みーこ

“I insist “ 文章や絵など表現することが好き。 不登校からの10年間、うつ…

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“I insist “ 文章や絵など表現することが好き。 不登校からの10年間、うつ病について綴ります。 主張はしたいHSP / 自由が好き / 写真/ 昔からの夢は世界平和🌎

マガジン

  • 不登校だった私へ。10年後の私より

    届くべき人に届きますように、願いを込めて。そして過去の私へ。 私が「死にたい」から「生きたい」と思うまで

最近の記事

うつ病、回復期までの道のり。

11月にうつ病と診断され、はや3カ月。 うつ病には、 「急性期」と呼ばれる時期と、「回復期」と呼ばれる時期、 また「再発予防期」があるそうです。 急性期は診断から1~3カ月。これが1番辛い期間で、病状が不安定な時期だそう。 3カ月経つと徐々に安定してくるようですが、中には半年くらい要する場合もあるようです。 また、うつ病が治るまでに1年や3年、それ以上時間がかかる人もいると聞きます。正直、気が遠くなりそうだった。 そして、1月に入ってから気温がぐんと下がり、寒さがこた

    • 不登校だった時にしていたこと・して欲しかったこと

      いつの間にかもう10年くらい前のことになってしまうので曖昧な部分があるかもしれません。 でも、不登校の時に、他の不登校の人はどうやって過ごしているのだろう?どうやって回復していったのだろう?など気になるし不安だと思うので、誰かの参考になればいいなということで久々に不登校時代についての記事を書きます。 今回はわりと淡々と書いていきます! 本当に序盤のうちは、以前他の記事で書きましたが家族の説得がありました。 その後、少なくとも半年くらいは毎日どよんとした年月が続いていた気が

      • 実はこの度うつ病になりまして。

        ついにコロナに世界中が苦戦した2020年が終わり、新しい年になった。 多くの人にとってそうだったように、去年は私にとっても辛い年だった。 だからこそ2021年は良い年になるよう、願っている。 うつ病と診断されたのは去年の11月だった。 延々と下がらない微熱から始まった。 診断される前から薄々そうじゃないかと思い始めてはいたが、なぜ私が今更なるんだろうと驚きだった。 なぜなら私はとうの昔に精神を病んでいたことがあるから。 今更、精神疾患にはならないと思っていた。その段階

        • 「若い」ということ。―強い闇と、光が混在してた若さがどうしようもなく恋しくて

          過去に浸って、センチメンタルになりたい夜もある。 あの時は ''若いから最強''なんて全く思ってなかった。 コンプレックスが強くて、怖いものだらけで、日々不安だらけで。 そうだったはずなのに、今はあの時が眩しく感じる。 私は今より、「若かった」のだと今は思う。 私は、今年24歳になる歳だ。 そんな年齢で、もう学生時代の若さが懐かしいなんて、早すぎるのだろうか。 でも大学1年生の頃と比べると、もう5年も経つのだ。 大学4年生の時からはほんの2年しか経ってないが、学生と社会人

        うつ病、回復期までの道のり。

        • 不登校だった時にしていたこと・して欲しかったこと

        • 実はこの度うつ病になりまして。

        • 「若い」ということ。―強い闇と、光が混在してた若さがどうしようもなく恋しくて

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        • 不登校だった私へ。10年後の私より
          8本

        記事

          拝啓 きっともう当分会うことはできないあの人へ

          良い結果に終わらないことがわかっていても、結果が全てとは最近は思わなくて。 どんな結果でも、その過程で沢山の喜びを得られたから。 同時に傷付きもしたけど、会いたいと思う誰かが、愛しいと思う誰かが、この尊い感情が大切だった。 あの人がどれだけのものを与えてくれたのか、私にとってどれだけの存在か、 もし私が死んでしまったら、一体誰が代わりに伝えてくれるんだろうか。 またはあの人が急にいなくなってしまったら、私にはきっと後悔しか残らないだろう。 どれだけ感謝しているか、最

