な存在であるべきだと私は考えます。試合中は相手をリスペクトし、相手の力に全力で対抗する。

わざとファールをもらう、無理に時間を稼ぐといった行為は、見ていて気持ちの良いものではありません。

しかし、サッカーでは世界のトップ選手たちがそのような言動を行い、それが当たり前になっている現実があります。子どもたちはそのトップ選手たちの行動を模倣しているだけなのかもしれません。

少し夢物語のように聞こえるかもしれませんが、1-0で勝っていても

最後まで2点目を奪いにいくような姿勢が、スタンダードになる日

が来ることを私は願っています。

先日、Jリーグの試合を観に行きましたが、際どい判定が続く試合でした。応援しているチームがファール気味のプレーをされたときには

「今のはファールだろ!」

と怒号が飛び、逆に自分のチームがファール気味のプレーをすると

「ない!ない!」

と叫ぶのです。

不満があればブーイングが起こり、審判の名前を確認して

「○○主審、クソだ!」

「○○やめちまえ!」

などと心無い言葉が飛び交います。

その中には多くの子どもたちもいて、同じように審判に対して心無い言葉を叫んでいるのです。
私の子どもがもし同じようなことを言っていたら、

「あの人が自分のお父さんだったらどう思う?」

と質問するようにしています。実際に審判をやってみると、その難しさがよくわかります。笛を吹く勇気、吹かない勇気が常に試されているのです。

もちろん、審判も人間ですから、判定にミスがあってはなりません。しかし、サッカーを通じて、選手、コーチ、保護者、サポーター、レフリーすべての関係者が

「良い試合にする」という同じ方向

を向いて試合を楽しめる日が来ることを願ってやみません。それが実現すれば、スポーツはより豊かなものになるでしょう。

私のチームでは厳しい判定を受けてもすべて受け入れて審判にお礼を言わせていました。このことに反対する選手、保護者の方もいましたがこのことに関しては明確に示していましたので他のコーチとも相談して曲げないようにしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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