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あなたがそれを欲しがる本当の理由

一万文字以上あります。
時間のあるときに読むことをお勧めします。


こんにちは!

こしあんです。

どこかの世紀末世界では「欲しいものは奪えー!」と叫びながらモヒカンの人が砂煙を上げバイクに乗ってやってきますが、現代では割となかなか物が捨てられない、つい買い過ぎてしまうという人が沢山います。

数年後に「なんでこれ買ったんだ?」と思ったり、買ったことすら忘れている物もたくさんあります。

いろんな物を持っていても、「あれが欲しい、これが欲しい」と考えてしまうのが人間です。
いくら物を手に入れても幸福にはなれないのに、どうしてそれを追い求めるのか?

「物欲があるから」と言われればそうですが、他にもいろんな理由で人は物を持ちたがります。
今回は私たちが追い求めて止まない「物欲」の話をしていきます。



【なぜそれを欲しがるのか】

人が物を欲しがる理由は大きく二つあります。
一つは「期待」で、もう一つは「社会的成功の誇示」です。

・「期待」

宝くじなんかが想像しやすいかもしれませんが、「それが手に入ったら、、、」と考えたりしますよね。
「7憶当たったらどうしよう!」なんて当たる前から心配しています。

「それがもし手に入ったら」といった考えは私たちの「報酬システム」と関係があります。
脳にあるこの報酬システムは「報酬が手に入りそうだ!」と認識するとドーパミンと言われる神経伝達物質を放出します。
このドーパミンが脳全体に指令を出し、欲しいものを手に入れようとします。

人はドーパミンの作用で「報酬の予感」を抱いて行動を起こします。
つまり、「それを手に入れられたらどんなに良いだろう!」と想像して行動を起こしているわけですね。
「大金を手に入れたら、マンション買って!車も買って!悠々自適に暮らして早期リタイアだ!」と考えたりします。

ただ、残念ながら例え望んだものを手に入れても「幸福感」を得ることはありません。
ドーパミンで「期待」は膨らみますが、報酬を手に入れても「喜び」はないということです。

実際、スタンフォード大学神経科学者ブライアン・クヌットソン(またはクヌートソン)の調査で、「ドーパミンには報酬を期待させる作用があるが、報酬を得たという実感はもたらさない。」ことがわかりました。

クヌットソンは被験者たちに脳スキャナーを装着させ実験したところ、お金をもらうために脳はドーパミンを放出し行動を起こさせますが、被験者が実際にお金を受け取った時は、脳の他の領域に反応が現われたと言います。

つまり、実際に報酬を得た喜びは脳の違う部分が反応していることになります。
そのことから、ドーパミンの作用は行動を起こすためのもので、幸福感をもたらすものではないことを証明しました。

ちなみにラットを使った実験では、脳のドーパミン系を完全に破壊されてもラットは砂糖を与えられれば大喜びすることがわかっています。
しかし、ご褒美欲しさに行動することはなくなりました。

私たちは「期待」によって行動を起こします。

「相手にこれをしてあげたら喜んでくれそう!」といったものから「このキャラクターを手に入れたらもっとゲームが楽しくなる!」といったものまでいろいろありますが、期待を膨らませることが出来なければ行動を起こすことができません。
つまり、生きていくために必要な能力だったりします。

※最近では報酬予測仮説というものがあり、予測していた「快=報酬」と実際に得られた「快」の差が大きいほどドーパミン神経細胞が強く反応する、考えられるようになってきている。
報酬予測誤差が大きいと、ドーパミン神経細胞が強く反応し、このような時に行なっていた活動は、その後も好んで選択されるようになる。

心理学大辞典より

余談ですが、よく「大金を手に入れても幸せにはなれない」なんてことが言われます。

しかし、相当額の宝くじに当選したスウェーデン人3000人以上を対象とした調査で、当選から五年以上たった段階で人生の満足度を聞かれた当選者は、当選しなかった人たちに比べ、全体的な満足度がかなり高いスコアをつけました
理由としては、経済的な不安が解消されたからです。