          拝啓 きっともう当分会うことはできないあの人へ

          雨の日、低気圧とPMSの鬱々とした心

          低気圧とPMSのダブルパンチなのか、今日はすごく久々に恐ろしい夢を見た。 1日を台無しにしてしまうような、不穏な夢だった。夢占いを見ても悪かった。 低気圧でも気分が落ちるというのは最近気づいたことだった。 認識できるようになっただけいいけれど、こうして改めて見ると梅雨は地獄のようだ。 月1回のPMS(月経前症候群)に加えて、低気圧のたびに気分が落ちる。 どんなふうになるかと言うと、全てにおいてネガティブになる。 酷い時だと、例えば会社にいれば、人のちょっとした態度で「私は

          雨の日、低気圧とPMSの鬱々とした心

          ネガティブは悪なんかじゃない。沈む日は堕ちるところまで堕ちてしまおう

          もうすぐ終わる、自宅待機。 張り合い、モチベーションのない毎日。 それでもなんとか自分なりに楽しもう、有意義にせねば、人間的な生活をせねば、どこか気持ち的に無理をしてたところがあったかもしれない。 落ち込んでなんて、とことんだらしなくなんてなってやるものか。 気付かない間に思っていた気がする。 そんな私は一昨日の夜、急にものすごくネガティブになった。 親が出かけていて、久々に一日中家に1人だからというのもあったかもしれない。 あんまり考えないようにしていた心配事。

          ネガティブは悪なんかじゃない。沈む日は堕ちるところまで堕ちてしまおう

          「せっかくの善意を、わたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない。」

          昼夜逆転と、まともな生活リズムを繰り返し続けている自粛期間。 そして今は絶賛昼夜逆転中だ。 でも、こんな生活もまもなく終了する。 きっと来週から眠気と闘いながら通勤電車に乗っているんだろう、コロナ前の生活と同じように。 何も拘束されるものがないと、つい夜更かししてしまう。 昔から私の悪い癖だ。 だから人間的なちゃんとした生活をするために、何かしらの縛りがあるのは、私にとってはいいことだ。 でも、夜更かしをするのは昔から好き。 あーやっちまったな、っていつも思うんだけど、

          「せっかくの善意を、わたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない。」

          絶望の中の色は。死にたいと思い続けた私が死ななかった理由

          以前少し書いた、死を考えていた頃の話。 実は結構前にこの記事も書いていてずっと下書きに入れていました。 あまり思い出したい話ではありませんが、木村花さんの死により、無視できるような問題ではなくなってきました。 もちろんどんな人の自殺も痛ましく悲しいことには変わりませんが、やはり有名な人となると多くの人が色々なことを思うものです。 花さんの出来事により、ネットの誹謗中傷が大きく見直されようとしています。 人が死んでからやっとわかるなんて本当に皮肉な話ですが、多くのインフル

          絶望の中の色は。死にたいと思い続けた私が死ななかった理由

          今、世界を少しでも変えるために。テラハ好きだった私が木村花さんの死に思うこと

          しばらく、不登校に関しての更新を中断していました。 でも、先日あった木村花さんが亡くなった報道に関して思うことが沢山あったので、やはりどんなに暗い話でも書くべきだと思いました。 今回は私自身の話ではなく、次回の記事から更新していきます。 死を考えたことがある私からしても、死ぬのは、結果やはり怖いものだった気がします。現場の詳細を知ると、彼女の死は突発的なものではなく計画されていたものだったことがわかります。 私が死を考えたのは10年前のことで、苦しまず死ぬ方法をその時はわ

          今、世界を少しでも変えるために。テラハ好きだった私が木村花さんの死に思うこと

          運命を信じた忘れられない恋、過去の未練がましい自分を振り切れた話

          私には忘れられない人がいる。 誰しも、いるのだろうか。 忘れる必要なんてないのだけど、正しくは『まだ引きずってる恋がある』だ。あった、と言った方が正しいのかもしれない。 少しずつではあるが、私はその恋とお別れしつつある。本当に長い道のりだった。 今回は初めて恋愛系について書くことになるけれど、本気で恋したことと、乗り越えるために経験した少し不思議な話を書きたい。 出会ったのは、もう4年も前のことだ。自慢じゃないけれど、つまり私はほとんど4年間も引きずってることになる。

