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- interactivity - 作者論と読者論、テクスト理論

みなさま いつも ありがとうございます。

concept2をunblock(開放)します。

concept2のテーマはinteractivity(インタラクティビティ)

「interactivity」の語源は「interact」であり、英語で「相互作用する」という意味を持ちます。 つまり、「interactivity」とは、相互作用性や相互活発性を示す言葉であり、人と人、人と技術、または技術同士の対話や交流を指します。

interは「〜の間の」という意味ですね。internetは「間にある網」、世界の間を繋げる線と線のつながりという意味ですね。

actはラテン語の「actus(行為)」という言葉からきています。俳優さんや女優さんのことをacter(アクター)、actress(アクトレス)と言います。

この物語は作者である「わたし」がつむぐ物語ですが、物語をつむぐのは誰かという文学上の哲学的問いがあります。

ロラン・バルトは1967年の論文「作者の死」(1967)のなかで、作者=近代に誕生した「人格」「経歴」「趣味」「情熱」などによって作品を創造する主体が死を迎え、作者を非人格化することでエクリチュールが始まるとしました。

ひとつのテクストは多元的なエクリチュールの産物である

「The Death of the Author」 «La mort de l'auteur» 『作者の死』 ロラン・バルト

すこし難しいですが、神の死(ニーチェ)の次に「作者」を否定したバルトは文学作品における作者の絶対性を否定しました。

1979年、ヴォルフガング・イーザーは『行為としての読書--美的作用の理論』の中で読者論を唱えました。

物語を作るのは作者でなく読者であるという主張です。

イーザーの受容美学理論によれば、「文学テクストはそのテクストが読まれるという行為において初めて効果を発揮する」という。この結果、イーザーの理論では、作者やテクストよりも読者が圧倒的に重視される。なぜなら、たしかに作者がテクストを創造するのであるが、読者がいなければテクストはその効果を発揮できないからである。イーザーはこうした読書行為の研究に加えて、ローマン・インガルデンの批判的読解を通じて、テクストの空所の理論や潜在的読者の理論も提唱している。これらの理論においては、テクストとは読者との対話の可能性をつくりだすものである。文学はコミュニケーションなのである。

Wikipedia

文学はコミュニケーション。

つまり、文学はinteractivity(インタラクティビティ)に支えらているという主張

これは読書しかない時代は比喩の一種です。読者と作者の間で交わされる時差のある対話。

読むことと書くことの間に行われる相互作用性

ですが、インターネットの時代にはこの言葉はまた別の意味を持ちえます。

ジュリア・クリステヴァはintersubjectivity(間主体性)という概念を提唱しました。

ある事柄が間主観的であるとは、 二人以上の人間(人間でなくてもよいが)において同意が成り立っていることを指す。 この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。 たとえば、 世界中の人々が何が美しいかに同意していても、 美の基準が客観的かどうかはわからない。

Wikipedia

美の基準が客観的なのか主観的なのかはわからない。
つまり何を美しいとみなすのはコードに支えられている
という主張です。

ポスト構造主義時代を経たあとのインターネットの世界ではどのようなテクストが紡がれていき、どのような理論が構築されるのでしょうね。

本を読む少女

といろいろ書きましたが小難しい理論はともかくとして、まずは気軽にXをフォローして参加してくださいね。

この物語は一冊の本であり、作者=読者であるあなたとの対話の中から書かれる物語です。

きょうはここまで

みなさまと一緒にワクワクしながら、この不思議な旅を楽しんでいきたいと思います。


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