確かにお金の心配をしなくていいというのは、大きいですよね。

ただ、ちょっと注意したい点があります。

それは満足度と幸福度は同じものではないということです。
大金を手に入れたからといって、幸福度とメンタルヘルスに関してはさほど好転は見られません。

心理学者のダニエル・カーネマンによれば「収入は、人が自分の人生に満足するか否かを決める大きな要素ではある。ただ、その重要度は多くの人が考えるよりもはるかに低い。仮にすべての人の収入がまったく同じでも、人生に対する満足度の格差は5%も縮まらないだろう」と言います。

つまり、収入は人が幸せを感じる大きな要因ではありますが、その重要度は普通に思わてれいるよりもはるかに低いようです。


・「社会的成功の誇示」

もう一つの「社会的成功の誇示」はわかりやすく言えば、高級ブランドや時計、車といった物を所有することで自分たちをエリート層たらしめる特権や機会をシグナルとして発信することです。

私たちはこうしたシグナルを集めて相手がどの程度の人なのかを判断しています。
簡単な話、ブランドもので身を固めていればパッと見、相手が成功者に見え「きっと優れた頭脳やスキルがあるんだろう」と考えるわけですね。

あなたも知っての通り、ブランド物はめっちゃ高いですよね。

そもそも高級品の類は庶民の手に届きにくい価格だからこそ高級感が生まれ、買う人にとって魅力が生まれます。
誰もが持っていてすぐ手に入る物では効果がありません。
「あれ見て!近くのスーパーで売っていたエコバッグよ!」なんて事にはなりませんよね。

また、これとは逆のパターンもあります。

それは「カウンターシグナリング」と呼ばれるものです。
たとえば、シリコンバレーでは高価な服やスーツを着ずにジーンズとスニーカーで済ますのが常識で「私はステータスよりテックに関心がある」というシグナルを送っています。
スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグの服装が想像しやすいかもしれません。

ハーバード・ビジネス・スクール教授フランチェスカ・ジーノのある実験で、ミラノの高級ブランド店で働く店員たちに、買い物客二人の格付けをしてもらいました。
一人はジム用のトレーニングウェアを来た客で、もう一人はドレスに毛皮のコートを羽織った客です。

実験の結果、店員は一般の人よりもはるかに高い確率で、ジムウェアの客の方が多くの金を落とし、店の最も高い商品を買うことができると予想しました。
つまり、店員は経験上お金持ちはあえて安っぽい恰好をして”カウンターシグナリング”をすることが多いと考えています。

また、このカウンターシグナリングが意味を持つのは、権威への挑戦や自信を示すために意図的に規範に背く場合だけです。
ある研究では、一流大学ではひげを綺麗に剃った身なりの良い教授よりも、Tシャツ姿でヒゲを生やした教授の方が学生の尊敬を集めます。
逆に、大学が一流でない場合にはその反対の現象が起こります。


でもなんで、「私は他人と違う!」とアピールをしたくなるのか?


それは、私たちの所有欲と競争心に関係があります。

人間はそもそも競争を好むと言われています。
たとえば、「他者と競い合っているときの方が走るタイムが速くなる」なんてことを聞いたことがありませんか?
一人で50メートル走るよりも、似たような足の速さの人と走る方がタイムが縮まるというわけです。

1897年、心理学者ノーマン・トリプレットは自転車競技選手が他者と競っているときの方が、選手のタイムが縮まることに気づきある実験をしました。

それは、子どもたちに釣り竿のリールを巻くゲームをしてもらい、被験者が単独の場合ともう一人別の子と競わせた場合に、速さがどう異なるのかを測定するといったものです。

その結果、競争相手がいるときの方が、子どもがリールを巻く速度は速くなりました。
トリプレットはこれを「競争本能」と名付けています。
また、この行動は動物界全般で見られる基本的な行動だと言います。
人は無意識に他人と比べて良し悪しを争う本能が備わっていると考えたほうが良いかもしれません。

イギリスの成人5000人を対象にした研究では、業務内容の同じ同僚が自分より稼いでいると考えた人は、年収の多寡にかかわりなく、自分の収入により大きな不満を抱いていることがわかっています。

