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運命を信じた忘れられない恋、過去の未練がましい自分を振り切れた話

私には忘れられない人がいる。
誰しも、いるのだろうか。
忘れる必要なんてないのだけど、正しくは『まだ引きずってる恋がある』だ。あった、と言った方が正しいのかもしれない。

少しずつではあるが、私はその恋とお別れしつつある。本当に長い道のりだった。
今回は初めて恋愛系について書くことになるけれど、本気で恋したことと、乗り越えるために経験した少し不思議な話を書きたい。

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出会ったのは、もう4年も前のことだ。自慢じゃないけれど、つまり私はほとんど4年間も引きずってることになる。

一部の人にはメンヘラ扱いされるのだろうか。良く言えば、すごく一途、単に情が深いのもあるのかもしれない。

私の友達の1人に、次から次へと彼氏ができる女の子がいる。途切れないのだ。別れたと思ったら、別の人ともう付き合っている。
すぐ次が現れるのもすごいのだけど、それよりも『すぐ次に切り替えられる』ことがすごいと思ってた。
それって、私にとっては難題だ。
その子は自分で、『全然人に対して情がないんだよね』と言ってた。なるほどなと思った。きっとそこの違いなんだろう。
一見冷たいようだけど、正直羨ましい。
情がないと言っても、付き合う度に彼女は本気だ。でも次の人が見つかれば後腐れなく切り替えることができるんだろう。それでまた幸せになれるんだろう。本当に羨ましい。
そのおかげで私より何十倍もおいしい思いができるのだ。

私はと言えば、何年間も燻った思いを抱えていただけ。もちろん、抜け出そうとそれなりにしてきたつもりなのだけど。
私は一度好きになったら、その思いを簡単には手放せない。

もちろん、相手にもよると思う。あれ、後になってみれば勘違いだったな、本気で好きなわけじゃなかったな、なんてこともある。
でも本当に心から好きになった相手であれば、簡単に気持ちを手放すことはできない。


(今回はちょい長くなるので目次を作ってみました)

「恋は落ちるものだ」ってよく言うけれど、本当に私は恋をしたんじゃなく、落ちた


私は男友達が多くない。長年苦手意識も強かった。出会いも場数も圧倒的に足りなかったと思う。

単純に外見もタイプだったんだろう。そんなの緊張してうまく話せなさそうだけど、彼は私にとって今までで一番波長が合う男の人だった。
毒性のあるものじゃなくて、例えるなら美味しい空気みたいだった。

彼の目線や声は私を落ち着かせた。それだけで気持ちが溶けていくようだった。
話しやすくて、ノリがぴったりで、どちらか冗談を言えば相乗効果で笑いが起きた。楽しかった。何より、大好きだった。

そして相手も好意を抱いてくれてることも知っていた。

私にとっては『運命』という言葉がぴったりの出会いだった。
彼は私にとって、一筋の光だった。 

この気持ちは何よりも美しくてなんだか尊いもので、手放したくなかった。

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一見上手くいきそうな話だけど、それは違った。
私は、手を尽くした。常識の範囲内で。

だめだとわかっていながら、黙っていると苦しくて苦しくて、気持ちを伝えたりもした。
それでも、上手くいくはずはないことはわかっていた。


彼は既婚者だったのだから。新婚だった。

隠されていたわけじゃない。何なら最初から知っていることだった。
声を大にして言えることではない。
一般的に批判されることとはわかっているから。
全く、ドラマみたいな不倫ごっこをしたかったわけじゃない。

好きになったのがいけなかった、気が合ったのがいけなかった。
彼の人生を壊したくはなかったし、彼もいい加減な人じゃなかった。そして離婚なんて、めったなことではしないこともわかっていた。
それを覚悟で足を踏み入れるほど、私は強くない。

むしろ彼が、私に一寸の興味も無い人なら良かった。恋はきっと一方的には育たないから。
そんなのは初恋のような、半分妄想のような恋だ。

結婚さえしてなければ、何も障害は無かったのに。何度もそんなことを思った。
人にはそうそうわかってもらえる話ではないと思う。周りから見れば、奥さんが可哀想で私が問答無用で悪役なのだ。そんなことはわかってる。
傍から見たら、頭がおかしい勘違い女に見える気持ちもわかる。
友達に反対されたことも、当たり前だけど何度かあった。

