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ブラック企業でがむしゃらに働いて、28歳で起業すると決めた|代表の話

Co-Satenという場を活かし、市原で自分のやりたいことを追求する“カッコいい大人”たちと一緒に、「だれもが自分らしく、楽しく生きていくための学び」の機会づくりに挑戦していこうと決めたわたしたち。

そこで、実際どんな大人たちがCo-Satenの周りにいるのか?というのをせっかくなので、ちょこちょこ紹介していこうと思います!

最初に登場してもらうのは、Co-Satenを運営するオープンロード合同会社代表の小川起生(おがわ・たつお、以下、起生さん)さん。いわゆる「経営者」の立場にあり、2歳の娘のパパでもある起生さんですが、これまでどんなキャリアを歩んできたのか?ぶっちゃけ「はたらく」ってどうなの?これからやりたいことってある?といった質問に、赤裸々に答えてもらいました。

今回は、そのインタビューの模様を前編・中編・後編の3回に分けてお届けします。

自分の人生を振り返りながら、人生グラフを書いてもらうところからインタビュースタート!

仕事の遍歴 PART①

6時に出社。終電で帰宅。

ー早速ですが、自分の収入で生活をはじめたのはいつですか?
21歳のとき。専門学校から、人材派遣の会社に入ったのが始めだったな。

ー就活したんですか?
いや、就活というか、バカだったからどこで求人を探せばいいのかもわかってなくて、タウンワークで「月収30万円」というのを見かけて、それだ!って(笑)

面接で「君は目がいいね〜」と褒められたけど、たぶん元気の良いヤツはどんどん採ってたんじゃないかな。業績が伸びているときだったから(笑)

ー仕事を始めてから、人生グラフは下がっていますね。
成長率でいえば、仕事を始めた頃は間違いなくガッと伸びてるよ。ただ、学生時代はとにかく楽しかったからね。「遊びたい」という動機で高校を選んだけど、電車とバスで通学する体験が楽しかったし、進学校ではもちろんないから周りも遊びに対するモチベーションが高かったから(笑)

高校時代の友人との一枚。どこに起生さんがいるのかわからないギャップぶりにびっくり。
当時は日サロ×長髪が流行りで、週5日くらい日サロに通っていたんだとか!

当時、入社した会社は上場したばかりでイケイケだったから、27歳くらいの若い世代も支店長とか、役員をどんどん任されているようなとき。だから、いわゆるブラック企業で(笑)6時に出社して、終電でギリギリ帰るような生活だった。

僕は、バリバリ営業をしていて、入社初日にバーって何十軒と工場が並んでいるところで車を降ろされて名刺を渡されて、「はい、営業行ってきて」って。自社のパンフレットも持っていないし、何もわからない状態(笑)

本当にただただ、何もわからないけど名刺交換をして、人とコミュニケーション取ることをしろって言われたの。そうやって培った、人のニーズを聞き出しながらコミュニケーションを取る力が今にも確実に生きているから、成長は確実にした。ただ、めっちゃキツかったけどね(笑)


現状を改善しようとしないなんてクソ。
そう思いながら、変化を生めないじぶんに凹む日々。

ー起生さん、人と話すのめちゃくちゃ上手いですもんね。そのあとは、転職してますよね?
派遣法の改正があったことで、会社が早期退職者を募るようになったんだよね。まだ26だったから、退職金はたいした額じゃなかったんだけど、早期退職者は150万円出るっていう話に、即手を挙げて退職した(笑)

そのあとは、ゴルフをしたりしばらく遊んでたんだけど、親父に「いいかげんに就職すれば?」と言われて。それもそうだなと思ったから、親父の紹介でビルやマンションの管理をしていた鹿島建物に入ったんだよね。

ただ、最初の仕事がブラック過ぎたから、転職先の会社がぬるすぎて。最初の3ヶ月くらい「資格の勉強とかしていいよ」と言われて、本当に掃除とか、設備士みたいな人にくっついて現場を見に行ったり、勉強しかしなくて。まあ、ほとんど勉強はしてなかったけど(笑)

ーハハハ(笑)

お客さんとしゃべってなんぼで生きてたから、設備とかどうでもよくて。設備を修繕する仕事をとって、利益を上げることのほうが大事だと思ったから、その提案書をめっちゃつくったりしてたわけ。

なんだけど、鹿島ってほんとうに大手組織だから、「お前がちょっと利益上げたくらいどうでもいい。むしろ、荒波立てんな。」という感じで。でも自分としては、現状を改善しようとしない従業員なんてクソだと思ってた(笑)

それで、「今までの先輩が積み上げてきたものを、僕らが改善してクライアントに提案するのが仕事じゃないんですか?」って喧嘩するくらい、若かりし僕は言い放ったんだけど。でも自分が何か変えられるわけじゃないし、それですっごい凹んで、この会社は自分には合わないなと。

でもそんなふうに凹んでいたとき、知り合いだった社長が「その牙は絶対に残しとけよ。そのまま組織に行ったら、お前が嫌だと思っている所長のポジションにお前が行くから、牙は研いでおけ。」とよく言ってくれて。そこで起業するって、決めたんだよね。

ーなるほど、そういう経緯があったんですね。


親の反対を振り切って起業

それで、会社に入ってから3年目だったかな。起業するのは、最初に親父に伝えた。でもそうしたら、親父の紹介で会社に入ってるから、めちゃめちゃ怒られて。話し合いの末に、あと2年働いて、やっぱりダメだと思ったら会社を辞めるというところで収まった。

でも、そこで働き続けられないことは自分ではわかっていたから、辞める1年前の29歳のときに起業して、営業してたね。

起業当初のたつおさん

ー反骨精神が強い...!起業してみて、どうでしたか?
起業してからは、楽しかった。金がないときもあったし、売上も全然上がらなくて借金しかないこともあったけど、何かを自分でやるということが楽しくてしょうがない。

そんなときも経営者と飲みに行って、「こんなことしたい」っていう未来の話をして、「いいじゃん、いいじゃん」と言ってもらって。だから、お笑い芸人の売れてない時みたいだよね(笑)

自分でやるしかないから、成長もするし、学ぶ。だから今も、楽しく続けてるよ。本当に。

(中編へ続く)

文・写真:Mizuno Atsumi

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