このような問題は兄弟間にも起こるそうです。
ある研究によると、たとえば自分の夫の年収が姉の夫より少ない場合、世帯収入を姉の世帯より上げるために、妹の就業率が高くなるといった結果が出ています。

私たちは基本的に社会的成功を他者との比較で評価しています。
これはオリンピックのメダル獲得に対する情動反応の分析がわかりやすいかもしれません。

その研究では、銀メダリストは失望感を味わう場合があることが分析によってわかっています。
素人からすれば「世界で2番目の成績を収め、表彰台に立っているのに」と思ってしまいますが、銀メダリストが満足できないのは、自分を勝者である金メダリストと比べているためです。
確かに、あと一歩で手が届くといった状況なら悔しさが増すのかもしれません。

では、銅メダリストも同じなのか?

実は、銅メダリストはメダルを獲得できなかった競技者全員と自分を比べて、良い結果を残せたと考え、満足します。

「ギリギリだったけど、表彰台に立てた」といった心境かもしれませんね。

このように、私たちは立ち位置によって上の人と比べたり、下の人と比べたりします。
つまり、結局は自分の成果や業績の見定め方も、相対的なものだということです。

そして、私たちは比べることで「ステータスシンボル」に弱くなると考えられています。
ブリストル大学心理科学部発達心理学教授のブルース・フッドによれば、それは、承認されたいという欲求があるからだと言います。

人間は依存する生き物になったことで、孤立への脆弱性が生じ、孤立すると精神の健やかさだけでなく身体の健康も損なうようになりました。
孤独を回避するためにシグナルを発信し、他者に評価され価値を認めてもらわなければならないということです。
社会的孤立は、早期死亡の可能性を30%も増加させると言います。
つまり、この承認欲求は自衛の手段でもあります。

確かに私も記事を載せたのに反応がない、”スキ”もつかないといった状況が続けば吐きそうになります。
なので、スキやnoteのフォロー、Twitterのいいねやフォローをしてもらえると私の防御力が上がります。

そしてここが重要なのですが、私たちは比較をする相手を自分で選んでいます。
たとえば、あなたは自分の稼ぎとビル・ゲイツの稼ぎをを比べたりしますか?
超大金持ちと言われる人たちと比べることなんてありませんよね。
逆に、スラムや貧民街で極貧にあえぐ人たちと自分を比べることもありません。

どちらかと言えば、身近な関係の深い隣人や同僚が比較対象になり、その人たちと比べることで自己を評価しています。

私の場合だと個人で記事を載せている人を見て「この人、こんなに『いいね』や『スキ』を集めてる。いいなあ、、、。」と考えてしまうわけです。

でも本当は、たった一人でもいいから記事の内容が刺されば、誰かを少しだけ前向きにできるかもしれません。
それができれば決して私の努力も無駄にはならないのですが、当事者になると途端にそれがわからなくなります。

研究者たちも「自他の差異を正確に把握できないがために、いつも銀メダルの表彰台に立つことになる」と言っています。

【所有とアイデンティティ】

この「所有」とはそもそも何なのか?
と考えたことがありますか?
まあ、普通は考えませんよね。
「所有」の意味は辞書で調べると”自分のものとしてもつこと”とあります。
そのまんまです。

今、あなたの周りをざっと見渡してもいろんなものが目に入るはずです。
たとえば、この記事をスマホで見ていればそのスマホはあなたのものでしょう。
また、家の中では家族で共有している物や子どもたちの物もあるはずです。
そしてそれは物だけでなく価値観や情報、アイデンティティなども個人が所有権を有するかのように見えます。

ただ、所有とは時代や文明によって多種多様に様相を変える習慣の一種であるという意見があります。
簡単に言えば、生きた時代や住んでいる場所によってコロコロ変わるものだということです。

イギリスの道徳哲学者ジェレミー・ベンサムは「所有を成り立たせている関係を、イメージや絵画、目に見える特徴として表現することはできない。所有は実体のあるものではなく、形而上学的なものなのだ。頭の中にある概念に過ぎないのである。」と言っています。

ちょっと難しく感じますが、私たちが「これは自分のものだ!」と思っている「物」は実在していますよね。
しかし、それを「自分のものだ」と考えているのは私たちの思考で、頭の中にあるものに過ぎないということです。

ただ、この概念は非常に強力で私たちの生活と密接に関わり、ルールや法律といった形で社会を形作っています。
ルールや法律がなければ誰かに奪われてしまいます。
そうです、バイクに乗ったモヒカンが迫ってきます!