それでも私にとっては、運命の意地悪にしか感じなかったのだ。

『恋はするものじゃない、落ちるものだ』
この言葉を初めて心の底から理解した。
私はもう恋に「落ちて」いた。
ああ落ちるってこういうことなんだ、と思った。

それが実る恋なら幸せだろう。
でもそうじゃない時の「落ちた恋」は、地獄とも言えるのかもしれない。
一度落ちたら、浮上するのは簡単にはできない。

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①こじらせた未練を振り切るためにしたこと

諦めようと思ってから今に至るまでの数年間、機会があれば他に目を向けようとも思っていた。
他の人に誘われたら遊びに行ってみたり、ご飯に行ってみたりもした。
でも彼ほど良いと思える人はいなくて、どれも上手くいかなかった。

そして私は幸か不幸か惚れっぽくなかった。

長い年月の中で、もちろん冷静な自分もいた。
「結局彼とは縁が無かったんだから」とか、「もし深入りしたら自分がもっと傷付いていた」とか、諦めるために自分に言い聞かせた言葉たち。

なんだかんだで、年に1回くらいで彼とは会う機会があった。定期的に会うような口約束をしてしまったこともあった。
でも、もう会うのはやめようと自分の中で決めてから既に1年近く経とうとしている。

今はもう幸せになって新しい人と出会おう、前を向こうと思ってるのに、ふとした時に感情を思い出して重くのしかかり、引きずられてしまう。

ずっと考えているわけじゃない。本当にふとした時だった。
幸せなカップルを見た時には、自分の中で怒りが沸いた。
私はそんな関係になることを許されなかったのに、易々とその幸せを掴んで!と憎しみにも近い感情だった。

私の中で、行き場のない悔しさや無念さがずっと心の中で燻っていた。
人の幸せを憎むなんて、こじらせていることはよくわかっていた。
そんな最低な人間にはなりたくないのに、勝手に湧き上がってきて抑えられない。

そんな状況から、早く脱したかった。過去の自分に引きずられたくなかった。

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私はこの前、自分の未練を消すべくある儀式を行った。
儀式と言っても、過去の自分の思い込みを外すための簡単な作業だ。

例えば、『私は彼と結ばれる運命だ』とか、『私は結局幸せになれない』とか、過去の自分が思い込んでいた気持ちを紙に書き出して、それに❌を付ける、それだけの作業。(紙は破ってもいい)

人に勧められて、それをやった。それらを否定することに、さすがにもう躊躇いは無かった。
少し前を向けたような気がした。

何日か経って、新しい出会いに目を向けようと思えた。そんなものは今日常的に無いのだけど。

日常で出会いがない若者にとって、マッチングアプリが今は主流になってきている。
本人確認や運営側の監視の目もあって、周りの友達でも使っている子が何人かいた。
なんだか夢がないけれど、現代版のお見合いだとも最近は思えてきた。
そして、合コンやお見合いパーティーよりもずっと効率的だ。
自分で事前に合いそうな人を選べるのだから。

アプリで会う抵抗感や、自分には合わないと思って敬遠したのだけれど、(もはや出会いの最終手段として)登録しようと思えて始めてみた。

何人かと連絡を取ったのだけど、それでも結局彼と比べてしまう自分がいた。
彼と似た顔、似た条件を基準にして気付いたら探している。馬鹿馬鹿しい。

そして、今してることがなんの意味もない事のように感じてきた。全く、無意味だ。彼に比べたら、くだらないしあんなに好きになれるわけがない。面倒だ、自分は何をやってるんだ、と。

そしてまた彼のことを思い出して、涙が出た。

なんでなんだろう。
もう、気持ちは手放したつもりなのに。これ以上、何をすればいいんだろうと、尽くす手無しで途方に暮れた。


②過去の自分をボコボコにして対話した、不思議な話。

朝、ベッドから起き上がれず思いを燻らせていた。

今の私は間違いなく前を向きたいと思っている。
引きずっているのは過去の自分だった。いつまでも引きずっているその自分に対して、怒りにも近い感情だった。

例えば子供の頃の自分の傷だったら、子供の自分に寄り添うことで気持ちが解消できるって言う。(心理学でインナーチャイルドって言われるやつですね)

