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CapitArt™️の定義

広く藝術というものが資本に呑み込まれて久しい。
それ自体が悪いと言うことではない。資本主義とガチガチの契約を結び、その界隈に実装されるあらゆる制度に同期して行き、ほぼ現代の資本主義の動きに連動を見る。それは、かつてあったであろう純粋な思考や何らかの制作の渇望とは異なる、資本主義を牽引する集団またはその界隈から滲み出す要請による“渇望”からの思考や制作という全く異なるものと変容したと見ている。
かつてここまで資本による侵略はなかった。
そこに対する警鐘として、資本主義への過度な偏向が見られる作品をキャピタート™️*(キャピタリズム+アート【造語】)と位置付ける。

それと対照的な純粋な制作物をアートと呼ぶことで、そのグラデーションの中で比べることができるだろうと考えた。
これは“新たな価値の在り方”を問い直す試みである。
決してどちらの良し悪しを問うものではない。
しかし、過度な依存が引き起こす過剰極まりない金銭的価値の吊り上げ合戦や不条理で怪しげな水面下の価値の付与といった不正とも取れる行動やその結果に対する抑止となり、改めて“かつてあった藝術”を取り戻す一助となれば本望であります。

*CapitArt:キャピタート

©︎ SUP株式会社

と、まあまだステートメントを提出した段階です。
これからこれをどう進展させて行くのかは時間をかけての対話が必要です。
ご興味がある方は是非にご一報をお気軽にくだされば幸いです。

藝術が藝術らしく、藝術家がまた同じく藝術家らしくあるために。
そして、藝術そのものの価値が金銭やその世界に横たわる権威などの発言力による力に翻弄されすぎることのない在り方を確立できたらと、心から願います。
どうぞお力添えもくだされば幸いです。

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