ただし、私たちの気持ちと法的な所有は必ずしも一致しないこともわかっています。

たとえば、心理的所有に関する研究でこんなものがあります。
採石場で働くトラック運転手たちは自分達の運転するダンプを最初、自分の車とは感じていませんでした。
そのため車はろくに整備もされていなかったそうです。

しかし、各運転手にいつも決まったダンプトラックを配備するという方針を導入したところ、運転手たちは次第に「おれの」トラックと言い始めたそうです。
確かに、同じモノをいつも使っていると愛着も湧きますよね。

運転手たちは、車内を掃除したり、機械整備にも気を配るようになったと言います。
そしてダンプに名前を付けたり、自腹をきって塗装を一部変えたりといった事をしたそうです。

こういうのってちょっとわかる気がします。
会社でも、いつも同じ机で仕事をすれば似たようなことが起きます。
いつの間にか私物が増え、あれこれカスタマイズされていきます。

さて、こういう気持ちはわかりますが、これが誰のものかを忘れてはいけません。
そうです、法的な所有者は会社ですよね。
でもいつの間にか自分の物のように扱ってしまいます。
このような気持ちが心理的所有感です。

もっと言えば、レンタカーに愛着は持てませんが、カーリースで借りている車であればより大切に扱います。
でも、カーリースも厳密に言えば借りものですよね。


さて、先ほど物に愛着が湧くと言いましたが、「所有物」と「自己」には深い関係があります。

あなたは物神崇拝という言葉を聞いたことがありますか?

これはただの石にすぎないような物に呪力や神的力を感じ、それを拝んだり祀ったり、それに異常な関心を抱くことを一般にいいます。
またフェティシズムとも呼ばれます。

これは、パワーストーンが想像しやすいかもしれません。
自分の誕生石があったり、「○○に効果あります!」といった石がありますよね。
これって人間が勝手にそう決めているに過ぎません。
実際、過去に誕生石の変更なんてことも起こっています。

ただ、だからといってバカにすることもできません。
呪術的思考の分野では「ポジティブな伝染」と言われるものがあります。
これは、触れることでポジティブな特性が自分に移行すると信じ、そのことで現実世界での結果を左右する場合を言ったりします。

こんな実験があります。
2003年の全英オープンの覇者であるアメリカ人プロゴルファー、ベン・カーティスの所持品だと聞かされたパターでパットをした成人の被験者は、何も聞かされなかった被験者に比べ、優れた成績を収め、パットが正確になっただけでなく、ホールカップのサイズが実際よりも大きく見え、自信をもって狙いを定めることができたと言います。

つまり、被験者にとって「幸運のお守り」のような効果を発揮したわけです。

ほかの研究でも”お守りが心理的な後押しをしてくれる”という結果はあるので、「これを持っていれば絶対大丈夫!」と本気で信じることができるのなら効果はあると思います。

もっと言えば、同じ物でも「先祖代々受け継がれたもの」とそうでないものではその一族にとって重みが違いますよね。
ましてや、「そのお守りは代々当主の命を守ってきた!」なんて伝承が残っていたら、当主にとってそのお守りはやはり「幸運のお守り」になり、これを持っていれば大丈夫といった心理的な安心感が増します。

逆に物に触れることで悪い影響がある場合もあります。
実は、金銭に触れるだけでも私たちの思考や行動は変化します。

行動経済学者キャスリーン・ヴォ―スによれば、現金を手にすると子どもも大人も向社会的ではなくなり、相互の関わり合いが減り、より利己的になると言います。
(誤解のないように言っておくと、お金自体に良し悪しがあるわけではありません。)

