yuki okumura

コンセプチュアル・アーティストたちが書いた文章の試訳 – 概念の芸術から構想の芸術へ …

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コンセプチュアル・アーティストたちが書いた文章の試訳 – 概念の芸術から構想の芸術へ             Experimental translations of texts by conceptual artists: from concept to conception

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[試訳] 河原温による最初期の電報, 1969

ジサツヲハカル ツモリハナイ キヲモムナ オン カワラ ジサツヲハカル ツモリハナイ キヲモメ オン カワラ ネムリニツク ツモリデアル キニスルナ オン カワラ - 原文:河原温よりミシェル・クラウラに届けられた1969年12月5日と8日と11日付の3通の電報の文面 初出:『18 PARIS IV.70』(パリ/1970年4月) 和訳:奥村雄樹 図版:On Kawara, ‘I AM NOT GOING TO COMMIT SUICIDE DONT WORRY’,

    • [試訳] ソル・ルウィット 「構想芸術についての諸文」 1969

      1. 構想芸術家たちは合理主義者ではなくむしろ神秘主義者である。彼らは論理では行き着くことのできない結末へと飛躍する。 2. 合理的な判断は合理的な判断を反復する。 3. 非合理的な判断は新しい経験を導く。 4. 形態的な芸術は本質的に合理的である。 5. 非合理的な思考は絶対的かつ論理的に追従されなければならない。 6. もしも芸術家が作品の制作を実行している途中に気を変えるなら、それは結果を見越した妥協であり、過去の結果が反復されることになる。 7. 芸術家が先導する一連

      • [試訳] ダグラス・ヒューブラー 1969

        世界は物体で満ちている。どれも多かれ少なかれ興味深いものである。私はそこに何かを追加してみたいとは思わない。 私にとってそれよりも好ましいのは、ただ物事の存在について、時間的および/もしくは空間的な観点から言明することである。 さらに特定するなら、私の作品が念慮を向けるのは、直接的な知覚経験の彼方で相互的な関係を結んでいる諸々の物事である。 私の仕事は直接的な知覚経験の彼方にあるため、その認知のあり方は記録の体系に左右される。 記録は写真の、地図の、線描の、そして言語による記

        • [試訳] ハンネ・ダルボーフェン 「ルーシー・リパードへの言明」 1968

          私は何らかの物事に横槍を入れることで何らかの物事を築き上げる(脱構造化—構造化—構築)。  そのためには体系が必須となる。そうでなければ他にいかにして私はより集中して目を見開き、関心を抱き、続きを進められるだろうか? 沈思は行動で遮断されなければならない。そのとき行動は、あらゆる物事からいかなる物事でも受け入れるための手法である。受け入れ皆無=混沌。私は私の仕事を通じて、動こうと試みる。多かれ少なかれ知られている限界とまったく知られていない限界の狭間でなるべく大きな隔たりで拡

        [試訳] 河原温による最初期の電報, 1969

          [試訳] ローレンス・ウィーナー 「言明」 1968

          言明 ローレンス・ウェイナー 1968 いくつかの特定的な言明は それらを所有する人々の厚意により 許可を得てここに再掲されている 一般的な言明 仕掛けられたとおりに生起した複 数のTNT火薬の同時爆発によって皿状に窪んだ野原 地面 から除去された一定量の土の一塊 標準的な処理が施さ れた一種類の素材のその孔への貫入 床あるいは壁に しっかりと固定された合板が一枚 国境を跨ぐように設置 されて放置されたあと一方の国 の一部をもう一方の国へ侵入さ せるために向きを

          [試訳] ローレンス・ウィーナー 「言明」 1968

          [試訳] ローレンス・ウィーナー 「意向の申告」 1968

          1.芸術家自身が本品を構築しても差し支えない 2.本品が造構されても差し支えない 3.本品が築造されずとも差し支えない どれも等価であり芸術家の意向に沿っている 条件に関する決定は受任の折に受任者に委ねられる L.W. - 原文:Lawrence Weiner - Declaration of Intent, 1968 初出:January 5 — 31, 1969, published by Seth Siegelaub 和訳:奥村雄樹 図版:Lawrence W

          [試訳] ローレンス・ウィーナー 「意向の申告」 1968

          [試訳] エイドリアン・パイパー 「芸術における 「構想的」 な過程の擁護」 1967

          芸術家の仕事について、あるいは芸術家が彼の仕事に対して示す態度について、「自身から引き離した」あるいは「客観的な」という言葉を使うことの危なっかしさ(遅まきながら!)を私は強く自覚している。こうした用語の使用は、芸術家が不遜にも彼自身の仕事に深く関わっていないという事態を示唆すると思われてしまうため、私はしばしばそれに対する人々の抗議を突き崩そうとしてきた。私にとってそれらの単語はまったく異なる意味を持つ。真逆の意味である——客観的であろうと試みることで、そのように試みないと

