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「こしあん」という私ができるまで。

こんにちは!

こしあんです。

美味しい餡子を作るためにまず乾燥した小豆を用意します。
この小豆は水で洗い、しっかりと水気を切っておきましょう。
鍋に小豆の量の1.5倍の水を入れて火にかけ鍋が沸騰するのを待ちます。

ということで、ボケるのまでにはここまでにしておきます。


先日、子どもの卒業式に参加してきました。

そこで校長先生の話を聞きながらふと、わたくし「こしあん」という生き物が誕生したきっかけ、私の原点となった「想い」というものを思い出したのでここに記します。


もう4~5年前になると思いますが、私がnoteを書き始めたきっかけは「この素晴らしくもクソッタレた世界に風穴を!」という想いからです。
中二病臭いですね。

私はそもそも「常識」と言われるものが嫌いです。
もっと言えば、それを押し付けられることが嫌いです。
子供の頃、大人たちの言う「常識」がよくわかりませんでした。
アインシュタインだって「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」って言ってるのに。

今でこそ、多様性という言葉が浸透し、「個」というものが尊重されるようになってきましたが、30~40年ほど前は集団に馴染めない者は異端でした。
現在、それは少しずつですが変わってきているのかもしれません。

というのも、卒業式で証書が手渡されている時のことです。

証書を受け取ったある生徒が壇上でスマホを取り出し、校長先生と一緒に写真を撮り始めたんです。
その時、会場からは笑いが起き、校長先生もにこやかに対応されていました。

人によっては不謹慎だと感じるかもしれませんが、その時の会場は温かい雰囲気に包まれていました。

その後、壇上で写真を撮る生徒、先生とハグをする生徒、保護者や先生に向かって感謝を述べる生徒、動画を撮る生徒、そして練習通りに証書を受け取る生徒。

私は「それぞれの個性があっていいな~」と感じていました。

でも一括りに”個性”と言っても色々ありますよね。

私たちは何か行動を起こし、違うリアクションをする人のことを個性があると考えてしまう事がありますが、そうではありません。

たとえば、自分の前に証書を受け取った生徒が何かウケるような事をしたとします。

後ろに並んでいる生徒は「私も爪痕を残したい!」と考えているかもしれません。
一方で「うわー、めっちゃやりづらいよ~、ちょー恥ずかしい!」と考えている子かもしれません。

”何かしなきゃ”という雰囲気でも「私は人前でそんなことはできないし、いつも通りにする!」という判断をし行動するのも個性です。

それをノリが悪いと言ってしまうのは違いますよね。

動く個性もあれば動かない個性もあるはずです。


他の人と違っていいんです。


それは比べるものではありません。

そう言えば、卒業式のプログラムが書かれたものに金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」が紹介されていました。

その詩の中に「みんなちがって、みんないい」という言葉があります。
しかも100年以上前に詠まれたものです。


今の大人たちは少しはそういった世界にできたのでしょうか。


私の子どもは中学生の頃、いじめが原因で学校に行けなくなりました。
学校はいじめがあったとハッキリ認めることは最後までなかったと思います。

特に謝罪もありませんでしたから。

どちらかというと今まで我慢してきたものを爆発させた子どもが悪者になっていました。
学校は起きたことだけしか見ようとしませんでした。

出席日数が足りず、公立高校を受けることも出来ずにいました。
受験もしたことがない子が私立の高校を一発で決めなければならないというのはプレッシャーだったかもしれません。

そんな状況でしたが子どもが高校に合格し、学校に通い始めた私は幸運だったと思います。

子どもは高校生活を楽しんでいました。

コロナの流行で登校できる日は少なかったけど、中学の時には行けなかった修学旅行にも行くことができました。

私自身、学校というシステムがかえって子どもたちの可能性を狭めているのではないかと考える日々も多くありました。

学ぶ意欲はあるのにそれを評価してくれる場所はありません。

今でこそフリースクールのような場所も増えてきましたが、そのフリースクールでさえ、学校に戻すことを第一に考えていたりします。

もちろん、学校は勉強よりもコミュニケーションを学ぶ場所だと考えれば、通えるなら通ったほうが良い。

勉強だけなら家でもできます。

何か事情があって一時的に行けなかったけどまた通えるようになる子も確かにいます。

ただ、学校に行く以外の子どもたちの選択肢が少ないようにも感じます。
個性が大事と言いながらそれを受け入れる体制ができていな現状があります。

それを不甲斐なく感じます。


・子どもたちへ

学校に行けないというだけで「人生のレールから外れてしまう」と恐れ、「学校に行かない」という選択をした子どもの意見を尊重できない大人をどうか赦して欲しい。

心を壊してでも「頑張ること」を強要される、息苦しい世界を作ってしまったことをどうか赦して欲しい。

好奇心旺盛で傷つきやすいキミたちを、型にはめ込む大人をどうか赦して欲しい。

ものすごく速く進む世界で、自分のペースが許されない環境を作った大人をどうか赦して欲しい。

そして、国を超えて人と人とが手を取り合える素晴らしい世界で、「クソッタレ」なルールを課してしまう大人たちを許して欲しい。

どうか、、、

どうか、、、

自分を嫌いにならないで欲しい。

たゆたえども沈まず、人生を謳歌して欲しい。


こんな苦しい世界で生きてくれてありがとう。



最後までお読みいただきありがとうございます。


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