          運命を信じた忘れられない恋、過去の未練がましい自分を振り切れた話

          私はいつも私の味方でいる。責め過ぎず、ただ反省だけして前を向きたい

          悪かった点を、淡々と反省する。私は多分、普段これがあんまり出来てない。認められなかったけど、いまだにそうだ。 私が「自分が悪かったな」と思う時は大抵、自分のことを過剰に責めすぎてしまう。「私ってダメだな」って、おそらく全否定に近いような状態で。 もしくは、「私は絶対に悪くない」と決め込んで非を認めず押し通すか、どっちかだ。それはそれで、自分のことを守って肯定してるつもりだったんだ。 おそらく私は、基本的に「自責癖」がある。 責めるようになった始まりは、小学生くらいからだ

          私はいつも私の味方でいる。責め過ぎず、ただ反省だけして前を向きたい

          嫌な場所から逃げていい理由。学校から逃げた自分を責め続けたあの頃の私へ

          もうこれからの常識ですね。 嫌な場所からは逃げていい。 何年か前に、お笑い芸人の松本さんが「自殺する子どもを減らすために、死んだら負けを俺は言い続ける」というツイートをして、バッシングされていた。 なんで叩かれたのかはあまりよく知らないのだけど、まあ少し的外れだなあとは思いました。 「私は負けた」敗北感は既にある自殺する子供って、もうとっくに「自分は負け」だと思ってるんですよね。 私もそうだったし。負けてるし、このまま生きていてもあの人たちに勝てるわけでもない。負けた私は

          嫌な場所から逃げていい理由。学校から逃げた自分を責め続けたあの頃の私へ

          あの頃の私たちにとって、学校が世界の全てだった ②

          前回は、不登校になった時の母と祖母の反応に関して書きました。 特に祖母は心配性なので、納得してくれるまでに何度も何度も話し合いが必要だった。(まあ話し合いという冷静なレベルのものではなかったのですが…お互い感情的でした。) でも、あまり傷付けるようなことを言われた記憶は、無いのです。 もちろんわかってもらえないだけでもその時は傷ついたけど、基本的に「ただ心配している」ことが伝わったからだと思う。 男家族の説得 あんまり、女はこうで、男はこう、っていうジェンダー的な定義はし

          あの頃の私たちにとって、学校が世界の全てだった ②

          あの頃の私たちにとって、学校が世界の全てだった ①

          伝えたいことがありすぎて、何から書けばいいか少し迷いました。でも、少しずつ気長に更新していきます...!(とりあえず①、②と書きます) 10年前の私を置いていこうとしてた今の私 不登校から10年も経ち、今の私にとっては遠い日の記憶で、その時の自分は別人に見える。これって、成長できた証なんだな…と最近思います。 あの頃を思い出すことはもうほとんど無いし、あった出来事を思い出したとしても平気になりました。 誰かに対しての恨みとかも、もう無いです。 ただ、これを書くにあたって

          あの頃の私たちにとって、学校が世界の全てだった ①

          大人になって良かったと思うこと

          多くの人に、「学生時代と社会人になってからと、どちらがいいか」と聞いたなら、どっちの回答の方が多いんだろう。 私は断然、社会人(=大人と見なします)になってからの方が良くて、まだ社会人歴でいったら浅いけれども、1年目から「ああ、学生時代に戻りたい…」と思ったことはほとんど無かった。 私が新卒で入社した会社は、まあ一般的に言えば結構ブラックな会社で、中小企業に多い、昭和気質でかなり精神論の強い会社だった。 周りの友人に話すと、ドン引かれて共感者がいなかったので、ネタにして話

          大人になって良かったと思うこと