でも相手は違う。
20歳の、子供とは呼べない年齢の自分だった。しかもほんの数年前、ついこの前の自分だ。よしよしなんてしたくない。できない。

もどかしくて、私は頭の中でその頃の自分をグーで殴った。ボコボコにするようなつもりで。
自分の今のもどかしさそのまんまに、てめえー!と飛びかかった。

「あんたいつまで引きずってるの?!私は前に行きたいのに、なんで邪魔すんのよ!いい加減立ち直りなさいよ!」と感情的に気持ちをぶつけた。

そしたら、その子は泣き出した。

なんて言っていたかは、もうあんまり覚えてない。説得しようと、何言か言葉を交わした。

今の私は、泣き出したの見て戸惑ってしまった。そして自然と、その子をなだめたくなって、そうした。よしよしと。

そしてその子は言う。
『だって、私がこの気持ちを手放したらもう一生彼に会えなくなる気がして...』
と言う。

私はそれを聞いて何も言えなくなってしまった。一生会えなくていいって言えばいいのに...思えない、会えないのは...どうしよう、でも...

そして目の前のその子が急に可哀想になった。

共感してしまって、戸惑ってると、その子は消えていった。スーーっと。
光のようになって消えた。

私の意図で消したわけじゃない。
完全なる私の想像で会話していたはずなのに、勝手に消えた。
こんなことは初めてだった。

少し不思議な体験だった。催眠状態みたいなものかもしれない。ベッドの中で、寝起きで、半分寝てるみたいな状態。

どうして急に消えたんだろう。
おそらく、私が当時の自分の気持ちを理解して受け止めたからなのかもしれない。
とにかく20歳の、彼をズルズル思っている私は、消えていったのだった。

そのせいだろうか、起き上がってから私はいつになく無気力だった。自分の一部が消えて、力が抜けたのかもしれない。
自粛期間、毎日洗濯やら何かしらしてるのに、もう何もしたくない気分だった。


やっと光が見えたと思った出来事


ご飯もまともに食べずにリビングでまた寝落ちして、何時間か寝てから起きた。 

起きてから、レンタルしていたディズニーアニメのDVDを見てると、虹の場面が出てきて何かを思い出した。

そう、私はたったさっき虹を夢の中で見た。

くっきり、とてもはっきりした色の虹だった。

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私はくだらない夢以外の、象徴的な夢を見た時は夢占いを調べることが多い。海を見たとか、普段しない何かをしてる夢とか。そんなのを見るのは本当にたまにだけれど。
信じるかは人によると思うけど、夢は心理を表している時もあれば、何かを予知している時もある。

(ちなみに彼と出会う前には、ダンスをしてる夢を見たんだけど、素敵な出会いがあります!の意味でした。それはそれで当たってました...)

夢占いで調べると、虹の夢は”抱えていた問題が解決する”とか、”幸福の訪れの暗示”などを意味する、大吉夢だった。

このタイミングでタイムリーにこんな夢を見て、私はついに吹っ切れたのだと少しずつ実感した。

それを証拠に、今度会うことになった人を、私は彼と比べたりなんかしてなかった。
その人自身を見ようとしていた。


失恋した女は強いなんて言うけれど


いつも長距離を歩くのが好きじゃない私は今日、雨の中をあてもなくぐんぐん歩いた。普段一人では歩かないような距離を。
なんだか自分の足でどこまでも行けそうな気がした。
まるで旅先に来た時のように、強気だった。

「失恋をした女は強い」とよく言うけれど、失恋を乗り越えた女だけが強いんだ。
そして私は今思える。やっと、本当の意味で乗り越えたのだと。
本当の意味で乗り越えるまでに、たくさんの年月がかかってしまった。

またぶり返してしまうんじゃないか?そんな不安もあるけど、20歳の私は正真正銘自分の前で消えたのだから。

私はもう、あの恋にすがらなくても生きていける。

もちろん次の出会いがすぐ上手くいくかなんてわからない。
それでも、私の止まってた時間がやっとまた動き出した。そして私が動かしていける。そんな気がする。

それだけで十分だった。

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