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私はいつも私の味方でいる。責め過ぎず、ただ反省だけして前を向きたい

悪かった点を、淡々と反省する。私は多分、普段これがあんまり出来てない。認められなかったけど、いまだにそうだ。

私が「自分が悪かったな」と思う時は大抵、自分のことを過剰に責めすぎてしまう。「私ってダメだな」って、おそらく全否定に近いような状態で。

もしくは、「私は絶対に悪くない」と決め込んで非を認めず押し通すか、どっちかだ。それはそれで、自分のことを守って肯定してるつもりだったんだ。

おそらく私は、基本的に「自責癖」がある。
責めるようになった始まりは、小学生くらいからだと思う。
外では強く主張できなかった私は、人間関係の中で何かと責められやすかった。みんなが責めるから、気付いたら自分のことも自分で責めるようになった。中学生の頃には、それはもう全否定になっていた。

同時に、自分を傷付ける人や傷付けそうなものには、敏感になった。
絶対に傷付けられまいと、自分を守ろうと必死になった。

そして月日が経った今、私は自分で自分の味方が出来るようになった。私は悪くないし、正しい、と。
それが、自分にとっては何より大切なことだった。すぐに私が悪いのかな...私ってダメだな、と思う自分から、「大丈夫、私は何も悪いことしてないし間違ってない」と自信を持っていることが。
自分がまず自分の味方でいることが、1番心のバランスが保たれる。ひとつ成長したと思えるところだった。

でもまだ私のこれは不完全で、自分の悪いかもしれないことに目をつぶることでもあった。

悪いと認めたら、自分の味方が出来なくなってしまう。そこには全肯定か、全否定しか無かった。
自分が悪いかもと思ったら、全否定まっしぐらになってしまうから、なるべく思わないようにしていた。


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「可哀想な私」を守ろうとしすぎて、最低なやつになりそうだった


この前、些細なことで母と喧嘩をした。

私も悪いところがあったのに、傷付いたように感情的になって、「私は悪くない」と思った。それなのに、自分が悪者のような気がしてならなかった。母が謝ってきたから余計に。

でも、私は自分が悪いと思いたくなかった。傷付いた気持ちと、罪悪感と、ごちゃごちゃで感情的になって涙が出た。
今度は「私は最低な人間だ」と思えてきた。どう受け取っていいかわからずに混乱した。母のことを悪者にしたいわけでもなかったのに、結果的にそうした。なんてちっぽけな人間なんだろうと思った。

自分がどこが悪かったのかは、冷静になればわかった。
でも、だからって私がダメな人間になるわけじゃない。
私に今必要なのは、「ここが悪かったな」って認める、勇気。決してそれは全否定なんかじゃない。ただ淡々と、部分的に反省をするだけ。

今まで、「これは相手が悪い」と思ったり、「でも私が悪いのかな」と思ってまた揺らいだり、どっちかが一方的に悪いんだと思おうとしてた気がする。子どものような考え方だった。

悪いところがある度に、自分を嫌いになる必要なんて無かった。
私は、私の味方。でも、あの時のここは良くなかったなって認められるようにこれからはなりたい。人のため、自分のために。

ほとんどの大人はそれが出来ているのかもしれない、私はまだすごく未熟だったのかもしれない、やっと人に、追いつくところなのかもしれない。それでもいい。
それさえできれば、「自分は最低だ」って、自分の価値を自分で落とさずに生きていける気がするから。

ちっぽけな人間から、大人になれるように。もう一息、成長した私になれるように。

そして今より自分を好きになるために。



ここまで読んでくださりありがとうございます。

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私のような人に届きますように。



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