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期待しないことは軽めのプラス思考

先日、期待は思い込みや欲望と書いたが、その後「期待」ってなんだろう…? とふと考えてみた。

わたしは、わりと昔から期待をしないように生きている。まったく期待しないのも楽しくないとは思う。ので、宝くじなんかは、期待しながら購入することはある。人がらみの案件については期待はメンタルを損傷すると思っています。

コロナ禍突入時に、連絡を控えた長年の友人がいる。友人は、フリーランスなのだがいい仕事がない、仕事がないからバイトを探すが、人も環境も嫌で続かない、だからお金がない、と嘆いていた。バイトへ行く前はいつもめちゃくちゃ張り切っているのに、行ったら愚痴三昧。落差が激しい。「期待しすぎなんじゃない?」と彼女がラクになれるよう言ったつもりが…「期待ぐらいしたっていいじゃない!?」とやや語気が荒くなったので、悪いことを言っちゃったかな、と反省した。彼女の言葉は心に残った。

その後しばらくして「人生を半分あきらめて生きる」という本を読んだ。気がラクになる本だった。あきらめるのは、別段期待だけではないけど、実際期待をしないで生きるとラクだ、ということを改めて認識した。それはなぜだろうと調べたら、期待は、欲望であることに行きつき、なるほどと合点。期待しないことで心が穏やかになる。期待しないことは、決していいことを望まないわけではない。なくてもいいけど、あったらあったでよかった、というような軽めのプラス思考なのだ。悪いことがあったときは、こんなこともあるよね、と流す。占いをいいときだけ信じるというのに似ているか?(ちょっと違うか…)

期待のメカニズムについて、友人に話したい(あのときは説明はしなかったので)。でも、友人には友人の価値観があるのかもしれない。期待ぐらいさせてよ、ちょっと切実な響きだ。絶交したわけではないけど、大人の交友関係のほころびはこういう価値観の相違で生じるのかな。連絡をしていないけど、心穏やかに過ごしていることを願っている。期待という言葉を思うとき、たぶんわたしはこの友人を死ぬまで思い出すような気がする。


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