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拝啓 きっともう当分会うことはできないあの人へ

良い結果に終わらないことがわかっていても、結果が全てとは最近は思わなくて。

どんな結果でも、その過程で沢山の喜びを得られたから。
同時に傷付きもしたけど、会いたいと思う誰かが、愛しいと思う誰かが、この尊い感情が大切だった。

あの人がどれだけのものを与えてくれたのか、私にとってどれだけの存在か、

もし私が死んでしまったら、一体誰が代わりに伝えてくれるんだろうか。

またはあの人が急にいなくなってしまったら、私にはきっと後悔しか残らないだろう。

どれだけ感謝しているか、最後にもう一度会って話せたら。

でもそう思っても出来ない状況の時はある。

時代の変わり目、今の流れで、誰かと容易に会うことは難しい。

いくら久々でも、距離がある相手でも、
前だったら えいっと飛び込む気持ちで、でも手軽にそれができたのに、そういう訳にはいかない。

1年前ならそれで通用したことが、今は出来ない。
たった1年で、数ヶ月で世界は変わる時には簡単に変わってしまうのだと今回、証明された。

会いたい人に会えない人が、今どれだけいるのだろう。

海外にいる家族や友達、恋人、
国内でも遠くにいる人。

物理的には近くても、距離が遠い人。

様々な事情で、きっと私だけではない。

ひとつ言えるのは、時代の流れには抗えないこと。

災害や戦争で引き裂かれた人々がいるように、今も似たような状況で、それに抗議することは出来ない。
人の意思ではないのだから。

ただ黙って受け入れるしかないんだ。
その悲しみすら相手に伝わらないとしても。

『今が時代の変わり目』
普段、神秘的な話が苦手な人も今回はそう思わずにいられなかったんじゃないだろうか。

実際、社会も変容してきている。
これを機に多くの人の行動や、考えも変わった。


どうであれ、人の縁は「切れた」と、はっきり目に見えてわかるわけではない。

切れたと思っては、またどこかで繋がったりする。
一生親友だろうと思っていた子と、気付けば大きな距離ができているように。

そこまで距離が近くなかった子と、久々に会ったらすごく気が合うことに気付くように。

いつだって「今はその時期じゃない」「今がその時期だ」ということがある。
よく言う言葉でいうと、これが「タイミング」に当たるのか。

私のこの思い入れ、真剣な心、確信は一旦は手放す必要があるのかもしれない。

それでも、5年後、10年後、数十年後、何をきっかけにあの人との縁が繋がるかはわからない。

私は、どこかで信じて、願っている。

執着のようだけど、私にとってはもっと神聖なものだ。

でも誰かにわかってもらおうとは思わない。
そんな必要も無いのだから。
ただ自分と、あの人にそれがわかっていれば良かった。


事実と真実の間には、月と地球ほどの隔たりがある。
その距離を言葉で埋められる気がしない。

最近ようやく読んだ本、「流浪の月」には心から共感する言葉、好きな言葉ばかりだ。


縁があればきっとまたその「時期」がくる、
その時を、ひとり心のどこかで信じて。







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