結局、何が言いたかったのかと言えば、私たちは物理的な接触で心理状態が変わるということです。
これは良いことも悪いことも一緒です。

【文化の違いと所有】

人間を個人主義的かそれとも集団主義的かという分け方はあまりにも大雑把すぎますが、それに加え垂直的か水平的かという切り口から文化を捉えることが重要だといいます。

シャロン・シャヴィットというマーケティングの専門家によれば、たとえば、アメリカ、イギリス、フランスなどが該当する垂直的な個人主義文化では、人々は競争、成果、権力などを通して他から抜きん出ようとします。
また「勝つことがすべてだ」、「他の人より優れた仕事をすることが重要だ」といった意見を指示する傾向があります。

一方、水平的な個人主義文化ではスウェーデン、ノルウェー、オーストラリアなどが該当し、自分を他者と対等な立場にある自立した存在と認めていて、「他人よりは自分自身を頼みにしたい」「他者から独立した私個人のアイデンティティが、私にとっては非常に重要だ」といった意見を指示する割合が高いそうです。

また、日本、インド、韓国などが該当する垂直的な集団主義文化では、人々は個人的な目標達成を犠牲にしてでも権威に従おうとし、排他的な内集団の団結とステータス向上に力を傾注すると言われています。

「自分の望みを諦めてでも、家族の面倒を見ることが私の義務だ」とか「所属する集団が決めたことを尊重するのが、私にとっては重要だ」といった発言を行ないやすいとされています。

その昔、歳をとった両親を施設に預けたり、介護ヘルパーに介護を頼むことを毛嫌いする人もいました。
その背景にはやはり、「自分の親は自分で見るべきだ!」といった意識が強かったのかもしれません。
これは親と子、会社と社員、上司と部下といった「縦」のつながりが重要だと考えていたためではないでしょうか。

一方、ブラジルをはじめとする南米諸国は水平的な集団主義文化で、社交性や一応の平等を実現する平等主義的な取り決めが特徴的だとされます。
「ほかの人と一緒に過ごす時間が楽しみだ」、「同僚の幸せは私にとって重要だ」といった意見が支持されます。

基本的に垂直的構造を持つ文化では、自己観が個人主義的か集団主義的かにかかわらず、見せびらかしの消費によって社会的地位を上げようとします。
簡単に言えば、自分の持っている物を自慢して「お前らとは違うんだぞ」とアピールしているわけです。

逆に、水平的構造を持つ文化ではそのようなことをする人に嫌悪感を抱きます。
慎ましさを奨励し、成功者批判を行なう傾向があると言われています。

これがどう「所有」という概念に絡んでくるのか?と疑問に思うかもしれません。
しかし、マーケターの人たちはこういった文化の違いを踏まえて広告を出します。

たとえば、デンマークでは個人のアイデンティティや自己表現に訴えかける広告がたくさんありますが、同じ個人主義社会でも垂直的構造をもつアメリカでは、ステータスや名声を強調した広告が流される傾向があります。

私たちはこうやって自己観と文化を結び付けられ、購買意欲をかき立てられているわけですね。

今度、あなたの周りにある広告やCMを見て「これはどっちかな?」と考えてみるのも面白いかもしれません。
またその時、あなたが「どんなキャッチフレーズに惹かれるのか?」と考えてみると、個人主義よりなのか、はたまた集団主義よりなのかわかるかもしれせんね。


【物が捨てられない”ためこみ症”】

日本でもたまにニュースになりますが、物が捨てられず隣の家まで物が入り込んだり、悪臭がするといった問題が起こっています。
そしてこれは日本だけでなく、アメリカやイギリスでも同様の問題が発生しています。

「ため込み症」とは病的な収集を行う障害を指します。
基本的にため込み症は加齢とともに悪化し、五年経つごとにため込む所有物が20%増加していくと言います。
大量のゴミのせいで健康を害し、ため込んだものが崩落してその下敷きになって亡くなる例もあるそうです。

ここで混同して欲しくないのですが、ため込み症と特定のアイテムを集めるコレクターは違います。
コレクターはそれこそ自分が興味を惹かれたものしか集めませんが、ため込み症の場合、ほぼあらゆるものを見境なく集めます。
そして、あまりにも多くのものを集めた結果、日常生活が送れなくなるほど家を圧迫します。