          [試訳] エイドリアン・パイパー 「芸術における 「構想的」 な過程の擁護」 1967

          【試訳】 テリー・アトキンソン 「先の記事 『芸術の脱物質化』 に関して」 1968

          [・・・] 「脱物質化」という語の使用について、いくつかの問いを投げかけたい。精確には、視覚芸術という帯域で必須の条件と看做されてきた指針(すなわち「目を向ける」対象物の存在)が瓦解していく過程を記述し、それを的確に位置づけるにあたって、それが正しい用語なのかという点についてである。あなた方の記事では一種の古生物学的な参照の枠組みに強い力点が置かれているように見受けられる。それが準拠するところの与件は、諸々の芸術制作の手順に関するシリンガーの進化論的で分類的な年代記から取られ

          【試訳】 テリー・アトキンソン 「先の記事 『芸術の脱物質化』 に関して」 1968

          [試訳] BMT (ビュレン, モセット,トローニ) による 「表明運動 5」 に際しての言明, 1967

          私たちは今日、私たちがこれまで展開してきた活動の論理に導かれ、次のように述べるに至った。ビュレンの絵をビュレン、モセットの絵をモセット、トローニの絵をトローニと呼ぶことは言語の乱用に他ならない。 ビュレンは1点のビュレン、1点のモセット、1点のトローニを発表するが、これら3枚の画布はどれもビュレンによって絵具を塗られたものである。 モセットは1点のモセット、1点のビュレン、1点のトローニを発表するが、これら3枚の画布はどれもモセットによって絵具を塗られたものである。 トローニ

          [試訳] BMT (ビュレン, モセット,トローニ) による 「表明運動 5」 に際しての言明, 1967

          [試訳] ジョン・レイサム 「芸術と文化」 1967

          1960年代の初頭にアメリカで出版された「芸術と文化」と呼ばれる一冊の書物——クレメント・グリーンバーグが執筆した論文を集めたもの——はセント・マーティンス美術学校の図書館にまで進出を果たしていた。1966年8月、その学生たちを丸め込む説得力と挑発的な題名を重んじるばかりに、同書はジョン・レイサムの名において借り出された。そして、当時は「学生」という役回りだった彫刻家のバリー・フラナガンと共に、レイサムの自宅でひとつの催事が組織された。「静寂と咀嚼」と呼ばれたこの催事には、多

          [試訳] ジョン・レイサム 「芸術と文化」 1967

          [試訳] ソル・ルウィット 「構想芸術についての諸段落」 1967

          編集者が私に書いてきたところによれば、「芸術家はある種の類人猿であり、文明化された批評家による説明が必須であるという見解」は退けられることが好ましいと彼は考えている。これは芸術家と類人猿の両者にとって良い報せに違いない。私はこのことを言質として、彼の信頼を正当化したいと望んでいる。野球の比喩を使うなら(ある芸術家は白球を球場の外に飛ばしたいと欲し、ある芸術家は投げられた白球を叩くことだけを考えながら本塁でゆったりと待ち構える)、私は自分のために思いっきり振り抜く機会を得たこと

          [試訳] ソル・ルウィット 「構想芸術についての諸段落」 1967

          [試訳] メル・ボックナー 「順次芸術, 体系, 独我主義」 1967

          Mel Bochner – Serial Art, Systems, Solipsism 「事物それ自体へと向かうのだ。」——フッサール 「どんな物体も決して他の物体の存在を示唆しない。」——ヒューム 「どんな事物もそれについて成り立つ言表の総覧から見出されるもの以上の何かではない。」——A. J. エイヤー もしもすべての事物が等価で、別個で、無関係であると万全に想定できるなら、私たちには次のことを受け入れる義務が課される。すなわち、それら(諸事物)を名付けることや

          [試訳] メル・ボックナー 「順次芸術, 体系, 独我主義」 1967

          [試訳] BMPT (ビュレン, モセット, パルマンティエ, トローニ) による 「表明運動 1」 のための招待状とビラ, 1966

          Invitation letter dated December 26, 1966 to the first 'Manifestation' by BMPT (Daniel Buren, Olivier Mosset, Michel Parmentier, Niele Toroni) at the City of Paris Museum of Modern Art, January 3, 1967 + leaflet sent with it and distributed

          [試訳] BMPT (ビュレン, モセット, パルマンティエ, トローニ) による 「表明運動 1」 のための招待状とビラ, 1966

          [試訳] ソル・ルウィット 「順次的企体 #1」 1966

          順次的な構成体は規則的に変化する複数の部分によって成立する作品である。各部分の差異こそがその構成体の主題となる。特定の部分が不変であるとき、それは変化を際立たせるためである。ひとつの仕事の全体には下位区分が含まれる。それぞれの下位区分は自立したものとして考えられるが、それが全体を成立させている。自立した部分とは単位、列、集合、あるいはひとつの完結した思考として読み取れるところのあらゆる論理的な区分である。観者はその順次体を直線的に、あるいは物語展開を追うように読むだろう(12

          [試訳] ソル・ルウィット 「順次的企体 #1」 1966