そしてこのため込み症ですが、遺伝的要素もあるそうです。
発症に関しては不安障害、うつ病、人生におけるネガティブ出来事、混乱した幼少期、衝動の抑制や思考の制御に関連した認知機能障害が挙げられています。

ため込む理由としてよく聞かれるのは、「いつか使うかもしれない」とか「これには利用価値がある」、「これは私の一部だ!」といった事を主張してため込み行為を正当化しようとします。
どのケースでも本人にとって、ため込み行為は癒しや親しみの感覚を与えてくれるようです。
しかし、研究者たちは「これは失うことへの恐怖である」と考えています。

以前はため込み症は脅迫性障害のサブタイプだと考えられていました。
しかし、現在では独立した精神障害だと見なされています。

その違いを確かめるために、ため込み症の患者とそれ以外の脅迫性障害の患者の目の前で自分宛ての郵便物(ダイレクトメールや新聞)、または他人宛ての郵便物をシュレッダーかけ、脳をスキャンするという実験をしています。

その結果、自分宛ての郵便物をシュレッダーにかけるか手元に残すかを決めなければならない時、ため込み症の患者は脅迫性障害の患者に比べ、より大きな不安、逡巡、悲しみ、後悔を感じました。
また、ため込み症の重症度と患者が所有する「所有物を捨てる」と考えたときに味わった自己申告による不快感の度合いは、脳活動の程度と相関しています。

つまり、ため込み症の患者は重症度が上がれば上がるほど、持ち物を失うと考えただけで、大きな悲しみや不安を感じ実際に気分が悪くなったりします。
なので、いくら「これはゴミだから捨てなさい!」と言われても捨てられないのかもしれません。
他人にはゴミでも患者にとって自己と深く関わっている物になります。
それをを捨てるということは自分が自分で無くなる感覚なのかもしれませんね。

ここで、なかなか物が捨てられず「もしかして、私もため込み症かも?」と不安になる人もいるかもしれませんが、大半の人は自己の延長であるモノであっても容易にアップグレードし、差し替え、更新、廃棄すると言います。
コレクターの所でも触れましたが、ため込む人は見境なくため込みます。

たとえば、机の上にあなたが昨日買ったペットボトルのコーヒーが置いてあり、中身が少し残っていたとします。
それを見て「このコーヒーはまだ飲む機会があるかもしれない。取っておこう」と言って1週間も2週間もそのままにはしませんよね?
多くの人は「全部は飲まなかったけど捨ててしまおう」と考えます。
ため込む人はそういった判断すらないのかもしれません。



最後に、

さて、長々と書きましたが、「物」や「所有」というキーワードだけでもいろんなものが関わっていることがわかります。
脳の働き、文化による違い、障害、アイデンティティなど様々です。
そして、すでに私たちの「幸せ」の定義の中にも所有するという概念は深く刻まれています。

本当はそんなに欲しくなかった物でも、人と比べることで違いをアピールしたくなり、買ってしまうということが起こります。
(今回は触れませんでしたが、自分と他人を比べることで、それが励みになって向上心が生じるというケースもあります)

最近では「物よりも経験にお金をかけた方が幸せになれる」とも言われています。
じゃあ、幸福になりたいがためにひたすら経験にお金をかければ良いのか?と考えるとこれは極端ですよね。

そもそも、個人的な価値観の違いでも「何が幸せか」という問題は変わってきます。
内向型の人が「経験が大事だ」と言ってパーティーに繰り出したところで楽しめるわけではありません。
それよりは本を買って静かに読めればそれが幸せにつながることもあります。

0か100という考え方で物事を捉え、それを人生には当てはめてもロクな事にはなりません。
人と比べることなく自分のペースで人生を謳歌してください。

今回はここまで。

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励みになりますのでスキやフォローも
お願い致します。


それではまた次回お会いしましょう。


※この記事は読んだ本をもとに考察し、私の経験したことなども踏まえて書いています。
そのため、参考にした本とは結論が異なる場合があります。
あくまで、一つの意見として見るようにお願い致します。
※書いてある文章は予告なく変更する場合があります。ご了承ください。

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